トレモロ
ゲームセンターから退店した二人は車が行き交う歩道沿いを歩いていた。
時代は変わり、車は排気ガスを出すことは無くなり、路上で煙草を吸う者も全く見なくなった。そもそも煙草の様な嗜好品に関しては、高騰し過ぎて手を出しにくいといった感じではある。
また、環境問題や温暖化に伴い、大型の空調が川崎のような大きな都市には設置されるようになった。
ノアの暴動や英雄変革さえなければ良い未来に少しづつ舵を切れていたのだろうか。それはきっと誰にも分からない。
川崎も都心部は賑やかそのものといった感じだが、街の南側は両断されたビル街、復旧できないほどに窪んだ地面、底の視えない奈落。その被害の跡を色濃く残し誰が見ても明らかな絶望の歴史を物語っていた。
「………」
街を行き交う人を見てみると皆が皆マスクを着用している。
流行り病だろうか。それとも川崎という街はそういった気候なのか。少なくとも結九里では誰もマスクなどしていなかった。
先ほどのゲームセンターで視線を感じたのはきっとあたし達がマスクをしていなかったからだろう。
そう考えた千寿流は街を歩きながらマスクを売ってそうなお店を探すのだった。
「けっこう簡単に買えたね。なんかみんながしてるからすごく人気で売れちゃってるのかって思ったよ。これで睨まれたりはしなくなるかな?」
「なんか あんまり すきじゃないかも くちが へんなかんじする」
「しょうがないよシャルちゃん。だってマスクしてないとみんなから変な目で見られちゃうし。うん、我慢だよシャルちゃん」
この街に何が起こっているのか。今更になってネットで検索をかけてみて分かったことは原因不明の奇病がこの街に蔓延しているという事だった。
「なにこれ、何でこの街だけこんなことになってるの?」
原因不明の奇病『トレモロ』。そして少年少女失踪事件。
数年前から突如として川崎で流行り出した奇病であるトレモロは、発生の原因、病気にかかる条件などは全て不明。故に特効薬も開発の目途もない。
また、同じ時期に相次ぐ少年少女の失踪が起きており、数日経過すると突如として街に帰ってくるというなんとも奇妙なものだった。
失踪した人物の共通項はいずれも年端もいかない子供ばかりだが、自分の判断ができる程度には自立心が芽生えている特徴があった。
そして、帰ってきた子供たちの中にトレモロを発症するものが多いという点も判明しており、川崎の住民たちは突如として襲い来るこの脅威に暗中模索で立ち向かうしかなかった。
住民たちがマスクをしていたのもその為だった。意味があるかなんてわからないが、意味が無くてもそうした対策を講じることで平常心を保つしかなかった。
幸い、この病が流行っているのはこの川崎のみであり、土砂災害を受けて分断された反対側の地区では被害が広がっていないようだった。
千寿流たちにも分かっている部分だが、結九里にもそのような奇病は蔓延していなかった。この都市のみが奇病に悩まされているなんてそんな不自然な事があるのだろうか。
「シャルちゃん。病気になってる人を探そう。クラマちゃんが帰ってこない理由、クラマちゃんが巻き込まれてる可能性もなくはないでしょ?あたし、今すっごく嫌な気持ちだよ」
もやもやした気持ちが口を衝いた。けど、それが本当に正しいことなのかは分からない。そもそも、解決法が無いなら千寿流たちのような子供が調べ回って解決に繋がることは無い。
けど、現状手掛かりらしい手掛かりは何も見つかっていないし、これ以上やみくもに歩き回っても悪戯に時間だけが過ぎていくだけだ。
街をもう一度ぐるりと一望する。この川崎という街に何らかの異変が起きていることは間違いない。
千寿流は浮かんだ疑問に向き直る。まずは出来る事から。探して関係ないならそれでいい。だって、何もなく再会できるのが一番なんだから。
「うん いこう ちずる!シャルルは ちずるについてく」
後ろについてくるシャル。あたしはこの子の為の力になるって決めた。
友だちの友だちは友だちだ。理由はきっとそれだけでいい。
それから数日間、千寿流たちは泊まる場所を決め、点々と街中を歩きながらクラマの行方についても聞き込みを続けつつ、傍ら奇病に関して情報を持っている人を探し回った。
しかし、そこまで事がうまく運ぶはずもない。子供二人の行動範囲などたかが知れている。訊けども訊けども事態が好転するような話を訊くことは出来なかった。
よくテレビで警察官が聞き込みや事情聴取なんかをやっているが、こんなことを延々と繰り返しているのか。あたし的にはあり得ない。尊敬というか、頭が上がらない。
もしかしたら警官の中身はロボットがやってるんじゃないのか。例えばヴァルキリーみたいなロボットに警察官のコスプレをさせてるのかも。
なんて、馬鹿な考えもしたりしながら空を見上げていた昼下がり。
「やあ、君たち。二人だけかな、親御さんは何をしてるの?」
当然声を掛けられる。そこには薄紫のパーマヘア、糸目の細身で、長身の日本人離れした男が立っていた。髑髏の意匠とフリンジが入った長い布を重ねてフードの様に着こなし、全身をシルバーアクセサリーや髑髏、黒を基調としたコーディネートで固めている。
口角が吊り上がった不敵な笑み。皆がしているマスクをしていなかった事もあるだろうが、第一印象は純度100%の怪しい男だった。
身長は190あるかないか。千寿流の身長は125cmしかなく、しかも高い位置に立って見下ろされているので、その剃刀の様な糸目と相まって笑顔だというのに威圧感を感じさせる。
「う…」
(なにこの人、怖い。あたし何かした?)
「ああ、僕が怖い?大丈夫大丈夫、怖がらなくていいよ。ほら、僕怪しくないでしょ?」
そう言って男は歩み寄りながら、手をぶらぶらさせてお道化てみせる。その表情からは何も読み取れない。
(いやいやいや、めっちゃ怪しいんですけどっ!シャルちゃん、どうしよう?)
後退りながらシャルにどうしようかとアイコンタクトを送る千寿流。
当の本人はというと。
「ねえ お兄さん お兄さんは クラマのこと しってる?」
「………」
絶句する千寿流。開いた口が塞がらない。こういう時本当にシャルは怖いもの知らずだなとつくづく思う。
先日の魔獣の件もそうだったが、ラッキーマンの加護かなんかでも受けているのだろうか。そうでもなければここまで大胆不敵な行動はとれないと思うのだが。
「クラマさんかぁ。うーん、僕は知らないかな?ごめんね、僕じゃちょっと力になれないみたいだよ」
「そっか ざんねん」
落ち込むシャルをよそ目に顔をゆらりと近づけながら青年は言葉を続ける。
「でもね、君たちが気になってるもう一つのことなら道を示してあげられるかもしれないよ?」
にやりと不敵な笑みを浮かべながら腰に手を当て青年は言う。次の手がかり、その道しるべを。