滅びの里
今回は胡桃のお話です。
秩父の山中、気配を消しつつ、只管に木立の間を駆け抜ける!
辺り一体、夏の日差しを浴びた木々が青く生い茂る……鳥達が囀り、時折、鹿や猪も見かけた。
これほど豊かな土地は本当に羨ましいものだ。
浅緋の里に山は無いからな。
……何故、あの様な平地に里を拓いたのだろうか?
戦になれば、馬で乗り込まれて攻め入られやすい地形……入り口は隠されているから、侵入不可と余程の自信があったのか、はたまた、あの地に何か重要な秘密があるのか……先人の考えは俺には分からぬ。
がさっ!
枝葉を捲ると、丁度、川の滸に出た。
足を止めて、顔を濯ぐ。
じゃばじゃば、ざばーーっ!
「ふぅ……」
この暑さだけは、忍術ではどうにもならんな。
己の身体能力を見誤れば、季節は容赦無くこちらの命を取りに来る。
夏といい冬といい……自然を甘く見てはならない。
人間なんて些末な者よ。
「はぁ……」
無意識に口から漏れ出る溜息。
……分かってる。
これは身体の疲弊によるものではない、精神の疲弊だ。
……走れば少しは気が紛れるかと思ったが……却って苛立ちが募った。
今頃もう、あの二人の手合わせは終わっているだろうな。
もやもやと頭に今朝の若と蘇芳丸のやり取りが鮮明に思い出されて、頭を振り、それらを掻き消す。
おのれ、蘇芳丸め!
よくも俺の和迦に……。
はっ!
否、何を考えている⁉︎
……つい貴女に関わることだと、俺は冷静さを失う。
若は皆の若だ……俺のものではない。
………………
大切に腕の中に閉じ込めて……俺だけのものにできたなら、どんなに良かったか……それは……この先も一生、叶わぬ願いだ。
それでも、たとえ汎様であっても独占は許せない。
汎様……愛娘への過剰な父性愛かと思っていたが……時折、想い人へと向ける視線に似ているのが、俺の神経をひりつかせる。
ずっと見ているからな、よく分かる。
……貴女を誰にも渡したくないんだよ、俺は。
ふと、二年前に里長代理となった若が、書庫で里長の記録……茉莉様の手記を見つけた、あの時のことを思い出す。
そこで貴女は真実を知ってしまった……実の母君のことを……。
病弱で逝ってしまわれたのではない、浅緋の里長の宿命……子を孕み、産めば死ぬ、と。
書を開いたまま、ただ一点を見つめ……時が止まったかのようなあの瞬間の横顔が……いまだ目に焼きついて離れない。
……何の言葉も掛けられなかった。
ただ、側にいることしか、俺には出来なかった。
愛しい者が傷つき、苦悩する様を間近で見ていて、何も出来ないのは歯痒く……そして、酷く情け無かった……。
川面に映った己の顔を見て、忌々しく拳を水中に振り下ろし、派手な水柱が上がる!
ざぁーーっ……
雨のように降る水飛沫を浴びながら、俺はまた、立ち上がった。
◇◇◇◇
ざっ!
「ここか……」
木々が途切れて眼前が開け、山中に突如、湖が現れた。
秩父は広域で、山の数も多い。
自然豊かな環境は、外敵からも身を守りやすいし、合戦場にはまず選ばれない。
城もここからそう遠くない所に数箇所、点在しており、町も控えめだが栄えている。
……随分と恵まれた里だったんだな。
この湖を目印に、また西に進む。
『筑貢の里を調べて欲しい』という若の命で里を出る際、汎様があっさりと場所を教えてきたのだ。
今まで散々、のらりくらりと躱されてきただけに、拍子抜けした。
……何か企んでおられるのか?
相変わらず、腹の内は読めぬ御方だ。
それにしても、無知とは恐ろしいもの……浅緋の里の秋、恒例の茸狩りで踏み入るのは、この山のすぐ隣の山だ。
築貢の忍びにとっては、目と鼻の先……奴等の領域だったのだ。
互いの存在の認識はあったのだろうか?
年長者は知っていたのか?
恐らくだが……若の亡き母上、茉莉様も茸狩りでこの山中に来た際に汎様と出逢ったのだろう。
里長は易々と里を離れることはないからな。
……汎様は除く。
彼の方は常識という枠組みに収まりきらない。
同じ武蔵国の忍び同士だが、ここは甲斐国とも相模国とも通じる要所。
何かを仕掛けられていてもおかしくはない、奴等の庭。
秩父の山中で大樹を襲ったのは……築貢の忍びの可能性が出てきたな。
……流石に、鋼太郎が襲われた熊は自然の仕業であろうがな。
脳裏に、十年前のあの女の顔が浮かぶ。
……今日は俺の記憶の引き出しが忙しない。
いまだ幹兵衛を侵食するあの毒使いは、一体、どこにいるのだろう?
がさっ!
草間を縫って、ようやく目的の地に足を踏み入れた。
筑貢の里……があった場所。
「……廃墟、か」
思わず、口から独り言が漏れた。
数軒あったであろう家屋は朽ち果て、屋根から草が生えていた。
半分、木々草々と同化している様相。
それ以外は燃え落ちたのか、腐った木片が僅かに残る。
まだ里が潰れてから、二十年と経ってはいないはず……なのに、もう百年過ぎたような過疎感。
人が営みを終えると、ここまで里は自然へと還るのか。
まぁ……汎様の仕業なら合点がいく。
彼の方は『容赦』という言葉を知らない。
事情は分からぬが、筑貢の里の一族、皆殺しにしたのだろう。
しかし、いつも傍若無人に振る舞ってはいるが……理由なく、事を起こす御方ではない……はず。
ざっ、ざっ!
少し奥に足を進めると、今度は夥しい数の石碑が並んでいた。
一つ一つは左程大きくはない。
……子供が必死に運んだのかもしれない……里の生き残りか?
あの女が、幼い手で一つずつ遺体を埋め、弔い、石碑を立てたか……。
それは……あまりに残酷だ。
俺はそっと、石碑に手を合わせ目を閉じた。
里の場所を教わり、頭を下げて屋敷を立つ直前、汎様に腕を掴まれ、耳打ちされた。
「筑貢は色んな滅び里の生き残りを集めているはず……お前も気を付けろよ」
「⁉︎」
汎様なりに、奴等の動向を注視していたということか?
奥州への出稼ぎの際にも、実は密かに風聞を集めていて……此度の早々の帰還は……やはり何か考えがあってのことか?
……それとも全ては、汎様を買い被っただけの推測か?
わからんな。
目を開けて、そっと空を眺める。
鳶が翼を広げて、大きく旋回していた。
生き残り……それは、俺と同じ里の生まれもいるのだろうか?
ぼんやりと、そんな考えが頭を過った。
俺の故郷も……すでに滅んだ里だ。
生まれつきの特殊な声帯機能と忍術により栄えた忍衆だったらしいが、盛者必衰。
家臣である忍びに脅威を感じた城主が攻め滅ぼしたと汎様に聞いた……俺はその戦いの……生き残り。
そして、拾われた。
ざぁぁぁぁぁぁっ!
風が木々を揺らし、草原がまるで波打つ樹海のよう……ん?
くるりと石碑群を振り返る。
そういえば草が……この一体だけ生えていない?
……手入れされているのか⁇
それは、まるで……墓参りではないか⁉︎
ざっ!
速やかに大地へと右手を突き、氣を放つ!
「顕霞の術!」
ぶわぁっ!
だが、広がる霞には何も浮かび上がらず。
……この周囲に人間の気配は無い、か……範囲をもう少し広げてみるには……少々、当たりをつけねば……。
俺では若ほどの広範囲は探れない。
大地から右手を離し、その手を立派に聳える木の幹に当て、枝葉にそっと口付ける。
「木々よ、私語け……」
さぁぁぁぁぁぁっ!
言惑操術『樹区』
人間よりも長い歳月を超えた樹木からの囁きを操り、標にする術だ。
……女に術は効かぬのに、自然物には効果を発揮する……俺の生まれ里の忍術も摩訶不思議だ。
何かしらの『呪い』でもあるのだろうか?
風に乗った木々のせせらぎが、太陽と逆を示した。
「北東か……」
とんっ! ぶわぁっ‼︎
再度、大地に手を突き、顕霞の術で霞を広げ……その霞が露わにした……それは……人の型⁉︎
ぞわぁっ!
見つけると同時に、背筋に冷たいものが駆け抜ける!
築貢の者がここで待ち潜んでいたというのか⁉︎
いや、そんなはずは……いつ来るかもわからない者を待つなど、愚行。
………………
考えるだけ無駄だ。
敵ならば……容赦無く斬る!
ただそれだけだ。
◇◇◇◇
進んだ先にあったのは、壊れかけた荒ら屋が一軒。
獣すら住みたがらないような廃れ様。
……確かに、この中に……いる。
だが、その氣は……微かで消え入りそうな命の灯火……これは……罠か?
しかし、他の気配は見当たらない。
………………
むっ?
何故……この氣は……懐かしい……?
あぁ、そうか……。
俺は……こいつを……知っている‼︎
ばんっ‼︎
「大樹ーー!」
勢いよく開けた木扉は枠から外れ、派手に地面で音を立てた。
薄暗い小屋の奥、座る人陰が見える。
「大樹……生きておったか……」
二年前、秩父の山中で消息不明となっていた丑ノ組の一人。
てっきり、死んだと思っていたが……。
ぴたっ!
近づいた俺の足が……思わず止まる。
「うぅっ……あぁぁっ……うっうっ……」
「大樹……」
これは……あまりに惨い。
頑強な身体は多少の拷問では死なない……いや、死ねない程度で責め続けられたのだな。
二年もの間、殺さずに……なんて酷いことを……。
縄で縛られ座る身体は、さながら骸。
その両目玉はくり抜かれ、鼻を削がれている。
術印を結べないよう切り落とされた両手では……自害することも出来なかったようだ……。
左耳の小さな三連の耳環が、この身体の持ち主が大樹であることを証明してくれていた。
これを……生きてて良かったと、言っていいものか?
まるで……かろうじて呼吸する屍のよう……。
ぐっと拳を握り……そっと近づいて、大樹の耳元で囁く。
「大樹……もう何も痛くないはず……もう、大丈夫だ。何の痛みも感じない。……痛いの……痛いの……飛んでいけ……」
俺の言葉で、次第に呼吸音が落ち着いてくる。
「く……るみ……まる?」
「おいおい、忘れたのか? ……お前らと共に元服して、『胡桃』になったろ?」
「あぁ、そう……だった……な……」
言葉が辿々しくなってきたな……身体はとうに限界を超えていたのだろう。
ひらっ……
「ん?」
大樹の呼吸により、身体が動き、座面下に挟まっていたものが揺れ動いたので、そっと摘み上げる。
「……桜?」
茶色く枯れた桜の花弁が数枚挟まっていたようだ。
卯月、皐月、水無月と三月をここで独り過ごし耐えていたのか⁉︎
……あり得ない‼︎ 三月だぞ⁉︎
とっくに、餓死か衰弱死するだろう。
……何かしらの術を使われ、無理やり生かされていたのが明白だ。
「なんと忌々しい……!」
腑が煮えくりかえる‼︎
大樹の前には、『浅緋の忍びへ』と書かれた文が一通、置かれていたのだから……。
「悪、い……あと、頼ん、だ」
「あぁ……よく頑張ったな……もう眠れ」
「あ、りがと、う……胡桃」
すぱんっ!
ごとっ……
俺は大樹の首を一閃で、斬り落とした。
「遅くなってすまなかったな……友よ」
俺はそう呟き、そっと大樹の頭を抱えた。
◇◇◇◇
ごぉぉぉぉぉぉぉっ!
激しい火柱が空へと上がり、煙が高く高く立ち昇っていく。
煙のいく先を見送り、ふっと手の中の三つの耳環に視線を落とす。
大樹の遺体はこの耳飾りだけ形見として外し、その場で荒ら屋ごと火を点けて、全て燃やした。
高位な身分以外の者の弔いは土葬するのが常だが、敵方に得体の知れない忍術使いがいる。
もし遺体を掘り起こされて、骸に悪戯されては困る。
これ以上、俺の友を苦しめられるのは真っ平御免だ。
「灰になれ……大樹」
空に向かって、そう呟いた。
◇◇◇◇
忍びはそれぞれの一族が独自の忍術を編み出し、子孫へと伝承する。
山なり、海なり、暖地、寒冷地……その地に適応した身体を持って生まれ、住まう地方によって、己が里に見合う術を操る。
忍びの中でも、浅緋の忍びも特殊な忍術……氣葬術を操るから……まぁ普通ではない。
里の開祖達……じいとばあ含め、どこの里の忍びが流れ着いたのか……今となってはもう分からないし、知ったところで何も無いが、その者達が伝承してきた術だ。
ただ、若は『忍びなぞ、普通の人間と大差ない』と時折言う……外界を知らな過ぎるな。
世間知らずな面は、否めない。
……里という筺に閉じ込められている『箱入り娘』だから、まぁ仕方ないし……俺も出来ることなら大切に閉じ込めておきたい。
からからに乾いた荒ら屋の木材と、水分の大部分を失っていた大樹の身体を焼くのにそう時間はかからなかった。
業火はあっという間に対象を焼き尽くし、ぷすぷすと燻る。
黙々と片付け終えた頃には、日は随分と西に傾いていた。
「はぁ……帰ろう、里へ……」
重い溜息を吐いた後、耳環と文を仕舞った懐をそっと撫で、来た道を引き返した。
◇◇◇◇
気が重いせいか、足取りは往路より速度が落ちている気がする。
……大樹の件を若に報告するのは、本当に気が滅入る。
言葉を選ばなければ……また、泣かせてしまうだろう。
青葉殿も……芽吹殿も……丑ノ組の四人も……何と言うだろうか。
また、己を責めるのだろうか。
それとも、俺を責めるのだろうか。
山中を駆け抜けながら、ぼんやりと考える。
そもそも……何故、大樹は拷問されていたのか?
運悪く、奴等の領域に踏み込んでしまって囚われたからか?
いや……目的を持って、口を割らせようとした?
何か……例えば、里の場所……とか。
浅緋の里の場所は、巧妙に隠されている。
十年前のあの毒女には逃げられたが、じいの一撃で奴は瀕死に近い状態だったはず……。
里の場所がまた分からなくなり、大樹に口を割らせようとした……か?
それとも……。
はっ!
ざっ!
足を止めて、木の陰に隠れ、そっと振り返り……見上げる!
高い杉の木の上に、人影が一つ、二つ、三つ……三人の……忍び!
気配を消して移動する俺を見つけるとは……ここを通ると見越して、注意深く待っていなければ難しい所業。
それは、つまり……。
「こんばんは。浅緋の忍びよ……」
木の上の忍びが俺に向けて、声を掛けてきた。
予想通り、待ち伏せか。
辺りが薄暗くなってきた上、月を背にしているから、その相貌ははっきりとは分からない。
女の声だが……それだけで男女を決めつけるのは危険だ。
いくらでも、声音は誤魔化せる。
思い込みは命取り。
「狼煙かと思ったけど……弔いかしら? 煙に誘われて来てみて良かった。あの死に損ないのお陰で、あんたが釣れた」
「!」
こいつらが、大樹を……。
拳にぐっと力が入る……駄目だ、冷静でいろ!
「へぇ……まぁ、いいや。今日は挨拶だけよ。文はきちんと届けてもらいたいと思ってね。それか……ねぇ……あんたも一緒に来ない? どうせ拾われ子でしょ?」
「……あぁ、俺は拾われ者だ」
あえて質問に答える。
「あんな奴の下にいたら、無駄死にさせられるよ? 私達と一緒に……」
「断る」
女の言葉を遮り、俺はぴしゃりと言い放ち、そっと、背中の忍刀に手を伸ばす。
いつでも、斬りかかりにいけるように……。
「ふふっ、まぁいいわ……そのうち、また会いましょう」
俺の拒絶を別に気にする素振りもなく、そう言って筑貢の忍び達は夜に溶け消えた。
この場で仕掛けてくる程、間抜けではない、か。
寧ろ……確定した。
目的はあくまで元服後の若の命。
しかし態々、己達の存在を表に出してくるとは……。
一瞬だけ、月明かりが照らした今の女を思い返す。
あの日の記憶。
若と幹兵衛を襲い、駆けつけた俺とじいに片眼を潰された……頭の中に氣を送られ、脳を破壊されかけた女……。
眼帯で片眼を覆っていたが、間違いない。
あの時の毒女。
生きているとは思っていたが、あらためて、存在をこの目で認めようとは……。




