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忍リクルート  作者: 枝久
五、
41/89

雪千代

 冬実殿はげらげらと笑った後、ふっと寂しそうに話を続ける。


雪千代(ゆきちよ)が生きていたら……此度の様な裏切りは、起こらなかったのだろうかな」

「……戦乱の世、いつ何が起こるかは分かりませぬ。絶対なぞ有り得ないことかと……」


 幼い若君を亡くし、奥方様は病に伏せり、信じていた家臣にも裏切られた……。

表情は崩さぬとも、ここ数ヶ月の出来事に心中穏やかでは居られないだろう。


 奥方様も気の毒なお方だ。

大切な存在の死を(とむら)うことも叶わず、隠蔽(いんぺい)されたのだ。

城の未来の為に……。

まるで後ろ暗い事を成したかのよう……この世に産んだ宝物をいなかったことにされれば、心を病んで当然だ。


「……雪千代は……殺されたのだ」

「なっ⁉︎」


 重々しく呟かれた言葉に驚く。


 この話は耳にした事がない、病死との風聞……真実は内々に秘められていたのだな。


 城主殿は続ける。


「毒殺だったのだ……」

「毒……」


 私の脳裏に、幼きあの日の幹兵衛が浮かんだ。


「だが……いつ、どの様に盛られたか……皆目(かいもく)見当がつかなんだ。……それで、その……」

「奥方様が病まれた……と?」

「その前に……蓮姫が怪しいと……妻がとち狂ったのだ……」

「蓮姫様が?」


 それこそあり得ない!

今朝方の彼女からは弟君への悲しみを痛い程に感じた。


「先に姫が産まれ、それはそれは喜んでおったが、跡継ぎを早ぉ早ぉと急かす者もおってな……何年も子は成せず……(ようや)く待望の男児の誕生で……妻の愛情は全て雪千代へと向いてしまった」


 よくある話だ。

次期城主は大切に扱われ、姫様は城の取引に利用できるただの道具として見る者も多い。


「今になって思うのだ。『誰か』が、心痛めた妻に囁いたのかもしれん、と……『蓮姫様は雪千代様に嫉妬している。雪千代様を憎んでいる』とかなんとか……」


 その言葉で、(もろ)い心はあっという間に砕けたのだろう。


 ………………


 姫様は一体どれほどの想いだったか……大切な弟君の死の哀しみに、追い討ちをかけられて……。

そして、思う。


「『誰か』の意図が働いておりますね」

「うむ」


 こくりと冬実殿が頷いた。


 この城に入り込んでくるなぞ……何処ぞの忍びだ?

流戸の忍びでは無いな。

彼等はここ最近に内から招き入れられたに過ぎない。

それ以前、(ほころ)びの種を蒔いた者がいるはず……手口が毒……まさか、な。


「里へ戻る前に……奥方様へお見舞い申し上げても宜しいでしょうか?」

「……妻はあの時に気が触れてしまい……今じゃ床に伏せったままだ……。それでも良ければ是非に……」


 約五年前、父上と雪千代様の出生祝いで吉伏城へ参上した。

曖昧な記憶だが、柔らかい陽光が差し込む中で微笑む奥方様のお姿は薄ぼんやり覚えている。


 ……心を殺せば、人は死ぬのだ。


「部屋はこちらだ」

「ははっ!」


 冬実殿に促されるまま、階段を降り、戸の先へと進んだ。


 城主が先立ち、直々に案内してくれるとは……。

先程、命を狙われたばかり……いくらご自身の城だとしても従者を付けぬのは何とも無用心。

己の家臣への疑心暗鬼か、それとも、私を信用してくれているのか。


 さして広くない階のはずだが、戸は幾重にも続いた……無神経な輩を侵入させぬよう大切に護るかの如く……。


「雪千代の最期は……それはそれは酷いもんでな……苦しみで喉を掻きむしり、手と首は真っ赤に染まっておった。動かなくなった幼い身体は己の吐瀉物(としゃぶつ)(まみ)れていた……」

(むご)い……」


 誰も生まれは選べない。

城の子に生まれなければ、違った人生があったのかもしれない……亡き後に何を言っても、もう遅いが……。


「入るぞ」


 そう言って、冬実殿は静かに最奥の戸を開けた。


 この時期の日差しは強い。

直接差し込まぬ様に遮っても、部屋の中を煌々と陽光が照らす。

ここは珍しく畳の間、中央には白い布団が二つ敷かれていた。


 その上に横たわる女性、生気の失せた顔で隣の布団にぽんぽんと優しく手を置く……まるで赤子を寝かしつけるかのような仕草。


「春先から、ずっとあの調子だ。まるで雪千代が産まれてすぐの頃に退行したように……」


 それでも冬実殿は離縁せず、奥方様をここで養生させていたのだな。


「儂も随分と(ののし)られた……『雪』という儚い名前をつけたから、雪千代は死んだのだ、と」


 ははっ、と自嘲気味に城主は言葉を漏らした。


「『雪』……良き名前に思います。冬に辺り一面を覆い尽くす雪が、どれほど強いか……」


 雪深くないこの地でも僅かに降雪すれば、途端に我らの冬の生活を脅かす……手強く、美しきもの。


「……宜しいのでしょうか?」

「うむ……すまない」


 冬実殿の言葉と、ここまで案内なさって下さる行動で、私が今、()さんとする(こころ)みにはお許しが出ているようだ。


 そっと、息を整え、構える。


 胡桃の言惑操術、これは彼女には効かない。

私の術でどれほど今の奥方様に掛かるだろう……やってみねば分からんな……。


「顕霞の術『月天(げってん)』」


 右手で畳に手を突き、一気に氣を送る‼︎


 淡い薄黄色の氣が奥方様の内側へと流れ込み、彼女の視界へと広げていく。


 どうだ⁉︎ 届くのか⁇


 ………………


「うっ……ううっ……あぁぁぁっ……!」


 よし、掛かった!


 (しば)しの間を空けた後、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、彼女の口から嗚咽(おえつ)が漏れ始めた。


 生気の無かった顔に、みるみる血の気が戻っていく。

頬を、目を、赤く染めて……。


 ばたばたばたばたばたばたっ!


「何事ですか⁉︎ なっ‼︎」


 一蜂殿から元のお姿に戻られた蓮姫様が走りきて、ぴたりと足を止め、視線は一点へと向かう。


「は、母上……」


 蓮姫様の瞳からもぽろぽろと涙が溢れ出てきた。



 顕霞の術『月天』

『朧』が悪夢を見せる幻覚術に対し、『月天』は甘い夢を見せる幻想術だ。

彼女自身の心が望む見たい夢を、都合のいい解釈で、好きなように見ることができる。


 辛く苦しい現実と向き合う為に、彼女の瞳は何を見せたのだろうか……此度も……私の知る由もない。



 布団の上に立ち、両手を前方へと伸ばして愛おしそうな表情を浮かべる奥方様。


「あぁっ……そうか……うん、うん」


 はらはらと涙を流しながら、我らには見えない何かと対話している。


 十中八九、亡き雪千代様の幻影だ。

……それにしては、やけに目線が高く感じるな。


「母上……」


 私の後方で足を止めたままの蓮姫様。


 振り返らずとも、彼女が奥方様の変化を心より喜んでいる……それは空気で伝わってくる。


 不思議だ。

誰かに(たぶら)かされたのだろうとしても、悪意を、恨み(ごと)を放ってきた存在に……私だったら、このように寛容でいられるだろうか? 


「おぉ……菖蒲(あやめ)……」


 冬実殿が奥方様の名を呼ぶが、幻想の霞を彷徨(さまよ)う彼女の耳には、届かない。


「あぁ……雪千代……こんなに大きくなって……」


 菖蒲様の口から出たお言葉で、先程の疑問に合点がいった。


 さて、奥方様を現実、ないし、半現実へと引き戻すには……。


(こく)だな……」


 私は小さく呟いてから、くるりと振り返り、蓮姫様に申し上げた。


「ご覚悟は……お有りでしょうか?」

「……」

「何かを選ぶということは、何かを捨てるということです。姫様」

「……あぁ、そういうことか……分かった。着替えて再度、参ろう」


 聡明な蓮姫様は、私の言わんとする事を即座に察し、(きびす)を返した……。


「……」


 ()せぬ、な。

ふぅっと溜息が口から漏れ出る。


 自分の存在を(ないがし)ろにした母親に何故、その選択を選べるのだろうか?


 その感情を知りたくとも……私の母はとうにいない。



◇◇◇◇



 『再度、参ろう』……蓮姫様のそのお言葉は果たされなかった。

畳の間に現れたのは『一蜂殿』だからだ。


 次期城主殿の凛々しい顔を見つめる。

それは……決意の表情。


「宜しいですね?」

「……あぁ」

「何じゃ⁉︎」


 ゆっくり縦に頷く一蜂殿と、私と実子を左右にきょろきょろ見比べる冬実殿。

まるで対照的なお二人。


 ぱんっ!


 私が手を鳴らすと、菖蒲殿はへたへたと布団の上に座り込んだ。

彼女の中へ送り込んだ氣を散らし、頭の霧を晴らしたのだ。

淡い夢はもう終わり。


「あっ……雪……雪千代……何処(どこ)じゃ? 何処……」

「母上!」

「あっ! 雪千代‼︎ 雪千代‼︎」


 痩せた足で立ち上がっては、ふらふらと倒れ込む様に、菖蒲殿が一蜂殿へと抱きつく。


 そのまま、赤子の様にわんわんと声を上げて泣く彼女と、それをただそっと優しく抱き止めるお子の二人を、ぼんやりと眺めた。


「冬実殿……これで本当に良かったのでしょうか?」


 城主殿にそっと問い掛ける。


「良し悪しを付けねばならぬのなら……良しとしようではないか……たとえ(いびつ)だとしても、親子がまた抱き合っておる……どんな扱いをされたとしても、彼奴(あやつ)にとって母は母。蓮は……己をただ……見て欲しかったのだろう」

「……そうなのですね」


 それがたとえ蓮姫様としてではなく、亡き雪千代様の代わりだったとしても……彼女は母親に愛されることを望んだのだな。

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