早稲刈り
夏場……あれだけ騒がしく鳴いていた蝉の声もいつしか絶え、季節は流れるように長月に入った。
たがか一月違うだけでも朝晩は随分と過ごしやすくなってきた、そう肌で感じる。
ざくっ……ざくっ……ざくっ……
浅緋の里中、小気味よく響き渡る音。
年中仕事の為に最も忍びが里に集まるのは正月ではない、この稲刈り月だ。
主食である米が確保できなければ、向こう一年を生きる見通しが立たない。
過去、大飢饉で村人が死に絶えた集落は数多、ろくに文字も知らぬ者達の生きた証は何処にも刻めずに風と共に消える。
死ぬ時まで誇り高くありたいが……大切な里の仲間が飢え死ぬか、それとも他所から略奪するかを迫られたら……己の矜持なんぞ、そこらの野鼬にでも食わせてしまえ。
ざっ……
里長屋敷前に立ち、収穫の状況を把握する。
安心するには早い……まだ油断はできない。
この季節は大嵐が起こりやすく、収穫前の穂を全て薙ぎ倒し、水浸しにして腐らせてしまうことも多々ある。
明日の空を読み、前倒して早稲から手早く刈り取っていく。
ふと、私の耳に、よく知る声がぎゃあぎゃあと響いてきた。
「蘇芳! もっと丁寧にやれよーー!」
「うっせぇな、鉢! 俺はちゃんとやってんぞ‼︎」
「も、も、もっと整えてから束ねて縛らないと、ほ、干す時に解けてばらばらに……」
「は? この阿呆に出来るわけねぇだろ、言うだけ無駄だよ、鋼太郎」
「てめぇ、梅! 喧嘩売ってんのか⁉︎」
………………
辰ノ組は口を動かさずに仕事が出来ないものなのか?
ちらりと見遣ると、近くでは樹丸と泉丸もちょこちょこと作業を手伝っていた。
◇
あの日、幹兵衛は姿を消したまま、とうとう見つからなかった。
胡桃と戌ノ組達が里に戻ったのは、明朝……皆、苦々しい顔をして俯き、駒は哀しげに『くぅん』と弱々しく鳴いた。
こちらの手の内を知る者に追跡を逃れる術を幾重にも施されては、いくら彼等とて痕跡を追えない。
体力の消耗は酷くとも、まだ己の意識は手放してはいないのだな……幹兵衛。
そして、深追いせず里へ戻った皆……賢明な判断だ。
まだ、その時ではない。
浅緋の忍びの抹殺を命ぜられた者達と、どこで鉢合わせるかわかったものではない。
悪戯に命を奪われてはかなわんからな。
◇
がしっ!
「あっ!」
「わ〜か〜!」
「父上……」
ぼんやりしていた為か、あっさりと背後を取られ、いつものように力強く抱きつかれてしまった……。
胡桃は今、遣いに出していて不在。
こうやって父上に絡まれているところを見られたら、また騒がしくなるから……まぁ、丁度いいか。
「どうされました?」
視線は目の前の田に向けたまま、父上に問いかける。
「この前の仮説、『時戻し』についてだが……俺は、筑貢の里でそんな秘術は聞いたことがない……他国の忍びか、宗教者かが裏で糸を引いておるな」
「……」
胡桃の記した報告書を懐から取り出し、改めて開く。
美都利の他に二名の忍び……顔は分からぬが、背格好から芹殿でも草兵衛殿でもない。
むしろあの二人のことだ、胡桃とは絶対に顔を合わせないようにしただろう。
あの段階ではまだ、我等に知られたくなかったはずだからな。
ざあっ……
一陣の風が吹き、手拭いが一枚舞い上がり……私の足元にひらりと落ちた。
「あ、わ、若様ーー! 失礼しました!」
「しつれいしました!」
樹丸と泉丸が仲良く並んで頭を下げた。
飛ばされたのは、泉丸の頭に頰被りとして巻いていたものか。
それを見て、父上が笑った。
「ははっ! 泉丸はあいつに全然似てねぇな。きっと母ちゃん似だな。ほらよ」
きゅっ!
父上が手早く巻き直し、小さな頭を撫でる。
彼等はまた頭をぺこりと下げて、皆のところへぱたぱたと戻って行った。
「泉丸は思ったよりも目醒めるのが早かったな。もう少し、眠り続けちまうかと……」
「……鋼太郎のお陰ですね」
木賊家が裏切ったことで、浅緋の里には今、医術・薬術に精通する家がない。
皆、出来るのは己の最低限の怪我の手当て程度だ。
だが、視力の弱い幹兵衛を補佐するように、鋼太郎は昔からいつも彼を助け、傍らで書に記していた。
小心な彼は同時に慎重に事を運ぶ。
それにより、彼も幹兵衛に匹敵する程の知識がその頭に叩き込まれていたのだ。
鋼太郎はいつもの不安そうな様子で、泉丸の解毒に尽力してくれた。
幹兵衛は……こうなることを予期していたのだろうか?
だが……あんまりにも怖々と不安そうな様相で鋼太郎が薬を飲ませていたのは……こちらもなんだか肝が冷えた。
……もう少し自信を持って取り組んでもらいたいものなのだがな。
ばさささっ!
「⁉︎」
その時、空から翼音が聞こえて、振り返る!
ふっ!
そっと、河原鳩の捏が父上の肩に止まった。
「くるっくーー!」
「あぁ、お帰り捏……」
足に付いている小筒を開け、紙切れをさっと取り出す。
捏は胡桃と共に遣いに出していたのだが…… ざっと目を通している父上の表情で、こちらの予想が当たってしまったことを悟る。
「父上……」
「今宵、全員に集合をかける」
そう言って、父上は手中の文をぐしゃりと握り潰した。




