少しずつでも良い方向に
いつも思う。どうしてこんなに廊下が長いのか。
建築の際に気が付かなかったのだろうか。幸い俺はそこまでこの通路を利用することは無いが、事務や清掃、ここに留まって従事する者にとってはこの上なく無駄な時間だ。
1日2回行きと帰り、往復で4回歩いたとする。
この無駄に長い廊下は入口から端までゆっくり歩いて1分程度、早歩きで30秒程度だろうか。
30×4で120秒。それを週5日。120×5で600秒。この時点で10分のロス。
一か月で4週間。正確には4週間と3日ないかぐらいだが面倒だ、ここでは切り捨てて考えてみるか。
4×10分で40分。それを12回。40×12で480分。
8時間だ。時間にして約8時間の命をこのつまらない空間で浪費していることとなる。
なんだ、1日にも満たないのか。1年でと考えるとそこまで多くないのか?
いや、そもそもこの下らない考えが無駄そのものなのか?
「君島さん、珍しく難しい顔してますね。新海区に現れた魔獣、やはり気になりますか?」
「ああ、そうだな。ここ十数年、あの地区には魔獣の出現は報告されていない。イレギュラーと考えるべきだ」
「けど、報告によると既に鎮静化されているようです。区立の小学校の放火、児童も何人かが亡くなっています。被害は少なくありませんが、ひとまずは安全でしょう」
魔獣の被害自体は珍しいものじゃない。危機感の欠如した人間の被害は日夜報道されているし、これからの季節、寒くなるにつれ獲物を探す為に現れた魔獣の報告は確実に増えるだろう。
しかし、これまで現れることが無かった地区に現れたとなれば話は別だ。
「そういえば新海に向かったのは誰だ?あそこで駐屯しているやつらが、イレギュラーに対応できるとも思えねえ」
「工藤風太さんです。工藤といえば風花さんの弟さんですよね。君島さん、少し興味あるんじゃないですか?」
工藤風太。あのじゃじゃ馬女がひっきりに推していた自慢の弟か。
「速いですね。異能も身体強化系だとは聴いていますが、彼のような人間も必要でしょうね」
正直なところ偶々だろう。偶々耳に入って、偶々近くにいたから駆けつけることが出来た。地区毎に情報が規制されている現代では、人一人が張れるアンテナなんてのはたかが知れている。もちろん、情報を聴いてすぐに動けるだけのフットワークってのはあるんだろうが。
俺らが知らないところでは今日も誰かの命が犠牲になり、誰かが九死に一生を得る。んなもんいちいち気にしていたら心臓がいくつあっても足りはしねえ。それこそ考えるだけ無駄だ。
実際に、今回の情報も俺らの耳に入ったのは事が収束してからだ。
救ってやれる命には限りがある。この両手のひらから零れ落ちた命まで救うことは出来ない。
「岡田。導は、もう終わったんだよな」
「導ですか。僕は、個人的にはもう終わっていると、思いたいです。第七の導が起きた際、僕はまだ生まれていません。だから、その凄惨な景色を伝え聞く事でしか知らない」
「………」
「けど、そんな悪夢がもし再び訪れるなんて、誰も思いたくないですよ。逃げてるだけかもしれないですけどね、僕は少しづつでも良い方向に向かっていってほしいかなって」
「そうか」
俺も直接見たわけじゃない。生まれて物心ついた時にはこんなクソったれな世界になっていた。
けれど、導については学校で耳にタコが出来るほどに言い聞かされた。写真、映像、生き証人の声。どれもが最低最悪、神様の理不尽な気まぐれで刻まれた人間たちの負の歴史だ。
第七の導、ノア暴走が2178年。あれから40年近く導とされる災厄は訪れていない。魔獣はそこかしこに現れるが、惑星を乖離させた第七の導と比べれば幾分かと規模が小さい。
それに魔獣に対抗するための異能。そしてリベルレギオンの様な組織がつくられた。頭のおかしい連中ばかりだが実力はある。これからも困難はあるだろうが、何とかやっていけるだろう。
仮に導が神からの神託であり、愚かな人間の粛清なのだとしたら、その贖罪はもう赦されたということだろうか。
「岡田、メシ行くぞ。今日は俺が奢ってやるよ」
「本当ですか!?珍しいですね、君島さん」
別に金が無いわけじゃない。毎回忘れるだけだ。
後ろのポケットをまさぐり財布がちゃんとあるか確認する。財布さえあればチャーシュー麺でもジャージャー麵でも好きなもんがいくらでも食える。たまにはたらふく奢ってやるか。
「岡田うるせえ。俺の気が変わらないうちにさっさと行くぞ」




