蓮姫からの書状
ようやく空の闇が薄らぎ、淡い光が地平から溢れ出す頃、私と胡桃は静かに屋敷の戸をくぐった。
まだ皆が寝静まっている時間帯かと思ったが、花鳥衆の羽筒が木の側で何やら作業しているのが見えた。
こそこそと何をしておるのやら……まあ、人に知られたくない事の一つや二つ、誰にだってある。
好奇心の塊の彼女の為に、噂の種を蒔いてから、里を後にした。
何も教えずに隠そうとすれば、人はそれを無理にでも暴こうとする、天邪鬼な生き物。
適量の情報を与えることも時には必要であろう。
街道を胡桃と並び、走る。
「蓮姫様から直々に依頼とは……何事ですかね?」
「詳しくは書かれていなかったが、彼女からの文は初めてだからね……しかも卯ノ刻の到着を態々希望するとは、余程のことだろう。……こちらとしても丁度いい、例の件を城主殿にそろそろ切り出そうと思っていたから……」
蓮姫様は吉伏城の姫君である。年は確か私と同じ。
弟君が春先頃に病で亡くなり、城の後継者問題の渦中にいる。
浅緋の里と吉伏城主との付き合いは長く、以前から懇意にさせて頂いている。
度々、依頼を頂き、それに見合った報酬を与えて下さるのだが、我らをお抱えの忍びに出来る程の財源はこの城には無い。
それを互いに了承した間柄でのやり取りが長く続いているのだ。
この調子で行けば予定の刻に辿り着く。
走りながら、姫様の顔を思い出す。
以前会ったのはもう何年前だろう……五年前くらいになるだろうか?
弟の若君の出生祝いで父上と城に参上した時が最初で最後。
蓮姫様はどちらかといえば勝気な性格の姫君だ。
自ら馬に乗り、弓を引く。
あれからどの様に成長なさっているか……。
「厄介事でなければ良い、と願うばかりだ」
そう呟き、北東へと足を進めた。
◇◇◇◇
姫様からの書状には『城門からでは無く、部屋へ直に忍び来て欲しい』とあった。しかも私を御指名。
……やはり何やら訳あり。
他には聞かれたくない話なのだろう。
姫様の寝所……婚姻前の女子の部屋への侵入とは……見つかれば捕らわれ殺されてもおかしくない状況。
何かの罠かとも考えたが、人払いしてあり側仕えの従者は誰もいない。
約束の頃合いで、ふっと術を解き、姫様に声を掛けた。
「蓮姫様、お久しゅうございます。お約束通りに馳せ参じました」
「おぉ、よくぞ参った!」
突然姿を現した来訪者に慌てる様子も無く、言葉が返ってくる。
本当に、肝の据わった姫様だ。
「苦しゅうない、面を上げ、あらためて名を申せ」
「はっ! 浅緋の里長代理……若丸と従者の胡桃にございます」
名乗り、土下座から顔を上げる。
幼い時に会った面影も残る、凛々しい顔に成られた蓮姫様……同い年のはずだが、私よりも背が高く、少し年上に見える。
彼女の真っ直ぐな視線が私と胡桃へと交互に向けられる。
「では、もっと楽に話そうぞ。……それにしても見事! こちらで指定しておいてなんだが、突如現れたのには真に驚いた」
蓮姫様は足を崩して、けらけらと笑う。
「忍ぶのが我らの仕事ですからね」
「うむ。それでこそ、頼むに値する」
依頼……吉伏城主の冬実殿ではなく、姫様から直々とは……お家騒動に関わる件……か?
これは今までの依頼とは異なる。
父上に断りなく、勝手に受けても良いものか……?
胡桃に横目で視線を送ると、同様のことを考えていたのか、微かに首を横に振る。
「何故、一度しかお会いしてない私を信用して下さるのですか?」
聞きたかったことを素直に問う。
「浅緋の里の忍びが優秀なのは言わずもがな、だ。それに、会ったのはたった一度きりだったが……最強の忍びと呼び声高い、噂の里長殿を……幼き其方が掌で転がす様は、いまだ忘れようとも忘れられぬ」
にやりと口の端をつり上げる。
「……お恥ずかしい限りです」
「いやいや何とも頼もしく感じたぞ。だから此度……其方に……妾の婿殿になって頂きたい」
予想外の言葉を放ち、姫様はそっと頭を下げた。
「なっ⁉︎」
私よりも先、胡桃が咄嗟に声を上げる!
父上が勝手に画策している私の……『若の婿入り計画』……まさかここで、蓮姫様からも提案が上がるとは……何故?
……偶然か?
しかし、この件について吉伏城は対象候補から除外されているはず……財力面での基準に満たなかったからだ。
「姫様! お言葉ですが、若は我が里の次期里長! 婚姻を容易く許すわけには参りませぬ!」
胡桃が堪らずに口を挟む。
「ふふっ、あくまで『振り』よ……装って、情報操作して欲しいのよ……しかも語弊があったわね。『婿』だけど『嫁』の振りをして欲しいの」
「「⁇⁇」」
仰っている意味が全く分からない。
私と胡桃、同時に怪訝な顔になる。
「女が城主になると知られては、軽んじられ、城が狙われる。亡くなった弟の代わりに従兄弟を養子で迎え入れる予定だが、その子もまだ幼い」
ふっと視線を下げ、話を続ける。
「妾が婿を取ろうにも、寄ってくるのは狐や狸ばかりで、城を任せられるような信頼できる男がおらぬ……だから、幼な子が立派に育つまでの繋ぎとして、妾が何としてもお役目を果たさなければならない」
姫様の握る拳にぐっと力が入る。
「弟君の死は……公にはなっておりませんね?」
私の問いに、こくんと頷く。
「そのせいで母上は心を病んでしまわれ、床に伏せっておられる」
一瞬、哀しさを瞳に滲ませるが、すぐに元の表情を取り戻す。
「つまり、蓮姫様は男性の振り……偽の養子の次期城主……『架空の若君』としてお振る舞いになる。婚姻の儀を上げれば箔がつき、噂も広めやすい……と。お父上……冬実殿は何と?」
「一時的とはいえ、妾が継ぐことに猛反対しているわ。役不足と思っているのでしょう……侮られたものだわ」
苦悶の表情を浮かべ、吐き捨てる。
己の実力ではなく、性差により否定される……姫様というのも、たいそう生き辛さのある御身分だ。
「冬実殿の人となり、側から見て、良き君主でいらっしゃいます。……父君は娘の幸せを願うものかと……」
「……そうかもしれない……そうじゃないかもしれない……。ただ一つ言えることは、妾の幸せは妾が決めるわ」
そう言って、真っ直ぐな視線を我らに向ける。
………………
ふぅっと溜息を吐き出して、私は姫様にお訊ねする。
「……我らは、如何に?」
私の言葉で、ぱぁっと明るい表情になる蓮姫様。
笑うとさっきよりも幾分、幼く見えた。
「一度、ここを抜け出し、あらためて、嫁ぐ『姫』として再度、城門から訪問してほしいわ! 簡素ながら、婚姻の儀を近日中に執り行いたい」
……随分とややこしいお願いをなさるもんだ。
「門にいる城番にはこちらから話を通しておきましょう」
「いえ、それには及びませぬ。容易く通して頂けますから。では、失礼致します。また後ほど……」
ふっと笑い、私と胡桃は姫様の前から音もなく姿を消した。
◇◇◇◇
辰ノ刻、蓮姫の御所望通り、着物を替え、改めて城の門前へと進む。
先程の忍び装束ではなく、旅姿の姫と従者としての変装だ。
「胡桃……どこか、可笑しくはないか?」
「和迦様は何をお召しになっても愛らしいですよ」
「……」
美しき従者の口からは、私の求める答えがまるで返って来ない。
立派な城門、その門前に立つ城番の問答に答える。
「失礼、お美しい旅の御方……我が城に如何用が?」
何やら頬を赤らめている男。
……まあ、この胡桃を真近で見たら、老若男女問わず、誰しもがそうなる。
城番に深々とお辞儀をし、そっと胡桃が蕩けるような甘い声を放つ。
「此度、こちらの吉伏城に嫁がれる、我が姫様をお連れ致しました」
「はて? その様な話は……」
「次期城主殿の婚姻の儀がありますでしょう?」
………………
「……おお、そうであったな! どうぞ中へ」
胡桃の言惑操術により、城番はいとも簡単に追及を止め、城の中へと招き入れた。
……城の警備がこの様で大丈夫かと、少し不安になる。
城門をくぐり抜けようとした瞬間……。
ふっ……
とても馴染みのある氣を里の方面から感じ、思わず、はっと振り返る。
「姫様?」
「……はっ! 私か‼︎」
胡桃は私を姫呼ばわりする事をいたく気に入ったのか、幾度となく呼んでくる。
不慣れなせいか、反応が少し遅れた。
「如何なされました?」
「嫌な予感がする……今はまだ、その様にしか言えぬ……」
空は青く青く、晴れ渡る。
だが、この晴れ方では夕立ちが来るやも知れん……こちらもあちらも嵐にならんことを祈ろう。
◇◇◇◇
私と胡桃は重要な客人として、滞りなく、天守閣の最上階の広間へと案内される。
途中、我らの様子を伺う城の家臣達とすれ違ったが、その度に片っ端から術を発動していく胡桃。
「どうしたのだ? …… 随分と機嫌が悪そうだが……」
「貴方様の御姿を、出来るだけ他の者どもに晒したく無いだけです」
ふいっと横を向きながら胡桃が呟く。
………………
何だ⁉︎
やはり、何処か可笑しかったのか⁉︎
……面と向かっては言いづらかろうとも、出来れば教えて欲しかったな……少し悲しい気分で、城内を歩き進んだ。
吉伏城は小高い丘に築城された平城だが、最上階から眼下を見下ろせば、管轄地の平野が遠方までよく見渡せる。
無意識ながら、ついつい里の方面を眺めてしまった。
広間で頭を下げた姿勢、時を開けずして、御二方がいらっしゃった。
「面を上げよ」
お言葉に従い、顔を上げる。
そこには険しい顔の冬実殿、その奥に控えた嬉しそうな蓮姫様……見事に対照的な御二方がこちらに向いている。
人払いされているのか、この場にはたった四人しかいない。
「浅緋の若殿。いつも良い働きをしてくれておることは理解しておるが……此度は……流石に無茶であろう。うちのが無理難題を申した。……儂は反対じゃ」
蓮姫様をちらりと見遣り、城主は溜息を吐く。
「父上! これは我が城の未来の為です!」
蓮姫様も毅然とした態度で、けして譲らない。
「しかし……それでは……お前の嫁ぎ先が無くなってしまうではないか」
やはりそれを危惧されていたのだな。
「城を奪われれば、幸せなど無いも等しい……この城の為に生きることこそ、我が幸せなのです! この領地を……妾は護りたいのです!」
「……」
冬実殿は顎髭を撫でながら、黙り込んでしまった。
「殿、ご無礼承知で申し上げます。蓮姫様は覚悟を持っておられます。……ならば、私は動きましょう」
吉伏城に対し、浅緋の里は恩義がある……何より、私自身が蓮姫様をお助けしたい。
これは……境遇への共感なのだろうな。
「では、妾はこれから支度をし、次期城主『一蜂』となって参ろうぞ!」
「では……私のことは『和』とお呼び頂きましょう」
「和姫様‼︎」
胡桃が堪らず、最初に声を上げてしまった。
胡桃よ……流石にそれは不敬だぞ?
私に関わる事だと、彼がいつもの礼節を忘れてしまう……何故⁉︎
「はて……どれだけ騙せるものだろうか……」
「人の噂……尾鰭背鰭が付いては、勝手に転がり行きます。思惑を持って転がせば、尚のこと。操ってご覧に入れましょう」
私と胡桃が深々と頭を下げた。
その瞬間……。
どぉぉぉぉぉん!
外から爆発音が鳴り響く!
「何⁉︎ 曲者か‼︎」
ぴたっ!
私と胡桃は一瞬、静止する。
無表情のまま……。
ちらりと横を見ると、美しい胡桃のこめかみには青筋がくっきりと浮き出ている。
この失敗作な焙烙玉の音には聞き覚えがある。
……後で説教が必要だな、鉢ノ助。
卯ノ刻 : 午前5〜7時頃




