戻り道② ー涙ー
正座をし、項垂れながら涙を溢す敵方を前に、千鳥、時人、蘇芳丸……三人の忍びは困惑を隠せない。
先程までの張り詰めた敵意などどこにも見当たらない。
まだ幼さの残る少年だけが、薄闇の林の中でさめざめと泣いていた。
「な、何だ、いきなり……わ、罠か? 俺らを油断させようとしているのか⁇ そ、そうはいかねぇぞ!」
人の涙にめっぽう弱い蘇芳丸。
口ではそう言いながらも、警戒心がやや薄れている。
これがもし、戦場での敵の罠だったら、右往左往している間に、あっという間に逃げられてしまうだろう。
若から大目玉を食らうのが目に浮かぶ。
「……いや、これは……本当にただ泣いているだけだな……まさか?」
時人がはっとして、千鳥を振り返る。
「……おい」
千鳥が正座する少年の髪を掴み、ぐいっと雑に顔を上げさせる。
己の髪をざっとかき上げ、左耳を彼に見せつけた。
「お前……もしや、この耳環の持ち主に会ったことがあるのか?」
「……っ!」
少年の瞳が大きく見開かれ、悲しげに顔が歪む。
言葉は返らずとも……それが答えだ。
「あいつは……亡くなった、これは形見の品……優しい男だった……だろう?」
「……」
こくんと小さく少年が頷く。
涙が正座する小さな膝の上にぽたぽたと落ち、着物が水滴で滲んだ。
「……そうか」
掴んだ髪をそっと離し、その手で優しく少年の頭を撫でた。
そして、なんとも言えぬ表情を浮かべる。
心根の優しい青年は今、何を想うのだろう。
「千鳥……」
蘇芳丸が声を掛けた瞬間、ざわりと辺りの空気が変わった。
すっ……
「筑貢の忍び、動きを止めよ」
ぴたっ!
よく知る声が静かに、それでいて深く頭に響き、正座していた少年はその形のまま静止した。
呼吸も止まっているのか、胴に動きが見られない。
姿無き彼はさらに言葉を加える。
「呼吸は許可する」
「っ! ……っ!」
少年が小さな肩を大きく動かし、息を整えた。
千鳥が声の主がいるであろう方向へと向き直る。
「思ったより早かったな」
「あぁ」
ふわっ!
霞消の術を解いた胡桃がふっと笑った。
先程分かれた常吉と元も、彼の後ろの木陰から姿を現した。
「く……な、何でここに?」
若の補佐役である胡桃がいきなり現れ、戸惑う蘇芳丸。
悪いことをしてもしていなくても、彼を見ると落ち着かずにそわそわしてしまうようだ。
まるで仕込まれた犬の様相。
「敵方の忍びをそのまま里には入れられんし、勝手に死なれて貴重な手掛かりが無くなるのも困るからな……躾てから飼うか、殺すか……」
理解力の足らない未熟者に、丁寧に言葉を返してやる胡桃。
「……っ!」
彼の言葉を聞いて、正座する少年の顔がさっと青ざめた。
だが、身体を動かせない為、恐怖で震えることは許されていない。
「縄を解いてやれ……どうやら筑貢方に俺の故郷の者はいないようだ」
胡桃の言葉で、時人が縛った縄を緩めた。
縄を切った方が手っ取り早いのだが、一把編むにも時間と労力を要する。
貧乏忍者は道具をけして無駄にはしない。
はらり……
「口を開けて、毒を外せ」
「……」
胡桃の言葉に従い、自由になったその手で少年は猿轡を外す。
己の口をがっとこじ開け、歯の裏に仕込んでいた毒をつまみ出し、地面にぽいっと投げ捨てた。
見た目はただの小さな塊……だが噛み砕けば即死する毒がその中には仕込まれているのだ。
「……他にもあるだろ? 身体に隠した毒物、暗器全て外せ」
「……」
ばさっ!
彼の言葉に操られ、少年は身につけていた着物を全て脱ぎ捨てた。
ぐりっ……からんからん!
ぐちゃっ……ことんっ……
ぶちっぶちっぶちっ……かつん!
皮膚を破る音と共に、極小の暗器や毒物の入ってそうな小筒やらが地面へ次々と捨てられていく。
己の身体に仕込まれたもの一つ一つを無表情のまま少年は淡々と引き剥がしていく。
爪の間には抉り出した皮膚片が挟まり、全身から噴き出した血で痩せこけた裸は見る間に真っ赤に染まっていた。
だが、苦痛で少年の顔が歪む様子は見られない。
かしゃん!
小さい苦無を捨て、少年は一旦動きを止めた。
しかし直様、今捨てた物を改めて拾い上げ、その先端を己の腹に向けて振り下ろした!
ひゅん!
「止め!」
ぴたっ!
胡桃の言葉が彼の動きを制する。
苦無の鋒は少年の右腹に触れる寸前で止まった。
「それは……」
言葉を操る青年は、ちらりとその美しい瞳を傷口に向ける。
少年の右腹の古傷……刀傷や火傷の類ではない。
裁縫で丁寧に繕われたかのように……何かを詰め込んだ跡のような傷だ。
「何の傷だ? 発言を許可する」
胡桃が問いかける。
すると少年は首を横に振る。
「わかりませぬ。目が覚めたら地獄のような苦しみと共にこの傷口が身体にありました」
「……ちっ」
胡桃が舌打ちをする。
言惑操術の弱点、当人の記憶でしか自白は強要出来ない……知らぬものは知らぬのだ。
しかし……一体幾つ、その薄いぼろぼろの皮膚の下に埋め込んだ……いや、埋め込まれていたのだろう?
「こいつは酷ぇな……」
常吉が思わず言葉を溢した。
「他はもう無いか?」
「……」
無言で少年は首を縦に振った。
記憶は無くとも、身体に違和感はある。
この頷きは真実なのだろう。
腹の一つを除き、他を取り外し終え、痩せっぽちな少年が血塗れのまま立ちすくんでいた。
「痛みは感じてないようですね……毒か、薬か」
泉寿様の背負い役を千鳥と交代した元が、無い眉を顰めた。
「あぁ……だろうな」
胡桃は此度、痛覚の操作はしていない。
必要ならば言葉を発したのだろうが、どうやら無用だった。
『筑貢の忍びは痛みを感じない』……若への報告がまた一つ追加された。
「……暗器を尻穴に隠す忍びもいると聞いたことはあるが……ここまでとは……」
時人も声は静かながら、驚きを隠せないようだ。
「誰がやった?」
「美都利様にございます」
「あの女か……お前は拾われ子だな?」
「はい」
「他に何と言ってた?」
「……『塵拾いをするのが好きだ』と仰っていました」
「……塵?」
胡桃のこめかみがぴくりと動いた。
「はい……拾われた我等はそう呼ばれておりました。『名前など不要』と……」
「じゃあなんと呼ぶのだ?」
「俺は数え名で『八』と……」
「……畜生以下ではないか!」
「……っ」
胡桃の怒りの声で、少年の目からはまた涙が溢れ出した。
その時、同時に二人が動いた。
ばさっ!
「「もういい!」」
千鳥と蘇芳丸の声が重なる。
二人は手に持った着物で少年の身体をそっと包み込んだ。
「……胡桃……もう……いい」
千鳥が地面に片膝を着き、敵方の少年をその手に抱えながら、美しい青年に言葉を掛けた。
彼の隣でしゃがむ蘇芳丸も嘆願の眼差しを向けている。
それに対し、じいっと冷たい視線を二人に向け、胡桃が深々と溜息を吐いた。
「はぁ……間抜けな顔を二つ並べよって……」
「「……」」
呆れた声が返り、二人は口を硬く噤んだ。
この場にいる者は皆、仲間である大樹の仇である筑貢の忍びを殺したい程に憎い。
その中でも……己の無力さを最も悔い、憎悪の念が人一倍強いのは千鳥だろう。
二年前のあの日、丑ノ組が山中で敵方に囲まれた際、責任感の強い組の纏め役が足止めとしてその場に一人残ろうとした。
だが、そんな千鳥を大樹が突き飛ばし、自らが残ることで仲間四人を逃したのだ。
「あの時……残るべきは俺だったのに……」
ぽつりと千鳥が呟き、そっと左耳を触る。
千鳥は後悔し続けていた。
そして胡桃が、大樹の首を落として空に逝かせたことを知り、また自分を責めた。
二年間、けして探さなかったわけでは無い。
だが、同じ武蔵国内で仲間はまだ生きていた……なぜ大樹の生存を信じてやらなかったのか、なぜもっと血眼になって探さなかったのか、と……。
八郷城で筑貢の忍びと遭遇したことで、怒りの矛先は全て相手へと向かった。
しかし、この場にいる憎むべき相手もまた虐げられた者。
行き場の無い想いは彼の中にどす黒く渦巻いたままだ。
「振り返っても大樹は還らん……そして、千鳥……甘いな」
「そうだな……だが、忍びであっても、俺は最期まで人でありたい。この子供を見捨てるような『人で無し』にはなりたくない」
「……っ⁉︎」
蘇芳丸が千鳥を二度見した。
『俺に腹下し薬を飲ませといて、おいおいどの口が言うか⁉︎』と言わんばかりに目が物語っている。
「だが、千鳥……お前がそれで良しとするなら……俺からは、あと一つだけとしよう」
そう言って、着物に包まれ顔が隠れている少年に向き直る。
「あの女……美都利からは、何と言いつけられている?」
筑貢の忍びを率いる者の名を上げた。
「浅緋の忍びは殺せ……それと、火には近寄るな……と」
「……そうか……ならば、お前はもういい。何も聞こえぬ程に深く深く沈むように眠れ」
「……」
ひゅっ……
胡桃の言葉を聞いた途端、少年の全身から力が抜け、がくりと膝から崩れた。
「すぅ……すぅ……」
千鳥は腕の中で静かな寝息を立てる少年をそっと横にし、着物を整えてから背負い直し、己の左耳の耳環を軽く撫でた。
「さて……」
丑ノ組と蘇芳丸を見回し、胡桃が口を開く。
「蘇芳の初仕事は八郷城主に書状を届けるだけの任務だったはずだが……全く、何をどうしたらこうなるのだ?」
先程の元とまるで同じような言葉を溢した。
「あ、あはははは……」
蘇芳丸が苦笑いしながら、頭を掻くのを横目に、また溜息を吐き出し、促した。
「まぁ、無事なら良い……皆、里に帰るぞ」




