兎鍋
竹皮に包まれた握り飯を携え、里の西へと歩き進む。
青葉殿達が会っていないなら、恐らくこちらに向かったのだろう。
こういう時に術で探索できないのは、やはり些か不便だな。
仕方ない……次からはもう少しだけ、己の氣は残しておくとしよう。
ふと、林の側にある作業小屋が目に入り、私は静かに戸を開けた。
からからっ……
ひゅんっ! かこんっ!
板戸を開けた瞬間に、飛んできたのは……血のついた鉈‼︎
顔の真横で乾いた音を立てて、戸口の柱に突き刺さった‼︎
何もここまでせんでもよかろうに……。
ふぅっと溜息を吐いてから、彼に声を掛けた。
「……やはりここにいたか……井蔵」
「……若」
ぎろっと私を睨みつけてくる顔……少し赤いのは……返り血か?
ちらりと彼の手元に視線を向ける。
……あぁ、仕留めた兎を捌いていた途中か。
裏の林の中には、兎やら狢が巣を作っている……里の大事な食糧源の一つだ。
がさっ!
ふと、後方を誰かが立ち去る音がした。
音を立てるとはまだまだ未熟……五十鈴か……志麻か?
興味本位で私の後を尾けてきていたのか……それに気付かないとは、我ながら情け無い。
花鳥衆は大の噂好き。
また井蔵の悪評が有る事無い事、一気に里を駆け巡りそうだ。
「……」
静かに井蔵は立ち上がり、私に投げつけた鉈を引き抜いては、また獲物を捌き出した。
手際良く、瞬く間に兎はただの食材となった。
「……鍋にする……食うか?」
「え? いいのか? ……じゃあ私はこれを」
そう言って、竹皮の包みを開くと、彼の瞳が一瞬輝いた。
◇◇◇◇
「頂きます」
私は井蔵の作ってくれた兎鍋をつつく。
夏の兎はまだ脂がのってくる前ではあるが、これはこれで、うん、美味い!
「ん?」
なにやら隣で、じぃっと私の椀を凝視してくる井蔵……。
「井蔵、そう怒るな。……お前の食い扶持減らして悪かったよ」
「いや、俺こういう顔なんだよ。……なんだ、若? お前、すっからかんか! ……あぁ、あの眼鏡の坊主に分け与えたか」
私の氣が空なことに気付き、納得したように首をうんうんと縦に振る。
「味がどうだったか、気になっただけだ」
兎鍋の感想が知りたかったのか……相変わらずだな。
井蔵は人相が頗る悪い男だ。
笑顔だけで、町娘に『人殺し!』と叫ばれそうな面構え。
いつもの私ならば多少は察せるが、今日は此奴が何を考えているか、顔からはまるで読めない。
二人、黙々と鍋と握り飯を平らげて、井蔵がぽつりと呟く。
「芽吹は……まだ嫁がないのか?」
誰の握った握り飯だったか……気づいたのだな。
「今の所、縁談話も上がってはおらんな。彼奴は今、花鳥衆を率いる立場だからな……本人もすぐには望んでいないのだろう。……特別好いた男もいないようだしな……」
『お前以外は……』という言葉は飲み込んだ。
「知りたいなら、己で聞け」
「……」
今の花鳥衆長は十九の芽吹殿だ。
過去、里では十八までに婚姻する者が多かったが、くのいちの数が激減した今、彼女は嫁ぐことなく任務に従事している。
子を成したくのいちが前線に出ることは無いし、間諜において見目麗しい若い女子の方が、馬鹿な男共はぺらぺらと口を滑らす。
……梅丸も混ぜてあるが、なんとか上手くやっているようだ。
元々、二人は恋仲だったが、二年前、大樹の葬儀の後に仲違いしたと聞いた。
それから……井蔵は変わった。
里の為に自らを犠牲にして欲しくはないな……私が言うのもなんだが、な。
◇◇◇◇
「若は、辰ノ組を……いや、蘇芳丸を……元服させるつもりなのか?」
また、静かに問いかけてくる。
「それは……本人次第だな」
「そうか」
腕を組み、井蔵は静かに目を閉じている。
『止めろ』と強く言ってくるかと思ったが……彼なりに思う所はあるのだろう。
井蔵は二年前、丑ノ組の元服の際に異を唱えた男だ。
『未熟者達を外に出してはならぬ!』と……。
『元服の儀の直前、胡桃丸が大樹の耳元で囁くのを見た、これは如何様だ!』と憤慨した。
『術で儀礼を通過したのは卑怯ではないか?』と……。
丑ノ組の元服は同期の胡桃のお陰だと言っても過言ではない部分が確かにあった。
だから、井蔵は胡桃にも噛み付く。
井蔵はその顔面や口振りから誤解されやすいが、本来は優しい男なのだ。
自分よりも歳若い世代を死に急がせたくはない……だが、その想いも虚しく大樹は散った。
丑ノ組や蘇芳丸に辛く当たるのは、今からでも忍びではなく里の野良作業に従事させたいという想いが強いからだ。
それを知っているからこそ……私は井蔵や亥ノ組にあまり強く言えてはいない。
「井蔵……あまり、彼奴らに喧嘩を売るな。特に、蘇芳丸……あれは単純だ。止めれば止めるほど、反動で自棄になる」
私がそう嗜めると、彼はふっと口許を緩めた。
「若……俺らは俺らのやり方でやらせてもらいますよ。嫌われ者の亥ノ組ですわ」
以前も同じことを言ったな。
自ら憎まれ役を買って出る……『危険の伴う任務を他の組に回すくらいなら、全て亥ノ組に回してくれ』と……。
「私は……お前達にも己の命を大切にして欲しいと願っているのだが……」
「ははっ! 相変わらず、若は甘いですね……それでこそ、若だな」
嬉しそうに、声を上げて笑ってから、ふっと真顔に戻る。
「また、明朝……俺達は里を発つ予定だ」
「何⁉︎」
私が直近で亥ノ組に指示した任務は完遂している。
……父上か?
亥ノ組は妨害工作が得意だ。
少ない道具を用いて、限られた状況下で機転を効かせて判断する。
反対に、間も無く戻る戌ノ組は諜報に長けている。
適材適所で任務を振っているつもりだ。
「汎様からの内密な頼み事でな……暫く亥ノ組は里を留守にする。半年後には里に戻ってきたいものだが……」
「……極秘事項をそうべらべらと私に話しても良いのか?」
「そりゃぁ若だからな」
凶悪な顔でにやりと口の端を引き上げてから、空の鍋と器をがちゃがちゃと片付け始める。
「そうそうこれは、まぁ……俺の独り言なのだが……この里には……間者がいる。気をつけろよ」
「⁉︎」
私に背を向けたままの井蔵から出た意外な言葉に、一瞬、目の前が暗くなる。
か、間者だと⁉︎
この里に裏切り者がいるというのか⁉︎
一体誰が……?
筑貢の里と繋がっている⁉︎
井蔵の口から名前が出ないということは……まだ確定ではないのか?
頭の中に次々と里の仲間の顔が浮かんでは消える。
だが、まるで思い当たらない……いや、動揺したこの心では犀な違和感を掴むことは出来ない。
「若、お前は俺の言葉を信じるのか?」
「あぁ……井蔵は信頼に足る」
里に対する想い、私と彼とは通ずる所があった。
「そうか……ありがとう。若、お前はもう戻れ」
「あぁ、そうするよ……井蔵、くれぐれも気をつけてくれ」
がらっ!
彼の背中に別れを告げて、私は小屋を出た。
重い重い足取り……まるで足枷を付けられたような気持ちで、鍛錬場へと戻った。
井蔵と言葉を交わしたのは、これが最後となった……。
◇◇◇◇
「若! 井蔵になんかされなかった? 大丈夫?」
「ねぇねぇ怪我は⁉︎」
「切り刻まれてな〜い⁉︎」
「⁉︎」
鍛錬場に戻るなり、花鳥衆の三人娘が私を取り囲み、ぺたぺたと身体を触ったり、着物の裾を捲ったりと何やら忙しない。
胡桃がこの場にいたら、皆、睨まれて一斉に凍りつきそうだな。
………………
ふうっと溜息を吐いてから……
ぺち! ぺち! ぺち!
三人の額を軽く叩いた。
「「「なっ⁉︎」」」
「心配するな、奴は私には何もせん」
この中の誰が私を尾行けてきたかは……わからんな。
「でも若……顔色、良くないよ?」
羽筒が眉を顰めて、顔を覗き込んでくる。
あぁ……なるほど。
だから皆、心配しているのか。
芽吹殿も少し困ったような顔でこちらを見てくる……それは謝罪なのか、理解を求めているのか…… どちらの意か、今の私にはてんで読めず。
汲み取ってやれん、すまんな。
戻り道、只々、井蔵の言葉が頭をぐるぐると巡っていた。
間者。
今、里に生きる者達の中に、いる。
それは紛れたのか……染まったのか……。
誰一人、思い当たらない。
だが、井蔵は不確定なことを悪戯に言う男では無い。
………………
まずは、己の氣を回復せねば、この頭も働かんな。
「若の椀を取っておいたけど……食べるかい?」
青葉殿が握り飯と椀が乗った盆を差し出してくれた。
私の為に残して置いてくれたのか、ありがたい。
「頂きます!」
回復には食べて、寝るに限る!
私は腹の中に、さらに食べ物を押し込んだのだった。
◇◇◇◇
あの後、間も無く戌ノ組が帰還し、報告を受け、彼等は下がらせた。
囲炉裏端には私と胡桃だけ。
二人揃って、じっと紙から視線を外さない。
床に広げられた地図には✖️印が十八も点在している。
その中でも国境に近い城、特に南方にやや偏りがあった。
戌ノ組には武蔵国内での若君達の不審な死を探ってもらっていたが……予想通りだったな。
「後継ぎの若様が亡くなられたとしても、吉伏城同様、やはり国勢に関わる故に表沙汰にしていないのだろう……が、まさかここまでとは……」
「恐らくは毒による自然死か病死に見せかけているのでしょう。暗殺だと分かれば、追手を遣わすために我等にも依頼状が届くはず」
「狙いは……何だ? 南方ならば相模国とも奴等は繋がっているというのか?」
そうとあったら由々しき事態だ。
あちらの軍勢が攻め入れば、武蔵国の領地もどうなってしまうか……何より、忍衆を抱える国だ、浅緋の里も無傷では済まないだろう。
「まだ結託してるとも言い切れませんよ?」
「ん? それは何でだ?」
胡桃が細長い指ですっと地図上の印、三箇所を指し示す。
どれも南方ではなく、西に二つ、北に一つだ。
「戌ノ組の報告では、悪政の城の城下町では『義賊様が現れた』という風聞が広まっているようですから……」
「幼な子の死を喜ぶとは……何とも醜い話だな。……ん? まてよ、城が隠しているはずが、市井には広まっているのか?」
「そうです。意図的に流してると考えてもよろしいのかと」
「……そうか、なるほど。よし、決めた!」
私は膝をぱんと叩いて立ち上がった。
「何をお決めに?」
「蘇芳の研修だよ」
約束通りこの三日後、丑ノ組の四人と蘇芳丸を里長屋敷の囲炉裏端へと集めた。




