狂天
今日は快晴。雲一つない青空だ。
思えば雲一つない青空っていうのもなんだか久しぶりな気がする。久しぶりな気がするだけで、何度もあったのだろう。たぶん、見上げてる暇が無かったからっていうのもあるかもしれない。
あ、この暇が無いっていうのはネガティブな意味じゃないよ。楽しい日々が続き過ぎてわざわざ空を見上げる時間が無かったっていうだけ。
この数週間、空なんか見上げることもなく、シャルちゃんたちといっしょに遊びつくした。
ゲームもいっしょにやったし、宿題もいっしょにやったし、近所の子たちと野球やサッカーなんかもした。あたしの知らない子もいたけど快く仲間に入れてくれた。
あたしみたいな人見知りが初対面の子たちに受け入れてもらえるなんて、シャルちゃんの溢れ出るカリスマ?のおかげかもしれない。あたしたちの中心にはいつもシャルちゃんがいた気がする。
他にも少し遠いところにお買い物とかに行ったり、スイカ割りとかビーチバレーとか夏っぽい遊びもたくさんした。
他にも他にも、ここでは言いきれないぐらいにたくさん、いっぱい。
でも、これは別に特別なことなんかじゃなくて、なんてことない一日一日の積み重ね。楽しいが重なり合ってかけがえのない思い出に変わっていくんだって、理屈なんかじゃなくて魂で実感できてる自分がいる。なんて、自分で言っててよく分かってないんだけどね。なんか最近見たアニメで言ってた気がするってだけ。
特別なことなんて、何も起きなくていい。平穏で幸せで、何にもないような日が続けばいい。それは宝くじで一等を当てるとか、プロスポーツ選手になるとか、前人未到の何かを成し遂げるとか、そんな大それたことじゃない。
なんてことないささやかな願い。
だから、この先もずっと続いていくと思っていた。
だって、特別じゃなくて普通の日々なら、ずっと続かなければおかしいから。
けど、特別ってのはなにも良い意味で使われるばかりじゃない。そして、あたしたちが歩み寄るだけじゃない。向こう側からやってくるんだ。
あたしたちがどれだけ拒否して厭忌したとしても、そんなささやかな願いでさえ嘲笑うように踏みにじり、その汚れた四肢で蹂躙するんだ。
したりと滲み拡がる黒よりも黒い鈴の音。
それはリンリンと凶兆を奏で、普通という幸せに鋭く光るメスを当てる。
「ん、何やら学校のほう。少し騒がしいですね」
「騒がしい?えひひ、たぶん野球やってる子たちじゃないかなぁ?すごいよね、あたしも野球やったりするからホームランを打った時の凄さとかはわかる気がする」
「いえ、少し様子が変です。警戒して進みます。千寿流ちゃん、私の傍から絶対に離れないでください」
「え、う、うん。わかった」
クラマちゃんの様子がおかしい。さっきまであんなに楽しそうだったのに。お日様すらも嫉妬してしまいそうなぽわっとした笑顔が鳴りを潜めていた。
「キシャアアアアーーーーッ!」
「ひぃいぃいぃっ!?」
あたしは突然の出来事に、二歩三歩と後退しながら尻もちをついてしまった。
獣。犬。いや、狼。
狼の形をした真っ黒の魔獣。その双眸は食らってきた人間の返り血を浴びたかのような鮮やかな紅。
なんで、こんなところに。
学校へと続く道には魔獣がやってこないように高い塀が建てられている。また、近くには派遣された魔獣狩りが駐在しており、もし現れたとしても、入り口近くで撃退されるはずなのだ。
そもそも、この辺りに魔獣が現れたなんて話は一回も聴いたことが無い。あり得ない筈なのに、そのあり得ないが、今目の前に在る。
「幸いなことに魔獣は一体。姿も一般的な獣型。大丈夫です。この程度なら私一人で対処できます。千寿流ちゃんはくれぐれもその場から動かないようにしていてください」
「う、うん」
ごくりと唾を飲みながら、音を立てないようにゆっくりと起き上がる。
打ち付けたお尻がヒリヒリと痛みを訴えかけている。
その断続的な痛みが、平穏な日々の終わりを示すようあたしを苛めていた。
「キィイィィイィィッ!」
漆黒の獣は叫び声をあげながらクラマに向かって飛び掛かる。しかし、声を発しながらでは避けてくださいと言わんばかりだ。
クラマは左に身体の重心を落とすように倒れ込みながら、左足を軸に半回転して身を避ける。その流れで相手の死角を突くように目線の奥に身体を滑らせる。その体捌きは見事としかいうほかなく、相手からしたら目の前の人間が一瞬にして視界から消えたように映っていただろう。
食らいつき捕食してやろうと考えていた獣は対象を見失い狼狽する。その様子は傍からでも見てとれた。
「ごめんなさい」
その身体を容赦なく銀のナイフが引き裂く。
それで終わり。
暴力の化身のような漆黒の獣は、天に召されるが如くその姿を霧散させ消え失せた。
「これ、どういうこと、クラマちゃん?」
「学校に急ぎましょう。生徒のみなさんの無事を確かめたいです」




