少し眠たい帰り道
何気無しに時計を見る。時刻は18時に差し掛かろうとしていた。
熱中していたしりとり(主に二人だけが)も終わり、千寿流は窓に近づく。
「わ、もうお外暗くなっちゃってるね。夜深ちゃん、葵ちゃんの様子見に行かなくてもいいのかな」
「ふむ、そうだね、何かあれば直ぐに知らせてと言ってあるから問題ないとは思うけど、様子を見に行ってみようか」
あれから何の音沙汰もない。少々心配になってきた千寿流。立ち上がり葵の眠る寝室に向かう事にした。
「えひひ、ちょっと夢中になり過ぎちゃってたね。こんなに夜遅くなってるとは思わなかったよ」
「うぅうぅ~ キヨミお兄さん ちょっとは てかげんしてよ」
「ふふふ、遊びは本気でやらなきゃつまらないでしょ。まあ、僕もちょっぴり大人げなかったかな?」
結局あれから決着がつくことは無かった。しりとりという単純な遊びが何時間も続くこと自体が異常だがシャルは早い段階で飽きてしまったようだった。
最初こそ盛り上がったものの、シャル自身“ん”で終わらないしりとりは終わりどころが分からず、延々とだらだらと何の盛り上がりもなくこの時間まで続いてしまった。
ちなみに30秒を越えることは何度も何度もあったが、たとえ越えたとしてもシャルが「しょうがないな~」と言いながら答えるまで待ってくれるので、制限時間は形だけで何の意味もなさなかった。
正直、止めるきっかけが出来て内心少し嬉しい千寿流であった。
そんなこんなで地獄の無限しりとりを切り上げた一行は扉の前に立っていた。
寝室の扉をノックしてみるものの返事は無い。
「へんじ ないね?」
「ふぇ…ど、どうしよう夜深ちゃん!葵ちゃんもしかしたらっ!」
いまいち状況を理解できていないシャルと心配顔の千寿流。もしかしたら病気が悪化して、人を呼ぶこともままならない状態にあるのかもしれない。
もし、そんな状態だったのならば、なにを暢気にしりとりなんかやっていたんだろう。と自己嫌悪で死にたくなるだろう。
もし、本当に重篤なのであれば、無責任にも夜深に当たるかもしれない。
けれど、夜深は医者じゃない、赤の他人だ。だから、それはお門違いというものだ。
しかし、当の本人はケロリとした顔で何の憂いも感じさせない表情だった。
「ん~、この家、少し古い造りでね。1階にいる君たちの声がたまーに2階まで響いてきてたんだよね。で、僕たちが1階で遊びに興じてた時には2階から物音らしいもの音は聴こえてこなかった。という事は」
夜深はそう言いながらドアノブに手をかけ、ガチャり、と扉を開ける。
「葵ちゃん!」
扉が開かれると同時に葵が眠っている布団に駆け寄る千寿流。
「あ、あれ?」
布団の中には葵のほかにもう一人、命がすやすやと小さな寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。
それは言うまでもなく仲睦まじい親子の姿。千寿流は病状に問題ないと理解すると一歩下がり笑顔を浮かべる。その光景に少し羨ましいなと思うのだった。
「まあ、満足に眠れない日が続いただろうからね。心労が限界だったんだろう。僕としても親子の仲を邪魔する気にはなれなくてね」
夜深を振り返る。ポケットに手を突っ込んだまま優しそうな笑顔を浮かべていた。
そうか。だから気を遣いこんな時間まで、自分たちの遊びに付き合ってくれたんだなと千寿流は感心する。
そう感心した千寿流には夜深に向けていた“怪しい人間”という疑いの気持ちは無くなりかけていた。
「夜深ちゃん。あのね、あたし達どうすればいいのかな?」
葵の寝室を後にした三人は、再び客間でこの後のことを考えることにした。
「ああ、命さんが言うには開いている部屋がいくつかあるから是非泊ってくれって話だったよ。でも、君たち泊る所予約しちゃってるんじゃないの?」
「えひひ、そうなんだよね。夜深ちゃんのこともあるしどうしようかなって。それに夜深ちゃんにクラマちゃんについてもお話を聴いてほしいなって」
少し上目遣い気味にお願いする。クラマについては一度力になれないと断られている。だから良い返事が期待できないことも承知の上だった。
けれど夜深は人助けが趣味だといった。だから、もしかしたら。ほんの少しでも力になってくれればと思ってのお願いだ。
「いいよ。僕はそのクラマって人について全く心当たりはないけど、手伝ってあげる事ぐらいは出来るからね。時間は何時でもいい。明日もう一度ここに来てくれないかな」
返ってきたのは応諾の言葉。クラマの行方は普通に探しても進展しなかった。奇病に悩まされるこの川崎という都市で、ようやく一歩、先に進むことが出来た。
疲れたのかソファーで横になって眠っていたシャルをゆすり起こす。
「シャルちゃん!夜深ちゃん話聴いてくれるって!力になってくれるって!」
「んにゃむにゅ ちじゅる?」
寝惚け眼のシャルを抱き起して体をゆさゆさとゆする千寿流。今日一日の疲れも吹き飛ぶほどに気持ちが高揚していた。
クラマについて力になってくれることが嬉しいというのは分かるが、なぜそこまで気持ちが高ぶっているのか当の本人にも良く分からないのだった。
数日間、手掛かりもなく探し回った。偶然の出会いとはいえ、こうして次の手掛かりを見つけることが出来た。
きっとそれだけの理由だとしても、シャルの力になってあげられることが嬉しかった。そう思う事にした。
「じゃあ、また明日ね。千寿流ちゃん、シャルちゃん」
シャルが覚醒するのを待って、今日のところは命の家を後にすることにした二人。
「じゃあね キヨミお兄さん!」
「また、明日!夜深ちゃん!」
そう返事を返し、手を振る夜深と命の家に一時のおわかれを告げるのだった。
外はすっかり暗くなっていた。街灯の灯りが頼りなく帰り道を照らす。山から流れる涼風とリンリンと鈴虫の音が耳に心地よかった。
少し高い丘に建つここからは遠くにある繁華街が煌びやかに煌々と光っているのが見てとれる。
こうして都会を遠景で眺めたことが無かった千寿流は少し足を止めて見入ってしまうのだった。
ぐぅ~~
途端、千寿流のお腹が可愛らしい音を立てる。
「えひひ、お腹あんまり空いてないんだけどな。あ、でもこの音聴いてお腹空いてきたかも」
「ん~ うん すいた かも」
千寿流は少し照れくさそうな顔で手を合わせながら言うと、少し眠たげに目をこすりながらシャルが返事を返す。
スマホを見ると時刻は19時を指していた。そういえばまだ夕食を食べていなかった。
お菓子を摘まみ摘まみしていたので、いつもよりは空いていないとはいえそこは育ちざかり。同年代と比べると小食ではあるものの寄る食欲に、少し駆け足気味に道を駆けていくことにした。
時刻はあれから進んで21時に差し掛かろうとしていた。ここまで遅くなったのはシャルが途中のベンチで少し眠ってしまったからだ。
ようやくの思いで街に入ると、先ほどの夜道とうって変わって賑やかな情景飛び込んでくる。今までは夜に出歩くことは極力避けていたため、こうして本格的に夜の街を歩くのは初めてだ。
英雄変革による地形の変化により、以前よりは自動車の数は激減したものの、交通の足としては未だに利用するものも多い。
代わる代わる照らし照らされる街並みを眺めながら二人はホテルへと向かうことにした。
「へ~、時間ちょっと遅れちゃったかなって思ってたけど、夕食部屋まで運ばれてるんだね。しかも、わっ、ホカホカだよ!」
「んにゃ ふつうじゃないの?シャルル ホテルとか とまらないから そーゆーの わかんないぃ」
ホテルにチェックインを済ませた後、いつも泊っている部屋に戻ってくる。このホテルでは19時までに連絡が無い場合、部屋に夕食が自動的に運ばれるシステムとなっていた。
「ん なんか シャルル ねむく なってきちゃった さきに おふとんはいって ねちゃうね」
「え?ご飯食べないの?え?え?」
慌てふためく千寿流をよそに、シャルは少しふらつきながらベッドに入ると、10秒も立たないうちに寝息を立てて眠ってしまうのだった。
シャルは寝つきが良い方だがここまで早く眠りに入ることは珍しい。きっと今日のことでシャルなりに気を遣っていたのだろう。
「…。おやすみ、シャルちゃん」
千寿流はその寝つきの良さに少し呆然とした後、穏やかな笑みを浮かべシャルの布団をかけ直す。
「残しておくと痛んじゃうよね。食べないのは作ってくれた人に悪いし。あたし、二人分食べきれるかな?」
目の前に用意された夕食の圧倒的な量は、小学生の千寿流には少々きつい。
食べ残してしまう事も考えたが、勿体無い精神で食べ始めることにした。




