沼東の衝突②
周辺の木々の中でも一際高い杉木。
その上に立った忍びは、指先で小さな輪を作ると、術名を唱えながらその中をそっと覗き見た。
『望空』の術で研ぎ澄まされた彼女の瞳に、沼畔で対峙する数多の忍び達の姿がはっきりと映し出された。
「ふぅん……」
暫し、それらを観察し、状況確認を済ませると、遥か下方にある地面へ静かに飛び降りた。
すとんっ……
「どうだ、芹?」
「概ね、草兵衛様のお考え通りねぇ。貴方様の掌上で踊るかの如し……でも、まさか稲刈りに忙しいこの長月に動いてくるとは……」
「何かしら、里での試みが成功したのやもしれん。それか、食糧確保のあてでもあるのか……どちらにしても、この地に奴等が来た、か」
まるで動じることなく淡々と言いながら、男はそっと眼鏡を押し上げた。
誰も教えた訳ではないのに、ここにはいない彼の実子もそれと瓜二つの仕草をよくしていた。
彼女も愛しい我が子を想起したのか、未だ行方知れずの少年を思い出し、ぎゅっと眉を顰めた。
「帯同した組も読み通り、丑と……辰がおりました」
「だろうな。亥は散り散りで役には立たんし、戌も諜報役だ。幹兵衛を案じる辰を動かすのが自然の流れというもの」
「想定外といえばもう一つ、胡桃……あの子は、てっきり里で若のお守りをしてるかと思ったのに……」
「胡桃が? ふむ、そうか……」
芹の言葉を聞いた草兵衛は、顎にそっと手をやり、思案するように俯いた。
「もしかしたら……浅緋の里に、若は居らんのかもしれん」
「えっ⁉︎ 若、こっちに来てるんですの?」
驚いた芹が、ぱっと顔を上げて、草兵衛をまじまじと見つめる。
「現状ではどちらか、まだ分からぬ。あくまで可能性の話だ。天秤の皿がそちら側に傾いたとでも思っておけ。見つけ次第捕らえるのみ。それにしても……若か……ふっ」
「草兵衛様?」
「あぁ、いや……少し前の事を思い出してな。昔、野焼き作業で里端の草っ原を焼いたことがあって……」
草兵衛はそう言いながら、ふっと真正面の沼に視線を向ける。
「その時、一面に咲く茜色の花畑を燃したのだが、それを傍らで見ていた若が『可哀想だ』と言うてな……」
「茜……あぁ、あの毒花ね。風に運ばれ、気づくと矢鱈と増えていく……」
「そうだ。『これは食えない毒持ちの草だ』と言うと『じゃあ、毒薬の材料として採取出来ぬか?』と食い下がる。『土の養分を吸い尽くし、他の畑をも侵蝕する花なぞ、百害あって一利なし。根絶するのが最良なのだ』と告げると、ようやく納得して私の着物にしがみついていた手を離した」
「あの子は、草にすら命を諦めないのですね……本当、茉莉によく似ている」
言いながら、芹も顔をふっと綻ばせた。
「早く、会って驚かせたいわぁ。南蛮人の持ち込んだ書にあった、あちらの言葉で……何でしたっけ? あぁ、そうそう『さぷらいず』でしたわね?」
「商人から買い取った書物にあったな。『予期せぬ攻撃や捕獲』を意味する言葉が転じて『驚かす』になった……だったか? そういえば、若が大層気に入った言葉もあったな、たしか……」
「『りくるぅと』ですわ!」
嬉しそうに芹が口を挟み、草兵衛は小さく頷いた。
「『新しい兵』という意味の言葉……『辰ノ組をりくるぅとにするぞ!』と息巻いていたな」
「草兵衛様……あんまり思い出ばかり語らないで下さいませ。心が揺れてしまいますぅ」
「すまんな。まぁ、何はともあれ、邪魔立てする者は消す」
「御意。さぁて……では、私は私の仕事へ行って参りますわぁ」
主に忠誠を誓うかのように、芹は草兵衛の前に跪き、深々と頭を下げた。
「あ! あの社はどうなさいます?」
「あれは恐らく駄目だな、嶽山には悪いが捨ておけ。どうせ風魔共もたいした足止めにはならん。是空……所詮は己の矜持に囚われた、力及ばぬ者……」
「忍びのくせに、心を捨てられないなんて……本当、役に立たない駒ですわねぇ」
そう吐き捨てると、芹は揺れる芒に包まれながら、すうっと溶け消えた。
その場に一人残された草兵衛は、くるりと踵を返し、また廃寺の方へ向かったのだった。
◇◇◇◇
「な、なんでこんなことに……」
「ほれ。だから、言わんこっちゃない。最初から草兵衛殿は『美都利を連れて行け』と言うたのに、お前も頑固な男だな」
掠れた声を絞り出す是空を横目に、大男の嶽山は溜息を溢した。
それは、あまりに圧倒的だった。
頭領が慄くのも無理のない展開……この場に立つ風魔の数は、既に十を欠く……もう浅緋の忍びに劣るまでに激減していたのだ。
斬り殺された骸達は、ごろごろと大地に転がっている。
「す、衰退の一途を辿る里なぞ容易いと言うたのは誰だ⁉︎ ぐはっ!」
また一名、斬り殺された。
太刀筋どころか、汎の動きが速過ぎてその存在自体を目で追うことが出来ない。
「鬼神の戯れだな。完全に遊ばれておる。仕掛け罠へ誘導するまでにも至らぬ。他の若造共もなかなか良き動きだ。特に彼奴……」
冷静にそう語るが、この状況において奇妙なのは嶽山だ。
傍観者と化して、目の前の惨状をただ眺めていた。
幾度となく修羅場を潜り抜けてきた男の肝は存外座っているのだろう。
対象として狙われる順が、事情を知る者ほど後回しにされるのを重々理解している。
「大体、是空。お前は何を考えておる? 草兵衛殿の申し出を断って……いくら数を増やしたとて風魔のみで倒せる相手では無いのは分かっていただろうに……」
「風魔の仇は風魔で討つ! それに……嶽山! お前はあれを何とも思わないのか⁉︎ 俺は……忍びだが……それでもまだ、人でありたい!」
「……死んだら終わりぞ?」
どんっ!
嶽山の言葉の途中で、また風魔が一人、鉢ノ助の炮烙玉にて吹き飛ぶ!
「我等は山賊に近しい寸前にまで堕ちた。矜持を捨てて地べたを這い蹲り、そしてあの御方に拾われた……だが、末代に顔向け出来ぬ真似だけは、どうしても指図できん!」
「……お前はそう思っていても、そう思わん者もおる」
「何っ⁉︎」
是空が顔を上げ、大男の視線の先を追う。
そこには風魔が一人、木陰から何かを引っ張り出そうとしていた。
「くそっ! 斯くなる上は!」
追い詰められた忍びの手が握り締めていたのは……童の痩せ細った腕!
その近くには、その不穏な動きに未だ気付かず、他の風魔と対峙する梅丸。
男はぐいっと童を引き摺り出し、その手に火種を握らせると、次の瞬間、浅緋の忍び目掛けてその子を放り投げた。
「え?」
「梅ーーっ⁉︎」
『不用意に名を呼んではならない』
忍びの戒告を忘れた蘇芳丸の叫びが、辺り一帯に響き渡ったのだった。




