命名
すっ……
胡桃が芽吹殿の足元に跪く。
いや、彼女の後ろにいた私に向かって、だな。
一拍遅れて、丑ノ組四人も一斉に片膝を付いた。
きょろきょろと彼等の様子を見回しながらつっ立っていた蘇芳丸は、ようやく私の存在に気付いて声を上げた。
「うぉっ! な、なんだ、若いたのか‼︎ 禿すぎて全然気付かなかっとうぉ……」
どん、がん、ぐしゃ、ばき、べしゃ‼︎‼︎‼︎
「〜〜っ⁉︎」
一瞬にして、同時に五人から押し潰された蘇芳丸が、彼等の下で声にならない呻き声を漏らした。
……本当、もういい加減、学習しろ!
すとっ。
蘇芳丸の上に遠慮なく正座した胡桃が、再度、深々と頭を下げ、その柔らかな声を発した。
「只今、戻りました……若」
「あぁ……よく戻ったな……うむ。とりあえず、蘇芳の上から降りてやってくれ」
「はっ!」
そっと胡桃が蘇芳丸の背中から降りた。
ざっ!
すると今度は、他の四人に加え、芽吹殿が揃って私に頭を下げた。
蘇芳丸は……這いつくばり、頭は地面に付いたままの姿勢で動かず、何も言葉を発しない。
そうだな。
今は何をしても先輩忍者からお叱りを受ける。
黙ってるのが一番賢い方法だ。
ちらりと見遣ると、元は若君を、千鳥は敵方の忍びをその背に乗せていた。
丑ノ組の隣に並ぶ芽吹殿……顔にこそ出していないが、彼等の様子を訝っているのは気配で分かる。
……当然だ。それでいい。
「皆、場所を移し、報告を。……芽吹殿、またな」
「はっ!」
『後で伝える』の意を込めて、彼女を下がらせてから皆を見回す。
「付いて来い」
「「「「「「はっ!」」」」」」
そう彼等を促し、北の屋敷へ続く道を皆で連なるように歩いた。
◇◇◇◇
里長屋敷へと戻る道すがら、大筋の話を聞き取った。
まさか書状渡しの任務がこうなるとは……。
屋敷に到着し、いつものように囲炉裏を挟んで上座と下座に分かれ座る。
すると、状況を察したじいとばあが、仕舞い込んでいた寝呉座を部屋まで運んで来てくれた。
一枚は上座に敷き、その上に泉寿様をそのまま寝かせ、もう一枚は下座の千鳥の横に敷き、筑貢の忍びをそっと転がせた。
その様子に驚き、千鳥が思わず声を上げる。
「若……その……宜しいのでしょうか?」
敵方の少年は板の上に直で寝かすか、庭先に転がすとでも思っていたのだろう。
片や城の若君、片や憎き仇の一味。
それを同列に扱う様に戸惑うのは正直な反応だな。
「……浅緋の里にやって来た者達は、南の社を通った時点で、誰であろうと、外でどんな身分であろうと、分け隔てなく『里の者』として平等に扱う……それが私の考えだ」
そっと眠る敵方の少年の顔を眺める。
……血色の悪い顔、貧相な身体、そして漂う血の匂い。
筑貢の純粋な忍びは、恐らく毒女、美都利のみだ。
故に、この子供も奴等の……いや、戦の『犠牲者』なのだろう。
眠らされているのは……胡桃の術か。
彼等が浅緋の里に、筑貢の忍びを連れて来た……という時点で、連れられた少年は我等に害成す存在では無いということだ。
いつもとは異なり、下座に座る胡桃にちらりと視線を送る。
その美しい瞳は『相変わらず甘いですね』と私への苦言を湛えていた。
「皆が里へ連れ帰ると判断し、胡桃が術を掛けているのだから、この者は問題ないのであろう? それだけお前達のことを、私は信用している」
言わなくても伝わる……だが、敢えて言葉で示した。
「若、卜寸殿より書状をお預かりしております」
「うむ」
八郷城主、卜寸殿からの書状を受け取り、その隅々に目を通し終えてから、私は小さく溜息を吐き出した。
「今、齢三つの泉寿様を九つまで浅緋の里で育てて欲しい……とは……」
いずれ城を担う若君が、幼少期を寺院で過ごすことは多々ある。
礼儀作法、学問、教養、他者との関係……城内という狭い環境だけでは知ることの無いものを多く学ぶ。
その上、身分が暴かれなければ、命を狙われる危険性も下がる。
それを我が里で行え、と?
これはいつもの任務以上の責任が伴うな……が、それだけ信用されていることの証でもある。
……我等の何がお気に召したのだろう?
「筑貢に狙われたことでご決断なされたのでしょう」
「……任された以上はお引き受けせねばな。では、皆の者。泉寿様も、この八と呼ばれる者も里の仲間だ。そうだな……泉寿様は泉丸として、里で生きて頂く……だが、今暫く夢の中にいてもらおう……で、こちらだな」
私の言葉を合図に、胡桃が口を開く。
「八、目覚めよ」
ぱちっ!
胡桃の言うがまま、敵方の少年はその瞳を開けた。
私は彼の側に近寄り、そっとしゃがみ、声を掛ける。
「私はこの里の里長代理だ。お前は今日から、この里で暮らしてもらう」
「発言を許可する」
「……な、なぜ……生かした?」
揺れる瞳で、少年は乾いた声を漏らした。
私は彼の問いには答えずに、千鳥をくるりと振り仰ぐ。
「千鳥、何でだ?」
「えっ⁉︎」
急に話を振られて驚いた声を上げるが、すぐに彼はいつもの落ち着いた声で、静かに言葉を放った。
「そうですね……若や大樹なら、きっとそうすると思ったから……ですかね」
「そうか……」
「⁇」
今の言葉では、少年の疑問は解消されていないようだ。まだ怯えた表情を崩さない。
「呼び名は『八』だと聞いた。だが、浅緋の里に来たからにはその名は捨ててもらおう。さて、何が良いか……」
「あ……あの……あ……」
「……」
「良い、言ってみろ」
胡桃が一瞬、動き出そうとしたがそれを制し、少年に先を促す。
「あの……耳環の人は……『たいじゅ』さんと言うのですか?」
「あぁ、そうだ。……知っているのか?」
「……あ、あの人は……何度も助けてくれました」
そう言って少年はまた、ぼたぼたと涙を溢した。
敵に囚われても、尚、自分より小さき者を護ろうとしたのか……大樹らしいな。
「そうか……なら、お前は今日から……樹丸と名乗れ。この里で死ぬまで共に生きようぞ」
私はそっと少年の頭を撫でた。
そしてその手を、そのまま彼の顎へとするりと滑り下ろす。
くいっと、顔を上げさせ、私は樹丸の幼い瞳をじぃっと覗き込んだ。
………………
「……記憶は……消されてはいないようだな」
少年の瞳の奥で揺らめく『氣』は、澱むことなく、靄もかからず……何者かによって手を加えられ、捻じ曲げられた形跡はない。
……彼奴とは大違いだな。
そこらの女子よりも愛らしい男の顔が一瞬、頭に浮かんだ。
しかし……正直、意外だった。
捨て駒といえど、筑貢の忍びの端くれ。
我等に捕われた時の為に、不都合な記憶は消されているか、塗り替えられているかと思ったが……そのどちらでもないとは……。
敢えて、重要な秘密や任務には触れさせてこなかったのか……もしくは、記憶を残すことで己の罪に悩み苦しむ様を見たかったのか……。
後者だとしたら、何処までも性根が腐っている。
……元々、切り捨てる予定の拾われ者、か。
後程、胡桃の術で『八』としての記憶を全て絞り出させる予定だが……これではあまり収穫は無いかもしれんな。
べりっ!
考えの最中に、いきなり胡桃が私と樹丸を引き剥がした。
「胡桃?」
「若! まだ得体の知れぬ者にそれ程に接近するのは如何なものかと……それならば私に近づいて下さればいいものを……あ、いや何でもありませぬ」
「心配してくれているところ悪いが、あと少し……」
胡桃をそっと押し下げ、樹丸に向かい合う。
「すまんが、お前の腹の傷を見せてはくれないか?」
「は、はひっ!」
少し驚いた顔をしてから、少年はするりと着物を緩めた。
色白で傷だらけの身体が露わになる。
その痩せて肋骨の浮き出た部位より下の右腹部、縫い傷のある部分だけは不自然にぷくりと膨隆していた。
そっと傷口をなぞる。
………………
「……もうよい。樹丸、お前は衣を整えよ」
「は、はい……」
「泉丸を正気に戻す方法は?」
「わ、分かりませぬ……飴菓子と言って、一つずつ毒を与えては、二月かけて言葉を吹き込んでいったので……」
「……ふむ」
飲まされた分、また時間をかけて毒抜きしていくしかないのか?
今度はくるりと丑ノ組を振り返り、言葉を掛ける。
「樹丸の身体から取り出された物は全て持ち帰っておるな?」
「はっ! こちらに回収済みで御座います。如何なさるおつもりですか?」
常吉が懐から包みを取り出し、広げた。
……思ったよりも量が多いな。
こんな物をこの小さな身体に埋め込むなんて……狂っている。
脳裏に十年前の毒女の顔が浮かび、思わず拳を握り締めた。
「丁度、戌ノ組が里に戻っておる。鉄の出所でも薬の原料でも良い、何かしらの手掛かりを彼奴等の力を使って共に探れ」
「「「「はっ!」」」」
「千鳥、お前はもう暫し残れ」
「はっ!」
四人が綺麗に揃って頭を下げ、三人だけ部屋から出て行った。
それを見て蘇芳丸がきょろきょろと落ち着きない様相。
「蘇芳……お前はちょっと樹丸を水浴びさせてやってくれ」
「え? な、何で俺がっ⁉︎ 子供の相手なんて……ど、どうすりゃいいかわかんねぇよ!」
「……っ!」
「千鳥、良い……」
無礼な蘇芳丸の頭に向かって手が出そうな彼を制し、話を続ける。
「大樹がお前にしてくれたようにすればよかろう? 世話役、頼んだぞ」
「え? え? え? えっと……」
じいっと蘇芳丸と樹丸が視線を合わせる。
互いに困惑している者同士を胡桃がひょいと摘み上げ、部屋から乱暴に放り出し、戸を閉めた。
ぴしゃん!
部屋の中、私と胡桃、千鳥の三人で座り直す。
泉丸は寝呉座の上で、まだ眠ったままだ。
「樹丸は……さながら人間焙烙玉……といったところか……腹に火薬を埋め込まれておる」
私の言葉で二人の眉尻がぴくりと動いた。
「他にも数え名をもらった拾われ者達も多数いるようですから、それらも同様かと……厄介ですね。はっ! 樹丸を火に近づけぬよう蘇芳に言わねば……」
「大丈夫だ。蘇芳は樹丸を護る……必ず……」
「若……」
私は話を切り替えるように千鳥へ尋ねた。
「そうそう、千鳥。蘇芳丸の此度の様子の報告を頼む」
「はっ!」




