報告 ー国境交戦ー
揃って頭を下げた二人のうち、兄である鏑矢がさっと顔を上げる。
毅然としたその三白眼を里長に向けると、硬く一文字に閉じていた口を開いた。
「はっ! 申し上げます! 我等、亥ノ組は里長の命を受け、相模国…… 風魔の忍びによる国境越えを阻止すべく、武蔵国分寺よりもさらに南へと馳せ……富士見塚にて敵と刃を交えることとなりました」
「富士見塚、か」
里長が懐から折り畳まれた地図を取り出し、床に広げ、指でそっと撫ぞる。
「……こんな辺りに山も林も何もない……見晴らしの良いところでとは、随分と好戦的……どうせ奴等から仕掛けてきたのだろ?」
「はい……突如、数多の忍びに囲まれ、我等五人は散り散りとなり……そして私と鎖紅は敵方に捕らわれました」
言いながら、鏑矢の瞳の奥が揺らめく。
さぞ、憎いのだろう……敵も……弱い己自身も……。
「同一の忍び装束が故、取り囲む敵方が風魔だけではないことへの察知が遅れた愚かしさを……悔いても悔やみきれませぬ。『氣』が……まるで異なっていたのに……」
「……それにしても、亥ノ組がまんまと手玉に取られるとは……まるでお前らが来るのを待ち構えていたようだな」
「……」
その言葉を聞き、私はじいっと父上を見つめた。
その視線に気づいて慌てて彼は声を張る。
「なっ⁉︎ 俺は敵方に漏らしたりはしておらんぞ!」
………………
「……私はそのようなこと一言も申しておりませんよ?」
「お、おう……そうだな、すまん」
「父上。我等の手の内を知りつくし、幾手も先に駒を進める……そんな頭の切れる男が一人、いるではありませんか」
「……はぁ……くそっ! 草兵衛め」
父上が溜息を吐き、天井を仰いだ。
亥ノ組も浅緋の忍びの中では優秀な隠密だ。
だが、各々の得手不得手を知られていては、赤子の手を捻るかの如く。
行方をくらませた彼の顔を思い出す……幹兵衛とよく似た、物静かな眼鏡の男。
芹殿の隣で柔らかく微笑む……片親を亡くした私はそんな二人を見るのが好きだった。
だが……容赦無い所業。
まだ、心のどこかで……それでも信じたかった……鬼に魂を売ったのだな、草兵衛殿。
「おい、鏑矢。井蔵の奴は、木賊の企みに気づいていたようだったが、お前らは知らなんだか?」
「「そ、それは……」」
問われて二人は顔を見合わせ……今度は鎖紅が徐に口を開いた。
「以前、任務の途中で耳にしたことが……なんでも、様々な戦場に現れる薬売りがいる……と」
「薬売り?」
「だが、おかしなことにいつも敗者側の陣地で商いをするらしく……死人に口無し。風聞は嘘か真か定かでは無くて……」
情報収集に地方行脚、戦場は格好の場所。
死にたくないと足掻く者達が、地獄の亡者のように薬売りに群がる様相……目に浮かぶ。
そして、荒れ果てたその地で、生き残った者達を拾い集めた、か。
「さて……」
父上の言葉でふっと我に帰り、彼の後ろ姿に視線を向ける。
「鏑矢、鎖紅。お前らが囚われた時の状況を申してみろ」
里長に促され、二人はまた頭を下げ、口を開く。
「はっ! ……やや記憶に乱れが御座いますが……風魔・筑貢ら複数名に取り囲まれ争う最中、痺れ薬を塗られた刀で斬られ、動けなくなった所を捕縛されました」
「そうか……過ぎたことを言っても仕方ねぇが……ちと、だらしねぇなぁ……」
「里長!」
「……はいはい」
今は彼等にお小言を吐いている場合ではない。
じろりと睨むと父上はひょこっと首をすくめたので、私はそのまま話を続ける。
「お前達……敵方の中に此奴らはいたか?」
私は懐から胡桃が描いた似絵を取り出し、開いた。
二人はじっとそれを凝視し、首を横に振る。
「忍び装束で顔を覆っておりましたから、人相は分かりかねます……ただ……」
そっと鎖紅は似絵の項を捲り、胡桃の遭遇した三人のうち、大柄な一人の男を指差す。
「この者……身体的な特徴が似通っている者があの場にいたように思います」
「そうか……ん?」
「どうした、若?」
父上が不思議そうな顔で私を見つめる。
「なんでしょう……何か……ひっかかる……」
何だろう?
何か……見落としていないか?
私は呟きながら、己の頬に手を当て摩る。
………………
「はっ!」
そして気づき、胡桃を振り返る!
「若、どうされました?」
「胡桃……あの日、敵方に遭遇した際……奴等は顔を隠していなかったのだな?」
「‼︎」
私の言葉で胡桃もはっと表情を変える。
「忍びがわざわざ目の前に現れること自体が異質なのに……此奴らは何故、胡桃の前で素顔を晒したのだ?」
「うっかり顔を覆うを忘れた……っていう阿呆ならまだ可愛げがあったんだが……恐らく何かしらの目的があったはず……」
そう言って父上は胡桃を見遣る。
「草兵衛の読みで、お前が筑貢の里へ向かうと踏んだだろう。そして、月夜の闇だとしても三人の顔をしっかりと覚えさせて浅緋の里へと帰した……」
胡桃は何事においても才覚がある。
似絵を描かせたら、精巧に写し出せるのは彼も想定済みだったろう。
「確かによくよく考えてみりゃ不自然だな。浅緋の者に顔を知られても痛くも痒くもないという自信の現れ……ならば放っておくが……敢えて、見せつけることで奴等はその存在を印象付けているのか? ……もしかしたら相貌を変えている可能性だってある」
「……」
あらためて似絵の中、動かぬ三人をじいっと眺めた。
浅緋の忍術、氣葬術の一つに『霞面』の術がある。
相手からの相貌認識を歪める技だ。
他の忍び里にも独自に伝わる同様の術はあるかもしれん。
だがあの日、胡桃が何かしらの術に掛かった様子はみられなかった。
「おい、皆。この三人の顔に心当たりはあるか?」
そう言って父上は並び座る者達に声を掛け、似絵を回す。
目を通した者達は揃って首を傾げたり、横に振ったり、同じような仕草を見せた。
だが、一人……渡された冊子を食い入るように見つめ、ちらちらと長い前髪の間からその怯えたような視線を動かしている。
「どうした? 鋼太郎?」
「ひゃぁっ! す、すみません!」
私に名前を呼ばれて飛び上がった少年は条件反射のように謝罪を口にする。
「謝らんでいい。気づいたこと、些細なことでいい。間違っていても良い。申してみろ」
「えっ……あっ……あの……ぼ、僕のき、気のせいかもしれませんが……」
そう言って、鋼太郎は鎖紅が見たかもしれない大男の絵を恐る恐る指差す。
「この者の顔……ど、どことなく……す、蘇芳に似ていませんか?」
予想外な鋼太郎の言葉に、皆が一斉に固まる。
辛うじて喉を通過できた己の声は、何の音にもならず口から外に吐き出された。
だが、この短い沈黙は彼の手癖の悪さで一瞬にして掻き消された。
すぱーーん!
「おい、ふざけんなぁーー! 誰があんな山猿みたい大男と似てんだよーーっ⁉︎」
「ちょっ、や、やめてよ蘇芳。そ、そんな力いっぱい平手で頭、叩かないでよぉぉっ〜〜!」
「うるせえ!」
名指しされた少年が喚き、鋼太郎は半泣きで頭を押さえながら縮こまる。
「や、やめとけ蘇芳!」
「何をしている! 里長の御前だぞ!」
「鋼太郎を虐めんな!」
「だってよぉーーっ‼︎」
囲炉裏端は、ぎゃあぎゃあと騒がしくなる。
………………
有り得ない……無礼が過ぎるぞ、蘇芳丸!
数名が荒くれた少年を黙らせようとしたが、余程、腹が立っているせいか、いつも以上に力が溢れていた彼を皆が押さえ込めず、其々の手は払いのけられた。
まるで鬼神のような強さ……いやいや、こんなところで発揮するなよ、阿呆!
私は怒りで震える拳をぐっと握り締めながら、静かに口を開く。
「い、いい加減に……」
「蘇芳、脱力しろ」
「‼︎」
私が話し出すのとほぼ同時に、真横で胡桃が言葉を放った。
ひゅっ! ずだーーんっ‼︎ ぐしゃっ‼︎
胡桃の術に掛かった途端、すっと力の抜けた蘇芳丸は呆気なく潰された。
彼からの抵抗が無くなったので、皆はさっと元の位置に座す。
私は内心呆れながら、半目を開けたまま伸びている少年をちらりと見下ろす。
脱力、か……手足も胴も力が入らなければ、床板の上で転げたまま、声も上手く出せないのだろう。
こういう場合は、仲間である同じ組の者達が世話を焼く。
「そ、そんなに怒んないでよぉ……ごめんよぉっ……」
「流石にここでやっちゃ不味いのは俺でも分かるぞ? うん」
「やだぁ……全身ぐにゃぐにゃで……なんだか蚯蚓みたぁい。阿呆だねぇ」
「……」
辰ノ組の三人はひそひそと話しながら、蘇芳丸を元の席へとずるずる引き摺り戻す。
………………
おい、梅丸よ……心配してる素振りの表情下の顔に『蚯蚓の方が活きがいいじゃん、笑える』と書いてあるぞ? もう少しうまく隠してくれ。
「はぁ……」
私は深々と溜息を吐き出した。
その時、外から近づく、よく知る気配。
ばさばさばさーーっ!
「くるっくーー!」
「あぁ、お帰り捏」
言いながら、里長は戸を開けて、河原鳩を室内に迎え入れる。
流れるように細足の小筒を開け、文にざっと目を通す。
「戌ノ組、思ったよりも早かったな……最早、隠す気が無いのかもしれんな、あちら側には……」
文は浦沼周囲の報告……今の里長の話振りからして、だいたいは予想通りなのだろう。
寺を中心として、築貢の里の再興を叶えんとする……加えて、草兵衛殿達の願い、それに風魔の狙い。
しかし……それよりも、気に掛かる。
先程の蘇芳丸の無礼な行いの最中……里長は終始無言を貫いていた。
鋼太郎の発言の際、彼は否定をしなかったのだ……それは……どちらに捉えるべきなのだろうか?
元服までに、まだ季節をあと一つ越える。
どうも、私が里外に出るのを狙っている……だけでは無さそうだな。
里長は文を軽く握り、反対の手で頭をがしがしと掻きむしる。
「あぁ! 明日にでも動いて、ぶっ潰してやりたいが……この時期はちと難しい。稲刈りが全て終わらねば動けぬ……それも見越されているのはなんとも忌々しいな」
生きる為に何よりも大切な物は、食糧……主食である米は一日二日で育つ物では無い。
きちんと刈り取り、脱穀し、備蓄しなければ皆、飢えて死ぬ。
それこそ、争いを優先しているような場合ではないのだ。
またしても、沈黙を迎えそうになった室内に美しい声が静かに響く。
「私に……一つ策がございます。試してみる価値はあるかと……」
そう言って私の顔を見つめ、胡桃は柔らかく微笑んだ。




