第八話 家庭訪問は突然に
蝉が羽を伸ばし始めた。
ジメジメとした6月も過ぎ、日差しと湿気が襲う7月が中旬に差し掛かったころ。私立校ならではの冷房が効いた教室ですっかりいつものように柳城と弁当をつまむ。
「そろそろ期末テストだし、勉強会しようよ浅海。
あ、今日は唐揚げあるじゃん。それちょーだい」
返事を言うまでもなく、唐揚げをヒョイっと取られる。やっぱり浅海の唐揚げは美味しいなぁと嬉しそうだ。いやまあ喜んでもらえて何よりです。
「……勉強会、か。それ自体は別に構わないんだけど。何処でやるとか希望はあるのか?」
「おお、珍しく浅海がノリ気だ!
……うーん。うちではたぶんできないから、浅海の家とか大丈夫? あとコレ、ベーコンポテト」
弁当のおかずを渡されながらの提案。
勉強会自体は正直非常に助かるのだ。自分1人だとどうも勉強しようとしても身が入らないことが多い。けれど……。
「悪いが俺の家はダメだ。やるなら図書室とかの自習室でやろう」
「ええ〜。浅海の家ダメなの? 今まで行ったことないから行きたかったのに……。
ちなみにどうしてダメなのか理由を聞いても?」
「俺が人を家に入れたくない」
「……単純にしてどうにもならない理由だ」
そんなに散らかってるのか浅海ハウス……?と柳城が何か考え込む。別に散らかってるとかではない。単純に人を家に入れたくないだけなのだが。すると何かを思いついたようで柳城が少しニヤリとした。……嫌な予感。
「……わかったよ。浅海の提案通り図書室で勉強会をしよう。でもいいのかな?」
「……何が?」
「図書室とかだとたぶん、他の生徒もいるだろうね。そんなに集中できないと思うよ。それにわたしと一緒にいるところを見られるのは浅海としては不愉快なんじゃない?」
こいつ、自分が目立つことを理解してやがる。
……実際、こうして柳城と話すようになってからは周囲の視線が変わっているのを感じる。生暖かい視線ならまだいいのだが、明らかに敵意の混じったものまであるのだ。目立ちすぎるのはあまり好きじゃない。
「ぐ……確かに言う通りではあるが……」
「そうそう。それに今ならわたしが適当にお菓子とか持っていくし。まあ部屋代として受け取ってよ」
しかし……こいつ女なんだけどな。
男の家に上がり込むのって普通は躊躇するもんじゃないのか? 見ると、楽しみだなぁ浅海んち。
ともはや俺の家に行くのは規定事項と化しているようだ。
……よし、そこいらへんでやんわりと否定をしてみようか。
「言っておくけど、俺は一人暮らしだから親とかもいないぞ」
「え? そうなの!? いいなぁ一人暮らし……。
あ、だから浅海って自分で弁当とか作ってるのかぁ
これは俄然楽しくなってきたね」
一人暮らし〜自由の楽園〜とすっかり上機嫌になってしまった。……おかしいな? もう少し難色を示してもいい内容を伝えたはずなんだけど。
こいつ自分の身に危険があるとか思わないのか?
やっぱり俺って舐められてるんじゃないか?
当てが外れてしまった俺は、もう自分の家に招くことは避けられないと観念して、静かに溜息を吐くしかできなかった。
学校から歩いてすぐの場所。そこに俺の家はある。
「めっちゃ近いじゃん! それにすっごい立派だね浅海ハウス……」
「……はぁ、だから教えたくなかったんだよ」
最上院学園附属高等学校のすぐ近く、学校側と提携して建てられた学生マンションが俺の今過ごしている家だ。とは言っても駅からのバスが走っているため、OBOGでも利用しづつけている人が多い。空きがほとんどでない人気の物件だ。
メイン顧客は私立校に通ういいとこの坊ちゃん、なのでコンビニオートロック完備。
セキュリティも充実していていつでも警備員さんが目を光らせている。学生の一人暮らしには勿体ないぐらいの設備だ。
「……浅海ってなにかとケチくさいから、もっと場末のアパートとかに住んでるのかと勝手に思ってたよ」
「俺がケチくさいのは正直否定しないけどな。
まあ、色々と事情があるんだよ」
大量に買い込んだお菓子やジュースを手にした柳城がそう感想を漏らす。その量だとお前絶対食べきれないけどいいのか?
エレベーターに乗り、そのまま自分の部屋に向かう。別に人に見られて困るものがあるわけではないものの、これから人を家にあげるとなると憂鬱だ。
「……おじゃましまーす。……おお、浅海の匂いがする。
そして思ったよりも……なんかすっきりしてるね」
「男の一人暮らしなんてそんなもんだ。
ほら、ジュースとか冷蔵庫に入れるからよこせ」
そわそわとして、今にもうろちょろと家の中を探索しそうな柳城から目を離さないようにする。
人の家をそんな遊び場みたいな目で見てほしくないんだけどな。
「わたし、女の子の家しか行ったことないから、はじめて男の子の家に入ったかも。
なんかすっごい質素というか、色味が少ないね」
「それはたぶん男の家の特徴じゃなくて、俺の家の特徴だとは思うけどな。あと──」
「俺の部屋だけは、絶対に入るなよ」
重要なことなので、早々に釘を刺しておく。
もちろん部屋についている鍵はきちんと閉めたままなのだが、こいつだと何かしら理由をつけて入ってきそうで怖い。
「……見せられないものでもあるの? 気になるな〜」
「まあそう思ってもらっても構わない」
冗談めかしているので、毅然とした態度で断固拒否の姿勢を明確にしておく。
すると少し面食らったのか考え込んだ後に、おそるおそるといった様子で聞いてきた。
「……えっちなやつ?」
「黙秘する。どうせ入らせないからこのことは忘れろ。ほら、さっさと勉強するぞ」
浅海もそんなのに興味があるのか……?と何やらぶつくさとつぶやきつつも、いそいそとリビングのテーブルに筆記用具や参考書などを出しはじめた。
何とでも思ってくれていい。とりあえずはこれで部屋への侵入は避けられたと思いたい。
赤の他人に、俺の部屋には入られたくない。
しばらく二人で勉強をすると次第に学力差が露わになった。というわけで今は。
「そこ間違ってるよ。それはこっちの公式を使わないと」
「……なるほど。たしかにそうだ」
お菓子をぽりぽりと食べながら柳城が解説をはじめる。プリントに少しお菓子の粉が舞うのでやめてほしい。
ちなみに柳城は頭が良く、成績もかなり上だ。
転入前の学力試験では満点近く取れたと自慢げに話してきたことがあった。俺のほうはいいとこの中の上ぐらいなので、この勉強会では一方的に教わる側となっていた。
差がついているようで、なんとなく気に入らないのは俺が小物なのだろう。
「よかったね〜わたしが勉強会を提案して。
無料でこんなにみっちり講義を受けられるなんてお得だよお得」
「それには感謝してるよ。正直助かる」
おお……浅海が珍しく殊勝な態度をとっている。
とかなり失礼な物言いである。
まあ教えてもらっている手前、そんな言葉は飲み込んだが。
「柳城はその調子なら次は特進クラスに行けるんじゃないか?」
「とくしん? アレって入学前のテストで上位だった人たちだけのクラスじゃないの?」
私立最上院学園附属高校のは学力毎に主に3つのコース分けがある。
普通、進学、特別進学の3つで、今俺たちがいるのは普通コースだ。ちなみに普通コースとは言っても実態としては成績中〜下の学生が集まっているので、同じ高校の生徒でも特進とは学力は雲泥の差だったりする。
「でもでも、アレって入学した後は基本変動しないよね?」
「いや……? 成績上位者は自動的に年度ごとにクラスとコースを変えるから、通年での成績さえよければ2年生からは特進でもおかしくないぞ」
「そうなの? 知らなかった……」
すると、柳城は何やら考え込みはじめる。
かと思ったら、お菓子を脇に置いて、ヨシっ!と気合を入れた。また何か良からぬことを考えついたな?
「浅海、悪いけどこれから毎日勉強会するよ。
浅海をとことんまで鍛え直して、少しでもわたしの成績に追いつけるようにするんだから」
「え? 毎日やるのか? これからまだテストまで1週間ほどあるんだが……」
「お菓子は食べきれないほどあるし、そもそも食べる暇もないぐらいやるからね。気合入れなよ」
そこまで成績にこだわりないです……という抗議の声は無視され、柳城の今までよりも熱心な指導が始まった。
その甲斐あってなのかは知らないが、テストの結果はかなり上位に食い込むことができた。
流石に特進クラスには及ばないものの、ひとつ上の進学クラスの平均には届いているようだ。
ちなみに柳城は少し調整ミスったなぁと言いながら、自分よりも良い点をとっていた。コイツ……。
なんでお菓子を摘みながら指示を出してるほうが良い点取ってるんだ? しかも余力残しまくりみたいだし。
だが柳城のおかげで思わぬ手土産が出来たのも事実──これで家に帰るのに少し気が楽になったかな。