稽古①
葉月に入り、日は天高く昇っている。
直にお天道様を拝もうものなら、この目はあっという間に焼き尽くされてしまうだろう。
日照り続きになるかと危ぶんだが、夕刻になると雷鳴と共に驟雨が来る日が屢々みられた。
作物が無事収穫終わるまで、どうか、どうか恵みの雨を……陽光に、そっと手を合わせる。
神にも仏にも……私は祈らない。
そんな人智を超えた存在がいるのならば、この戦乱の世はとうの昔に平定しているはず……。
それとも、無慈悲な御心で、愚かな人間に理を説こうとでもいうのか?
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「たぁっ!」
「ひ、ひゃぁぁぁっ!」
「うぉぉぉぉっ!」
辰ノ組、四人の声が辺りに響き渡る。
丑ノ組による稽古は、四日前から始まった。
千鳥、常吉、元、時人が其々、一対一で後輩の面倒をみており、日によって組み合わせが変わる。
ぐるりと一巡した形だな。
鍛錬場の縁側から私は皆に向けて、声を張る。
「千鳥、常吉、元、時人、そして蘇芳‼︎ 三日後に任を命ずる! ……それまでになんとかしろ‼︎」
「「「「「はっ!」」」」」
五人の声が見事に揃う。
蘇芳丸は身体能力の高さから、感覚も鋭い男……共に切磋琢磨することで、連帯感は確実に生まれてきているようだ。
「……指示、雑」
私に背を向けて座る幹兵衛が、溜息を吐く。
「事細かにこちらが口出しするよりも、千鳥達の方が上手くやってくれるはず……雑なのではなく、彼等を信用しているからだよ」
「物、言い様」
「はいはい。いいから、ほら幹兵衛! お前はさっさと脱げ!」
そう言って、目の前の少年に着物の半身を開けさせ、両手で彼の背中にそっと触れる。
……冷たいな。
酷く痩せ、骨の浮き出た肉の無い背中。
所々、色白の肌が斑に黒ずんでいるのは身体の組織が壊れ死んできているからか。
………………
こつん、と自分の両手に己の頭を預ける。
「若?」
「あぁ、すまん。何でもない」
そっと頭を離し、自分の手の甲を見つめる。
ただの『氣休め』と言われようとも、構わぬ。
私に出来ることを……ただ成すのみ、だ。
すうっ……と息を吸い込もうとした瞬間、よく知る気配が鍛錬場に近づいてきたので、一旦、呼吸を戻す。
「こほん! 全く……若は辰ノ組に肩入れしすぎですよ……もう少し私に構ってくれても……いや、なんでも……と、兎に角、今日、明日くらいに調べに出てた組が戻ると、知らせが帰って来ています」
軽い咳払いの後、胡桃が美しい眉間に皺を寄せて、溜息混じりの声を出した。
……帰って来ている? あぁ、そうか。
見ると、彼の足元にはよく知る犬の『駒』が利発そうな顔でこちらを向き、静かに座っていた。
忍びの犬はしっかり気配の消し方を心得ている……これくらい蘇芳丸にも出来てくれたら……。
「……知らせを持ち帰ってきてくれたのか、ありがとうな」
駒の頭を優しく撫でると、ふさふさの茶色い尻尾が大きく揺れる。
ふふっ、愛嬌のある子だ。
……ということは、間も無く戌ノ組が戻るのだな。
「さて、と」
改めて座り直し、すぅっ……と息を吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで……。
幹兵衛の背中に当てた両手から、私の氣を一気に送り込む‼︎
どんっ‼︎
氣を送るには粘膜からが良いのでは? という話を以前、幹兵衛としたが、それでは片手だけしか使えぬという結論に至った……。
蘇芳丸にした己の愚行が思い出され、恥ずかしくなり……頭を振る。
阿呆か、集中しろ‼︎
私の氣なぞ……いくらでもくれてやる。
だから、どうか命を繋いでくれ……幹兵衛や。
祈る気持ちで、彼の薄い背中に氣を押し込み続けた。
◇◇◇◇
「ふぅ……」
口から言葉としての溜息が漏れた。
「若、空っぽ」
私を嗜めるかのように、背中を向けたままの幹兵衛が呟く。
背中に置いた両手から彼の呼吸が伝わる……少しだけ、私の氣が役に立ったのを感じられ、嬉しくなった。
そして彼の言葉の通り、また私の氣は空になった。
「昼餉にはまだ早いですよ? 大丈夫ですか?」
つい今し方まで、犬の駒と戯れていた胡桃が、心配そうに私の両手をそっと掴んではぱっと膝に置き、幹兵衛の開けた着物は粗雑に彼の背中へばさっと被せた。
「終ったなら、お前の肌は若の目に触れさせずとも良いでしょう」
「はい」
眼鏡の少年はゆっくりと着物を整え、私と胡桃に一礼した。
「腹、減る?」
「いや、流石にこの時間、まだ大丈夫だ……と思う」
彼の気遣いに言葉を返す。
氣を消耗すると、やたらに腹が減るが、まぁいつものこと……満足に食べられることの方が少ない。
あぁ、実りの秋が待ち遠しいなぁ。
ぼんやりと茸鍋やら柿や栗の実を頭に思い浮かべていると、二人が何やら険しい表情を浮かべる。
「皆、戸を閉めよ‼︎」
胡桃が振り向きざま、稽古中の辰ノ組と丑ノ組に指示を出す!
咄嗟の発言だった為か、彼等はまんまと胡桃の言惑操術に嵌り、鍛錬場の木の戸は目にも止まらぬうちに閉じられた。
ぴしゃんっ‼︎
見ると、幹兵衛は胡桃の意図を察していた為か、耳を塞ぎ、術を逃れたようだ。
本来、こんな半端な位置に、戸は立て付けない。
訳あって鍛錬場に後から作りつけたのだ。
戸で仕切られ、縁側だけが残されたこちら側には、私達三人と駒がいるのみ。
縁側と鍛錬場の間にあるこの戸が閉められたことで、ようやく私は彼等が帰還したことを悟る。
……氣が空っぽな身体はなんとも不自由。
戸が閉まったのとほぼ同時に、駒が何も無い空間へと吠える!
「わんわんわんわんっ!」
すっ……
音も立てずに、私達の目の前には帰還した亥ノ組の五人が現れた。
戌ノ組よりも先に、此方が戻ったか……思ったよりも早かったな。
「ご苦労」
「「「「「はっ!」」」」」
駒の頭を撫でる私の前に、五人が大地に膝を着いて頭を下げた。
里長がまたも不在の為、代理の私の所へ報告に来たのだな。
今日の昼過ぎには戻ると聞いているが……二年ぶりに里に帰ったら帰ったで、父上は何かと忙しそうである。
「依頼は全て果たして参りました。報酬はこちらに……」
そう言って、亥ノ組の井蔵が懐からじゃらじゃらと銭束を大量に取り出した。
数件任せていたが……素晴らしい成果だ。
「……見事なり。皆、暫し休んでくれ」
「はっ!」
再び頭を下げ、亥ノ組は消えるように立ち去った。
……去る瞬間、胡桃に目を走らせていたな……まだ根にもっているのか、井蔵。
「面白くなかったでしょうね、奴等は……」
遠くを見遣りながら、胡桃が呟く。
「下手な諍いは避けるに限る」
「開けて、いい、よ」
戸に向けて幹兵衛が言葉を放つが、中から返事は無い。
「……あ。胡桃」
「そうであった。皆、戸を開けよ!」
がらっ!
美しい青年の言葉で一斉に戸が開かれる。
急に差し込んだ光で、鍛錬場の塵が光って見えた。
その中に立ち尽くす二つの組。
よく見ると、四人が険しい顔をしていた。
葉月: 8月




