忍びの里①
基本は若の視点で話を進めていますが、若が不在の時は天の声、その話の主人公の視点で書かせて頂いてます。
読んで頂けたら、幸いです。
時は戦国時代。
寛正の大飢饉から五十年余経ったが、四年前の疫病流行で武蔵国にある浅緋の里の人口は激減していた。
この忍びの里は平野にある小さな農村だ。
山も森もなく、あるのは見通し良い田畑と林が少し。
……はっきり言おう、ど貧乏である。
特産品もなければ、海もない。
近くを流れる荒魂川はよく氾濫し、度々、水害を招いた。
普段は農民として暮らし、依頼があれば忍として働く。
主な仕事は諜報、暗殺、工作。
……ひたすら地味。
ど派手な戦闘もなければ、身体の中に物怪を閉じ込めてはいないし、蝦蟇は使役できなけりゃ、目から必殺技も出せない。
身体機能は頗る高く、独自の忍術や暗器を使いこなす……けれども、ただの人間。
それが忍だ。
◇◇◇◇
季節は文月。
例年なら田んぼに水が張られている時期なのだが、一部干上がって、地割れがそこかしこ。
日照りが続いている。
「はぁ……。このままでは今年の稲は不作だな……」
溜息を吐きながら、黒米の成長具合を確認する。
「若……」
端正な顔立ちの青年が隣から心配そうに声を掛けてきた。
私の顔を少し覗き込む様に首を傾げると、肩口で結んだ髪が揺れた。
浅緋の里は今、里長が奥州に出稼ぎで不在だ。
そこで里長の実子である自分が里長代理を任されている。
まだ元服前の身。
最初に役目を任されたのは二年前、十二歳の時。
年端もいかぬ子供に大役を任せる程、この里は危機に瀕しているのだ。
四年前の疫病流行では随分と人が死んだ。
とくに抵抗力の弱い老人や女子供の命が多く失われ、当時の里の人口の半分以上が土へと還ったのだ。
無力……その一言につきる。
浅緋の一族であれば、子供でも侍三人くらいならまとめて瞬殺可能な身体能力と技術を擁する。
……それでも人間。
いくら強くとも、病や飢餓には勝てぬのだ。
中央の田畑を抜けて林の手前。
村の西側にあるこの大きな石碑、亡くなった者たちは皆、ここに弔われている。
里での死者は埋葬してあるが……大半は戦死、骸が里に戻ることはない。
じわじわと蝉が鳴き出した。
雨季は雨をほとんどもたらさずに夏を迎えようとしている。
……雨を呼ぶ忍術があれば、どうか教えて欲しいものだな。
青年と二人で石碑前に並んでしゃがみ、そっと手を合わせる。
「ねえ、兄者」
「若……その呼び方は皆の前ではいけませんよ」
柔らかに微笑みながら、でも少し困った顔で美しい青年は答える。
黒い布で鼻から下を覆い隠しているため、口元は見えない。
「わかったよ……胡桃」
彼に言われるまま、私はそう呼び直した。
◇◇◇◇
最近では、小田原北条氏が風磨一族を使役し、相模国を統一。
次は武蔵国に侵攻してくるのでは……と、情報が出回ってきている。
戦国の世、忍の働き口は単発であれば捨てる程ある。
できることなら有力な武将と主従関係を結び、末永くお仕えし、一族繁栄できれば望ましいが……残念なことに、今のところ、なかなか良い縁には繋がっていない。
父上……里長は、出稼ぎから里に帰るときに毎度どこかで拾った孤児を連れ帰ってきた。
そしてその子に名前をつけ、自分の屋敷に住まわせた。
胡桃も拾われ子だ。
里長屋敷で共に育ち、私はいつも兄者、兄者と呼んでは後ろを追いかけていた……里長代理になるまでは……。
けして豊かではない浅緋の里の暮らし。
それでも孤児たちをそのまま見捨てれば朽ちて死ぬ。
「こいつらとは、縁があったんだろ?」
そう言って里長は笑って、拾い子の頭をがしがしと撫でた。
◇◇◇◇
胡桃の幼名は胡桃丸。
十一年前に里長に拾われ、浅緋の里へとやって来た。
里長に連れられて来た時、身体は酷くぼろぼろで痩せこけ、死んだ目をした少年だったそうだ。
私は当時、三つ……記憶は曖昧ながらも、確かに覚えていることもある。
里長が幼き日の私を呼んだ。
「若、おいでーー」
呼ばれた私はとことこと少年の側まで歩み寄り……見たまま思ったことを口にした。
「くるみいろ! きれい!」
そう言って私は笑顔になった……と思う。
少年の髪の色が、とても珍しかったからだ。
目の前の虚ろだった少年の瞳に私の笑い顔が反射する。
その時、彼の闇色の目に僅かだが、すぅっと光が灯った……そんな気がした。
十五歳、元服の時に幼名を忍名へと改名できるのだが……『丸』だけを外し、彼はニ年前、胡桃丸から胡桃となった。
「若が付けてくれた名が、私の名です」
私の前で片膝をつけ、彼は忠誠を誓うように、深々と頭を下げた。
◇◇◇◇
里長の家は村の北側、道の突き当たりに位置する。
里長は出稼ぎで二年間不在、拾われ子達の多くはもう巣立っていった。
今の屋敷内には、自分と胡桃、じいとばあ、蘇芳丸と梅丸の六人で暮らしている。
どぉぉぉぉんっ‼︎
胡桃と屋敷に戻ろうとしたとき、林の近くから聞き覚えのある爆轟音が鳴り響き、鳥が一斉に空へと羽ばたいた。
「……またか」
呆れる自分の横に立つ美青年、胡桃のこめかみには青筋がくっきりと浮き上がっていた……。
◇◇◇◇
黒煙が上がり、砂埃が舞い上がる。
その中心で少年がひとり盛大に、むせこんでいた。
「げほげほげほげほげほっ!」
「鉢ノ助……今日は何をしでかしたんだ?」
後ろから少年に問い掛ける。
「わ、若……」
鉢ノ助が苦笑いを浮かべながら、ぽりぽりと頭を掻く。
煤けた顔、頭に巻いた古い手拭いも端が少し焦げてしまっている。
「火薬量間違えたみてぇだ」
「び、びっくりしたよ……だ、大丈夫?」
皆が声の方を振り向くと、黒達磨が音もなく立っていた。
……正確に言えば、黒い外套を身につけた達磨のような形の少年だ。
長い前髪の隙間からは、不安気な黒い瞳が揺れる。
「悪い、鋼太郎! 怯えさせちまったか」
膝や肩の埃を払いながら立ち上がり、鉢ノ助が詫びる。
「び、びっくりして、持ってた苦無が、ち、散らばっちゃったよぉ」
鋼太郎がはにかんで、ばさっと裾を翻す。
痩せぎすの身体には似合わない、裏地にびっしりと暗器が装着されている外套。
「分量、大事。無駄遣い。勿体無い」
「幹兵衛……」
言ってることが正論だけにばつが悪いようだ、鉢ノ助が亀の様に首をすくめた。
こちらも静かに現れた色白の少年、幹兵衛。
無表情に眼鏡だから、怒っているのか嘆いているのか普通では判断がつかない……普通では……。
ちなみに今日は、嘆いている方だな。
「とりあえず怪我がないのなら、不問にするが……」
三人の顔を見回し、溜息を吐く。
「話がある。皆、屋敷へ……」
そう促し、北の里長屋敷へと歩み出した。
屋敷の遠くの空には、黒い雲が近づいて来ていた。
文月:7月