八郷城主①
八郷城内は、しんと静寂に包まれていた。
武士と言えど、たかが人間。
疲れた今日の身体を休めなければ、来たる合戦で思うようには動けない。
動けぬ者に……明日の己の命の保証などない。
薄く開いた木戸から溢れる新月の夜。
暗い黒い深い闇。
だがこの暗闇でも昼間と変わらずに動ける者達がいる……忍びだ。
木戸の隙間から部屋を抜ける微かな温い風は、室内にするりと滑り込んだ曲者達の腰帯をそっと戦がせた。
二つの影は音も無く床に膝をつき、互いに顔を見合わせ頷く。
「夜分失礼致します、城主殿」
「⁉︎」
抑揚のない蘇芳丸の声掛けで眠りから覚めた男は、寝床から勢いよく飛び起きた!
がばっ! がっ、ひゅん!
暗闇の中、い草の寝茣蓙の上に片膝をついた白い小袖の殿は、枕元の刀を瞬時に抜き、無礼な侵入者の眼前に刀の切先を突きつけた!
ぴたっ。
「何者じゃ⁉︎」
夜目の効かない状況で臆することなく、俊敏な動き……この城主は真の武将だ。
「我等は浅緋の忍びに御座いまする」
「浅緋の……戸の向こうで小姓共が寝ずの番をしていたはずだが……殺めたのか?」
「あ、殺めてはおりませぬ!」
「静かに眠って貰っております」
慌てる蘇芳丸の横で、千鳥がそっと言葉を足す。
「そうか……」
暗闇の中、城主の瞳が鋭く光るのを二人は見逃さなかった。
「ど、どうか小姓達を処することはおやめください!」
「我らは忍び、気付かれないのが御役目」
「……ふん」
考えを読まれたのがおもしろくなかったのか、子供のように鼻を鳴らした。
かちゃっ……
枕元にそっと手を伸ばし、城主殿は二人に振り向いた。
「火を灯せ」
「え? 火?」
「はっ!」
千鳥はそっと袖を捲り、前腕の鉄甲を擦って、突き出された燭台上の蝋燭に火を灯した。
以前にも同様の事があったのだろう、察しが良い。
揺らめく灯りで、室内に影が三つ浮かび上がる。
八郷城主の卜寸殿は武将には珍しく、月代を作らない総髪に、猪の毛並みのような髭を蓄えている。
心火逆上なぞ、どこ吹く風といった心持ちだ。
「我が主より、卜寸殿へ書状を預かっております。どうぞお納めください」
「ふん」
蘇芳丸の差し出した書状を乱暴に受け取り、ざっと目を通し……。
ぐしゃっ!
若からの書状を両手で握り潰した。
「なっ⁉︎」
「ははっ、甘っちょろい浅緋の若造め。こんな書状よりも、さっさと駒を送れば良いものを……おい、お前ら。寝所に忍び込むとは見事である。この儂に仕える気はないか? 報酬は弾むぞ!」
「「……」」
「武士でなくて良い。農民だろうが、忍びだろうが出自なぞ、どうだって良いのだ。力のある者を重用しているのが我が軍だ。お前らなら上へ行けるぞ。下剋上、おおいに結構! ん? どうだ?」
戦国の世は力こそ全て。
浅緋の若君の考えこそが異端なのだ。
「お、俺は……浅緋の忍びです!」
己の主を軽んじられた少年は、怒りで震える拳を握り締め、そう吐き出した。
「今は堪えろ」
「くっ、分かってらぁ!」
頭を下げた姿勢は崩さずに、目の前の城主には聞こえぬ忍び声でそっと会話する二人。
強く握り続けた蘇芳丸の拳は爪が肉に食い込み、掌からじわりと血が滲み出る。
己は主の文句をぎゃあぎゃあと喚くが、若のことをよく知らぬ余所者にとやかく言われると、いくら己よりも位の高い城主殿といえど、腑が煮えくりかえる思いなのだろう。
随分と我儘なものである。
「落ち着け……落ち着け……」
目を閉じ、心を宥め言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す。
任務中に冷静さを欠くなど、御目付役の千鳥に報告されようものなら、また若に深々と溜息を吐かれてしまう。
その時、よく知る微かな笛の音が二人の耳に届いた!
ぴーーっ!
「笛⁉︎」
「笛じゃと? ……儂には何も聞こえんが?」
城主はきょろきょろと天井を仰ぐ。
「忍笛に御座います。仲間が一人、他里の忍びの動向を探る為に城内に潜入しておりますが、その者からの合図です!」
千鳥が淡々と申し上げるが、内心の焦りが僅かに声に顕れていた。
此度、二手に分かれた丑ノ組の中で、待機組は元と常吉。
城の外で状況を注視している。
時人は潜入組。
蘇芳丸、千鳥と同時に八郷城内へと忍び込み、途中で分かれた。
「我等の任務は殿に書状を直でお届けすること、つまり既に完したものであり……ここからは我等の範疇外……城内、勝手に動くことを何卒お許し頂きとう御座います!」
千鳥が素早く頭を下げ、蘇芳丸もそれに倣うようにさっと体勢を低くした。
二人の忍びと、手元の握り潰した文を交互に見遣り、武士の直勘に従い、城主は太い声を上げる!
「行け!」
「「はっ‼︎」」
許可と同時に、浅緋の忍びが爆ぜ駆ける!
部屋に一人残された城主もすぐに立ち上がり、刀と灯りをを携えて、戸を開けた!
ばんっ!
「……はっ! 卜寸様!」
「ま、誠に申し訳御座いません‼︎」
戸の音に驚き、飛び起きた小姓達は今起こした頭をすぐまた下げ、床に擦り付ける。
二人共小さな身体をがたがたと震わせている。
寝ずの番が居眠りをしたのだ、城主の手の中で光り輝くその刀で、首を撥ねられてもおかしくない失態。
だが、恐ろしい城主は構わずに言い放つ。
「行くぞ! お前らも来いっ!」
「「はっ‼︎」」
青い顔をした小姓を伴い、城主はどすどすと階段を駆け降りた。




