第二十二話 湿った雨の中
アスファルトから熱気が立ち上る、茹だるような暑さの昼下がりのカフェ。俺と柳城は柳城の母親、蘭子さんを相手にして、どうしようもなく俯き気味になっていた。
「それで? つまりは愛美ちゃんが常々話してた浅海さんは、この男の子ってことでいいかしら?」
「うん……そうなの」
「そのうえ、あまつさえ夏休みの初日から2泊3日の北海旅行に行ってきたってこと?」
「そ、そうだよ」
「……愛美? 一体何を考えているのかしら?」
蘭子がテーブルに置いた人差し指が規則正しくトントントンと音を奏でる。
きっと彼女の感情を示す癖なのだろう。
柳城もこれには言葉もなく、あぅぅ……とうめき声を発しているばかりだ。
「そもそも! ……そもそも私はこの旅行には反対だったのよ。愛美」
ジロリと責め立てるかのように柳城を睨む。
その目は怒りと──同じぐらいに柳城への心配が篭っていた。
「あなたがどうしてもって言うから渋々許可を出したし、どういうわけだかお金がかからないから変だと思っていたけど……まさかこんな、男と一緒に寝泊まりするなんて……信じられないわ」
「そ、それは……祐介は友達だから、大丈夫だし……」
「友達? 友達だから男女が同じ部屋で泊まっても問題無いって言ってるの? ……駄目に決まってるじゃない。私はてっきり、浅海という女の子のお友達がいるものだとばかり思っていたのよ……。
愛美、もしかしてだけど……」
すると蘭子は一転して怒った様子から、涙を堪えたような悲しげな表情になる。
それは柳城という壊れやすい人物を純粋に心配している証だった。
「──脅されてる、とかじゃないわよね?」
だが、その言葉に含まれた想いとは裏腹に。
それは柳城の逆鱗を刺激するには充分だった。
今度は柳城がみるみるうちに顔を真っ赤に染めて、怒気を孕んだ声を出した。
「祐介は、そんな人じゃない!
祐介のことを知らないくせに、悪く言わないで!」
すると、蘭子に再び怒りが込み上げたようで、柳城の頬を張った。パシンッという軽い音がカフェの店内に響く。咄嗟のことで思わずガタッと席を立つがそれは蘭子の鋭い目で制されて、身体を動かせなくなる。
「愛美、親に向かってなんなのその言い草は?!
絶対この男に騙されてるだけなんだから!
……良いわ、ここで話しても埒が開かないだろうし、今日は帰ったらとことんまで話し合いしましょう」
だが、柳城もその怒りは冷めやらないようで、赤くなった頬を気にもとめず、毅然として自分の母親を睨みつけている。
「良いよ。祐介のことを馬鹿にされたんだもん。
こっちだって絶対引かないんだから」
バチバチと火花が散る。この二人の諍いを目の当たりにしては、自分はもうどうにもできそうにない。
せめて釈明を……と思ったものの、考えてみると、今回の旅行の一件は俺が発端でしでかしたことばかりなので、説明すればするほど無責任だと非難されるべきで、どうやっても援護にはならなそうだ。
「浅海くん。あなたとも後日、ゆっくりと話し合っていきますからね。覚悟しておいてください」
「……はい。僕なりにきちんと説明しますので、
そのときはどうかよろしくお願いします」
蘭子は帰るわよ。と柳城の腕を掴んでズンズンと脚を進めていき、そのまま会計に叩きつけるように代金を支払っていった。
これは……かなり大変なことになったようだ。
身から出た錆とはいえ、つくづくゆっくり休めそうにはなかった。
俺の心を知ってか知らずか、蝉が喧しく鳴き声を立てる。それがなんとも気に障る。
家に帰るためにバスに乗り、思いに耽る。
柳城があそこまで発奮してるのは初めてみた。
どうやら俺のことを悪く言われたことに腹を立てたようだが、こちらとしては嬉しく思う反面、今回の件は全面的に俺の……いや、浅海家が原因なのでどうにも分が悪いだろう。
そのうち、自分にも弁明する機会が与えられるようだし、今回の事情を包み隠さず話した上で、何処かしらに嘘を少し交えて誤魔化す必要があるなと感じた。
家にほど近いバス亭で降りて、2日ぶりの自分の部屋で数時間椅子に座って考え込む。
家を出た時とは随分と心境が変わっていて、あの旅行の出来事の大きさに驚かされた。
そんなことを感じながらも、今回の件についてどうすれば綺麗に収まるかをぐるぐると思い詰めていた。
「柳城、お前はどうしたい──っ」
いつものように傍らに話しかけようとして、彼女が今は近くにいないことを今更思い出す。
いつのまにか彼女が側にいることが当たり前になっていて、こうして一人で過ごしていると何か物足りなくなっていた。
その時、俺の気持ちは決まった。
なんとしても柳城を取り戻し、また一緒にいられるようにする。
柳城の笑顔のために、何よりも俺自身のために。
「──よし、そう決まれば柳城に連絡だ」
今、彼女はきっと母親と口論しているか、それに負けて意気消沈しているだろう。
どちらにせよ、俺が間に入って彼女のことをフォローして、できるなら蘭子さんを説得しなければならない。
そう思い電話をかけると──。
何故か、玄関先でコール音が微かに聞こえた。
(!? どういう、ことだ……?)
状況が飲み込めずに、硬直する足を引きずってそのまま玄関へと急ぐ。音は次第に大きくなり、近づいてくる。
内鍵を開けて。
扉をゆっくりと開けると、生ぬるい湿った空気が流れ込んできて──。
「さっきぶり……だね。祐介。ちょっと、屋根を貸してくれるかな……」
携帯を握りしめて。
雨に降られたのか服を濡らし、泣き腫らした柳城が、そこに立っていた。




