拾われた私とお嬢様
わたしは孤児院を抜け出した。その日は稀にみる雷雨を伴う嵐の日だった。きっと、この日しかないと考えたのだろう。
視界は最悪、眼を刺すような鋭い雨と行く手を阻む背丈ほどもある草木の群勢。まだ子供のわたしには何でもない草木さえも何か恐ろしい怪物のように視えた。
雷鳴が空を裂き、けたたましい稲妻が一瞬だけ周囲を明るく照らす。昏く濁った視界を鮮明にするとともに、地獄の様な現実を突きつける。
どこまで歩いても変わらない景色。嵐の音がますます大きくなり、雷鳴が耳を、逃げ出したわたしを責め立てる。
わたしは無我夢中で進み続け、どこへ向かっているのかさえも分からなくなっていた。ただ一つ確かなことは、もう後戻りできないということだった。
(行かなきゃ。どこか、孤児院ではないどこかへ)
わたしの心の中はそれだけしかなかった。それ以外を一瞬でも考えた時“苦しい”が全ての気持ちを圧し折って、バラバラに砕いてしまいそうな気がして。だから、弱音を嘘で塗り潰して必死に走り続けた。
わたしはこれまで自分のことを強い人間だと思っていた。
独りで生きてきた。
誰にも頼らずに生きてきた。
孤児院では泣かなかった。
泣きじゃくる同年代の子を見て平静でいられた。
叩かれる子を見て何も感じなかった。
けれど、この時になって初めて気が付いた。
わたしはそれほどに弱い存在だったのだと。自分の気持ちをごまかし、偽らなければ満足に何かを考えることもできない程に。弱くちっぽけな存在なのだと。ようやく自分の心の声に気付けたのだ。
そして、弱さに気づいてしまったわたしの足はもう動かなかった。
一歩たりとも。
只の一歩も。
仰向けに転がると槍のような雨が全身を貫いた。それはまるでゴルゴダの丘で十字架に張り付けられたキリストの様に、縫い付ける様に何度も何度も、繰り返される。
(わたし、ここで死ぬのか。けど、キリストだったなら死んでも生き返る?なんて馬鹿馬鹿しいか。あははは)
不思議と気持ちは安らかだった。感覚が麻痺してしまっていたのか、全身の裂くような擦り傷や、走り続けて爆発しそうな胸の痛みも何もない。
わたしはゆっくりと眼を閉じる。
死と云う安寧がもし享受されるのなら、それはそれでいいのかもしれない。
そこからの記憶はない。
お嬢様の話では衰弱死寸前だったという。
それからの日々は楽しかった。これまでの日々が嘘のように、魂から笑うことが出来た。
老婆に命を救われ、お嬢様に生きる意味を教えられた。
結局のところ、今、私がこうして生きているのもお嬢様のおかげ。もちろん、老婆にも少なからず感謝している。命を救ってくれた恩人なのだから。けど、その感謝を形として伝える方法はもう無いのだ。
だから、今はお嬢様の為に。この地区を守ろうとしたお嬢様の意思は私自身の意思でもある。何があったとしても、この場で逃げ出すことは許されない。他でもない私が許さないのだ。
「ッ!」
蔦の魔獣はゆっくりとこちらに近づきながらも、長く伸びる蔦で正確に私を狙ってくる。
私はそれらをすべて紙一重で躱し続ける。全てギリギリ、疲労した様子も交えつつ、あくまでも精一杯を演出する。攻撃が効いていると思いこませ続ける。
まだ蔦の魔獣がどういった攻撃を隠し持っているかわからない以上、下手に動いて足元を掬われるのは避けるべきだ。
刺し違える覚悟はある。けれど、それをお嬢様は許しはしないだろう。だから、最善。被害が一番少なく、かつ確実に相手を倒すことの出来る方法を考える。
その為には相手の攻撃範囲外から安全に攻撃が出来る、星一朗の存在が不可欠だと考えた。
(今はただ時間を稼ぐことだけを考えましょう。大丈夫です。あの移動速度と知能であれば攻撃をいなし続けるのは難しくないはず)
人質をいとも簡単に捨てたこと、そしてそうならば何故人質を取らなければならなかったのか、それらの理由についてもじっくりと考えたかったが、今は思考が乱れる雑念は控えるべきだ。
問題ない。冷静に氷の様にこの事態を収めるんだ。星一朗様が返ってくるまで私が出来ることをすればいい。




