蘇芳丸の初任務
若からの命令を受けた五人は里長屋敷を出て、そのまま千鳥の屋敷へと立ち寄った。
千鳥の母と姉は既に他界している。
父親も長いこと外の任務に出ており、兄達も不在がち。
一人暮らしが長い為か、丑ノ組の集合の場は決まっていつもここだ。
里の東に位置し、青葉邸からも程近い。
ごそっ……。
「蘇芳、これを持て」
「ん? 何だこれ?」
千鳥が小さな布袋を蘇芳丸の目の前に突き出した。
「兵糧丸だ。今宵、八郷城内に忍び込む。腹が減っては動きが落ちるからな」
「あの城は左程ここから遠くねぇが……俺らにゃ下準備が必要だ。用意が出来たら即出るぞ。水は忘れるなよ?」
そう言いながら常吉が蘇芳丸の頭をがしがしと乱雑に撫でた。
「痛っ! 痛えな、おい。っつうか、常吉! さっきはよくも……」
「若に対して無礼を働くお前が悪いのですよ。はい、八郷城内外の地図はこれ。出立までにちゃんと頭に叩き込んでおきなさいね」
掴み掛かろうとする少年を、元が柔らかく嗜めながら、ひらりと大判の紙を床に広げた。
「……うちの組は八郷城からの仕事を受けたことがない……亥ノ組は受けていたな」
時人が小さな声でぼそぼそと呟く。
「何でだ? 近い城なら依頼はどさどさ来るんだろ? 丑ノ組にだって当然、回ってくるだろ?」
「依頼は里に山程来ているようだが、若が断っているんだろう、と花鳥衆が噂していたな」
「はぁ? おいおい、忍びが仕事選んでて大丈夫なのか?」
千鳥の言葉に呆れた顔をする蘇芳丸。
その頭を常吉が強めにこづいた。
ごんっ!
「阿呆め」
「だ・か・ら、殴んなっつうの!」
「蘇芳……若はねぇ……我等、里の者達をどうにかして守りたいのですよ」
元が蘇芳丸を羽交締めにしながら、じたばたする彼に優しく言葉をかける。
「何じゃそりゃ?」
「ここら周辺の城の中で……一番、手駒の命を捨てる城主だからだろう」
「ふぅん。でも、そんなんじゃ臣下は誰もついてこねぇだろうが……」
「褒美で釣っているのですよ。もしくは、絶対的な武力によって……」
そう言って、元は蘇芳丸をぱっと解放した。
「あの城の奴等は略奪、虐殺を良しとしてっからな。野蛮だろうが卑怯だろうが、勝ちゃいいって算段だ」
「……その為に、忍びは何かと使い勝手がいい」
「そんな糞城主の息子殿を救う為に、俺らは書状を直に届けるってか?」
ぶすっとした顔をする蘇芳丸の頭を今度は千鳥が優しく撫でる。
「いいか蘇芳。此度の任務は、人知れず潜入し、対象以外に見つからずに帰還する……霞消の術が使える浅緋の忍びならば容易い仕事だ」
「うぐっ!」
その術を苦手とする蘇芳丸が苦々しい顔を浮かべる。
「ほら……お前はすぐ顔に出る。若に叱られるぞ? 八郷城はな、あまり浅緋の里との関係は良好とは言えん。万に一つでも、捕まることがあれば……それは忍びとして何を意味するか、分かるよな?」
「うっ、それは……」
忍びが捕縛されようものなら生き恥だ。
口を割るくらいなら、迷わず自害を選ぶのが常。
「臆するな。お前は……我ら丑ノ組が補佐する」
「しっかりやれよ、蘇芳」
「落ち着いていきましょう」
「……お前を死なせはしないよ」
「千鳥……常吉……元……時人……よっしゃ! 俺はやるからなーー! そんで若を見返してやるんだからなーー!」
べしっ‼︎‼︎
己の主に対して失礼を申す少年は先輩忍者達に叩かれながらも、巳ノ刻に里を出立したのだった。
◇◇◇◇
天高く伸びた杉林の中、最も高い木に登り、八郷城の城下町を眼下に見下ろしながら、蘇芳丸が口を開いた。
「へーーそこそこ大きい割に……あんまり活気はねぇ感じの町だな」
「蘇芳……お前、望空の術を片手では出来んのか?」
「こっちの方が俺はよく見えるんだよ」
両手で目を囲いながら、千鳥を振り向きながら言葉を返す。
「止めろ。そのまま、こっちを向くなよ」
「おいおい……大丈夫か?」
千鳥が手で顔を隠し、常吉は眉を顰めた。
『望空の術』
親指と他四指を寄せ、指で丸を作り、目を凝らしてその中を覗き見る。
氣を眼球に集め、焦点が絞られることで、より遠く、より細やかに物を見るに特化した術だ。
本来、片手のみで発動するのだが、未熟な蘇芳丸は両手を使って覗き込んでいた。
「玄武屋のある城下町とは全然雰囲気が違うのなぁ」
「あぁ、玄さんの? あれは春日代城下……吉伏や石突よりもやや北方だ。あそこは華やかで治安もいいから、人が集まる。そうやって、益々栄えていくんだろうな」
「なるほどな」
逆を言えば、荒廃した町はさらに人の足が遠退き、そして寂れる。
「……そんな半端な術を使っているようじゃ、また胡桃の奴にどやされるぞ?」
「うぐっ!」
静かな時人に図星を指されて、蘇芳丸は言葉に詰まった。
「あぁ、そういや皆、胡桃と同期だっけか」
「あぁ。お前らの前だと完璧を装っているみたいだが……あれも色々やらかしておる」
「えっ⁉︎ 胡桃兄が? そうなのか⁇ ってうおっ! 危なっ!」
意外な話に、思わず身を乗り出した蘇芳丸が落ちそうになり、慌てて杉の木にしがみつく!
「ち、ちなみに、どんな?」
「ん? そうだな……『止まれ!』と言って俺らの心の臓を止めたり……」
「えっ!」
「栗の木の下にいるところを『動くな!』って言って、毬栗を降らせてきたこともあったな……」
「ええっ‼︎」
千鳥の話に爛々と目を輝かせて聞き入る蘇芳丸。
「それで、それで?」
「耳栓した大樹が猿のように木に登って、胡桃のことを木の上から引き摺り下ろしたんだよ!」
思い出し笑いで、千鳥も顔が綻ぶ。
「今でこそあぁだが、不意な発言で術を掛けてしまうのを恐れたんだろう。胡桃は……俺達と少し距離を取っていた。壁を作るというか……その壁を越えていったのが、あの大樹だったんだ……」
「ははっ。大樹兄らしいな」
二人、各々が亡き仲間への思いを馳せる。
「こら、千鳥。あんまりぺらぺら話すと、胡桃に蘇芳が叱られますよ?」
やんわりと元が口元に人差し指を添える。
「大丈夫だよな。秘匿は忍びの基本だから。なぁ!」
蘇芳丸の顔を見て、千鳥がにっと笑う。
そして、すっと目的の場所を指差す。
「今宵、忍び込むのがあの城だ。出立前にも言ったが、内部構造は頭に入っているか? 明るいうちに再度よく地図と城を見て確認し、その頭に叩き込んでおけ」
「おう!」
振り向いた千鳥の髪が揺れ、彼の左耳の耳環が控えめに光った。
◇◇◇◇
日はとっぷりと暮れ、犬の遠吠えが何処からか響き渡る。
家のある者は戸締まりをして、寝床を整え始める頃合いだ。
城からまだ少し距離を開けた川縁の草場で五人は声を顰め、顔を突き合わせていた。
「今宵は月が現れない。……この日に合わせたのだな、若は……」
「あぁ、だからあの時、三日後って言ったのか」
蘇芳丸が納得したように大きく頷く。
月明かりは闇夜を優しく照らす。
陰で動く者達にとっては、味方であり、敵なのだ。
「もう数刻後、動くぞ。ここら町外れは野犬も彷徨く。奴等は下手な城番よりも有能だ。騒がれると面倒なことになる」
「この中で一番美味しそうなお肉は……若い蘇芳かもねぇ」
「げぇっ! やめてくれよ!」
元の冗談で蘇芳丸の眉間にぐぐっと皺が寄った。
鼻の効く獣は非常に厄介だ。
野犬は強い者に付き従い、数頭から十数頭が群れをなす。
幼な子が喰い殺されることはよく聞くが、本来、賢く警戒心の強さから人間の大人が襲われることは稀だ。
だが、一度餌の味を覚えてしまったら……その集団は何度でも人を狩る。
動きも素早く、連携を取り、噛み付かれればその鋭い歯は骨まで達し、あっという間に貪り喰われてしまう。
運良くその場を逃れても、噛み跡から病が広がって身体が腐り、死に至ることも珍しくない。
浅緋の忍びが犬ころ如きに負けはしない。
だが、吠えられ、町衆の盗人見回りにでも聞きつけられては任務に差し支える。
「……野犬の集団、まるで八郷城のようだな」
時人がぽつりと呟き、城を仰いだ。
「いいか、蘇芳。此度、眠り薬は使えん。既に筑貢の忍びが八郷城に紛れているやもしれんからな。我々が動いたこと、気付かれるわけにはいかんのだ」
「お、おう。わ、わかってらぁ!」
少し緊張しているのか、返事の声が少し裏返った。
ばしっ!
「痛っ!」
「大丈夫だ、誰がお前らを鍛錬したと思ってんだ。こんくらいのこと出来なくて、忍びが務まるか、なぁ!」
「常吉……」
叩かれた腰を摩りながら、先輩を振り返る。
「そうですよ。いつもの自信満々な態度はどうしたのです? 私達を吹っ飛ばした時のように、威勢よく居なさいな」
「元……もうそれは言わんでいいって! ……本当あの時はごめんよ」
柔らかな嫌味を言われ、亀のように首を竦めた。
「……お前の能力の高さを俺らは買っている、いや、誰よりも若が……。だから、それに応えろよ」
「時人……相変わらず、慣れないや、それ……」
いつの間にか赤い頭巾を外し、忍びの姿勢になった彼を見つめ、本音を溢す。
「蘇芳、お前が城主殿にこれを届けるのだ。俺は側でただ見届ける……それだけだ」
そう言って、千鳥が取り出した書状を、蘇芳丸の前へそっと差し出した。
ぐっ!
それをしっかりと受け取り、蘇芳丸が懐に仕舞う。
「行くぜ、八郷城」
静かに蘇芳丸が言い放ち、五人はふっと姿を消した……。
ぐるぐるぐるぐぅ……
彼等が立ち去った後、草場の匂いを数頭の野犬達が嗅ぎ回り、真っ暗な空に向かって高く吼えたのだった。
兵糧丸 : 携帯食




