父上
若の視点にお話は戻ります。
庚辰衆が立ち去り、鉢ノ助も父親と共に家へ帰って行った……二人なら、もう心配いらんだろう。
先程までの喧騒とは打って変わって静まり返る囲炉裏前、父上と自分の二人きりだ。
胡座のまま、俯いていた父上に声をかける。
「もう……宜しいのでは?」
そう言った瞬間、険しかった表情がぐしゃりと崩れた。
「わ〜か〜‼︎」
「はいはい」
同一人物に思えない変わり様は甘え子のよう……そう、まるで子供。
「俺だってさぁ、任務先からすぐに戻してやりたかったけどさぁ……」
ごにょごにょと何やら言うが、里長の判断は正しい。
里の者の罹患を少しでも防ぐには、致し方無かったことだ。
私も同様に、この半年は屋敷内で軟禁状態、他者との接触はほぼ禁じられていた……これもまた仕様の無いことだ。
よしよしと父上の頭を撫でる……犬猫を世話する気持ちと似て……とは口が裂けても言えん。
「でも、陸ノ助の気持ちは……身が裂かれそうな程に分かるがな……」
「だからといって、殴らせ気を晴らさせようとするのは、如何かと……」
それは、なんとも愚策ではなかろうか?
私の母上は身体の弱い御人で、私を産むのと引き換えに命を落としたと聞いている。
その後も、父上は後妻を娶ることなく、実子は自分だけ。
そう、次期里長は私だ。
他所の里がどうかは知らんが、浅緋の里は血の系譜をそこまで重視してはいない。
じいとばあ達の世代が開拓し、拾い子も合わさり、発展してきた里だ。
それでも、里長は象徴……私の命は、自分だけのものではない。
「おいで」
父上が私の手を引いて、自分の膝の上に乗せた。
「茉莉に……似てきたな……」
私の頬をそっと両手で抱え、優しく最愛の母上の名を呟いた。
「お前は……私を置いて先に逝くなよ……」
里長の命令は絶対なのだ。
◇◇◇◇
時は少し遡るーー。
疫病により、刈安の婆様が亡くなったあの日から、私は里長屋敷の一部屋に閉じ込められた。
厠と湯浴みは許されたが、その他の交流は禁じられた。
言い出したのは、半泣き顔の里長だが、屋敷の中に反対する者は無く、寧ろ皆が追随した。
……自分は決定に従うだけ。
もし自分が死ねば、次の里長はいなくなる。
何より父上が、母に次いで私までも失えば、きっと廃人となってしまうだろう…… 忍びとして使い物にならなくなる、それだけは避けねばならない。
「鉢ノ助は大丈夫だろうか……」
あれからもう、四日経つ……小松殿、牡丹、菊……皆、無事だろうか?
煤竹一家の顔が浮かぶ、明るい家だ。
ごろごろと寝転び、床に耳を付けて、里の中の気配を探る。
皆の混乱が冷たい木板から伝わってくる……なのに……私は何もできない。
もどかしさから、じわりと涙が滲んできた……無力だ。
自分はたかが十歳の子供。
とりあえず、生き延びること……今はそれだけ。
だが、下手したら、里の半分は……。
悪い予感が頭を過ぎる。
絶対、言霊にしてはならないもの。
嫌な考えを振り払おうと、首を左右にぶんぶん振った。
寝転んだまま暫くじっとしていると、廊下から気配が近づいてくる。
……あぁ、兄者か。
こんこん!
「若……」
胡桃丸が扉を軽く叩き、声を掛けてきた。
「何か、欲しい物はありますか?」
「……欲しい物? うーん、そうだな……」
しばし考える。
……よし。では甘えるとしよう。
「針と糸と……手拭いが欲しいかな」
「はい! では、すぐにお待ちしますね!」
嬉しそうな返事をするやいなや、胡桃丸が即、出掛けて行くのが分かった。
………………
は、早まったか?
……じいかばあに頼めば良かったか?
数刻後には山程の手拭いと見たことない色合いの絹糸を差し入れてくれた。
……これ、商人から強奪してきたんじゃないよな?
こんな綺麗な品は見た事がない。
何処ぞの献上品じゃないよな?
「それと……申し上げ難いのですが……煤竹の小松殿、牡丹、菊が……儚くなりました」
「っ⁉︎ そうか……」
一瞬、目の前が暗くなる。
陸ノ助殿は当面帰還出来ないはず……鉢ノ助……気をしっかり持てよ。
その日から、手拭いに一針一針、刺繍を刺し始めた。
里の皆への祈りを込めて……。
儚くなる : 亡くなる