馬鹿者
「蘇芳、樹丸……」
二人の背後から私は静かに声を掛けた。
同時に彼らが振り向き、私と胡桃に驚いた顔を見せた。
「思いの外、戻ってこないと思ったら……蘇芳。水浴びさせろとは言ったが、衣のまま泳げとは言っていないぞ?」
溜息と共に呆れた声が己の口から漏れた。
隣の胡桃は言葉を発するのを控え、無言でうんうんと頷いている。
樹丸に配慮してなのだろう。
彼が不用意に言葉を紡げば、容易くこの少年の身体の自由を奪ってしまう。
「わ、若! そんなことより大変なんだ! 大樹のこと!」
慌てる蘇芳丸を手で制し、隣の少年に視線を向ける。
「樹丸……お前が知ってること全て、私達に話して欲しい……が、その濡れた着物のまま屋敷に上げるわけにはいかない。代わりの着物を引っ張り出そう。とりあえず戻……」
その時、後ろから走り来る気配……四つ⁉︎
ばっ!
言葉の途中だが、里の中央通りを振り返る!
「わんわんわんっ!」
「駒⁉︎」
「若ーー! 大変です!」
犬の駒を先頭に、丑ノ組の三人が後に続く。
いつも優美な元が焦った声を上げた!
千鳥は私への報告後、青葉邸へと向かった為まだ三人と合流していないようだが……何かあったか⁉︎
「み、幹兵衛がっ‼︎」
常吉が顔を歪めて声を上げた!
◇◇◇◇
ざざっ!
炎天下、急ぎ里を走り抜け、木賊の家に向かう!
皆、一言も発せず、私に続く。
先程の志麻の悲鳴の時と同様、この暑さなのに冷たい汗で身体が凍っていく感覚だ。
……どうか杞憂であって欲しい。
心からそう願いながら、足を一段速めた。
ばんっ!
「幹兵衛ーーっ‼︎」
「わ、若……」
激しい音を立て、家の木戸を開け放つ!
だが、その家の中にいたのは、眼鏡の少年ではなく、辰ノ組の鋼太郎だった。
……今にも泣き出しそうな顔だ。
「み、幹兵衛が……」
「⁉︎」
彼の両手の中に握られているのは、竹皮でできた文が一枚。
その手が微かに震えている。
「見せてくれ!」
ばっ!
奪い取るかのように文を掴み、ざっと視線を走らせる。
幹兵衛の書いた文字……久々に見たが……ははっ、汚いな。
蚯蚓が這い回ったようで、ひどく読みにくい。
読めないでほしい。
この目が間違いであってほしい。
目の前の現実が……私には受け入れ難い。
『己の責任を取る為、筑貢を追います 幹兵衛』
「幹兵衛っ! ふざけるな、あの馬鹿者め!」
ぐしゃ!
思わず手に力が入り、握り潰した竹皮が裂ける。
文を左手に持ち替え、右手を土間に突く‼︎
「顕霞!」
どんっ! ぶわっ!
己の霞を広げ、里中を全力で探る!
……だが、どこを探しても眼鏡の少年の姿は見当たらなかった……。
あの瀕死な身体で浅緋の里を出ただと⁉︎
幹兵衛よ……お前一人で一体何ができるというのだ?
なぜ、私達を頼らない?
どうして……どうして……お前達は……。
「若?」
丑ノ組の三人も、樹丸を小脇に抱えた蘇芳丸も、状況が分からず困惑の表情を浮かべている。
ただ一人、冷静な胡桃だけがじっと部屋を見回した後、足元にいる犬の駒を見つめ……理解した。
「若、私の方からよろしいでしょうか?」
「……胡桃……いいだろう、頼む」
彼の表情から、私が隠そうとしていたものが露呈してしまったことを悟る。
「これは緊急の事態。浅緋の全忍びの召集を願います」
「……そうだな。まずは里内にいる者に周知させようか……だが、その前に一度、どうしても里長と話がしたい。それが済み次第、号令を掛ける」
「はっ!」
皆に視線を走らせ、指示を出す!
「丑ノ組三名は千鳥と合流し、暫し休息を取れ! 鋼太郎は駒と戌ノ組に幹兵衛の捜索を指示し、お前も同行を! あの身体ではそう遠くへは行けないはず……。蘇芳と樹丸は里長屋敷へと一旦戻れ!」
「「「「「はっ!」」」」」
「わん!」
すたっ!
皆が一斉に飛び出し、胡桃と私の二人きりとなった。
「……この前、若が隠していたのは……このことだったのでしょう?」
けして責めるつもりではない柔らかな声が兄者の口から溢れる。
「あぁ、あの時は……確証がなかったから、言えなかった……すまん」
私はそっと頭を下げた。
すると、彼の指が私の顎をくいっと持ち上げる。
「貴女の頭を下げさせたい訳じゃない。どうか……一人で抱え込まないで……」
その言葉でまた涙が込み上げる。
情け無い……己が本当に情け無い……。
目を擦ってから、彼に視線を返した。
「胡桃に言われた通りだ。この前、井蔵から聞かされた『浅緋の里に間者がいる』と……」
「誰か……既に若には見当がついていらっしゃったんでしょう?」
「あぁ……だが、その名を出して弁解の余地なく消されては困ると思い、濁した……それがこんなことになるとは……幹兵衛……彼奴も気付いたのだ」
「つまり、それは……」
「あぁ、間者は芹殿……そして恐らくは草兵衛殿も……」
主が不在、もぬけの殻となった木賊の家の中で、私の声だけが妙に響いたのだった……。




