第一話 どうして君は俺に話しかけるんだ?
黒板を見るふりをしてチラチラと時計を見やる。きっと教師だってその時を待ち望んでいるのだろう。長針が動き、ついに待ちに待った時間がやってくる。
終業のチャイムが学校に響き渡り、教師がチョークを置いて教室から出ていくとにわかに喧騒に包まれた。今日の授業は全て終わり。俺は堅苦しさから抜け出してようやく息ができるような気分になった。
本日も平和なことに特別なことなど何もなく、雑多な連絡事項も程々に、俺たちは学生の責からようやく解放された。
部活、帰宅、友人と遊びに行く。ザワザワとクラスの皆が思い思いの放課後を過ごそうと準備をしている中で、俺の机にぴょこんと一人の小さな少女が近づいてくる。
「浅海〜今日はどこ行く? 行きたいところ無いならゲームセンターでいいかな?」
「……言っとくが俺は遊びに行くなんて一言も了承してないからな?」
意識はしていないが、会う人には怖いと言われる鋭い目つきで彼女に応える。けれど目の前の少女はもう慣れているのか全く怯むこともなく、きょとんと首を傾げる。……俺が変なことを言っているかのような顔をされても困る。
「今日忙しいの? 何かあるなら別に明日でもいいけど?」
「いや……別に何もないけど」
「なんだびっくりさせるなぁ、じゃあ決まりだね。
色々遊びたいから教えてよ浅海〜」
彼女が俺と一緒に遊ぶのが楽しみで、とてもウキウキとテンションが上がっているのが伝わってくる。今更何の理由も無く断ることは難しくなった。
きっとこいつ──柳城愛美のことだ、ゲーセンなんて行ったことが無いから、どんな場所なのかは知らないのだろう。
俺としてはあのガチャガチャとして煩く、他人が横を通りがかるような空間は苦手だ。俺と同じように人見知りする柳城も行ってみればそうだと思うのだが。第一ゲーセンと彼女の見た目はあまりにも噛み合わない。
「俺もあんまり行かないから教えられることなんて無いぞ」
「そうなの?! 男の子っていつもゲームセンターで遊んでるイメージあったから意外……」
「人によるってことだ。俺はケチだからゲーセンは行かない」
「あ、それは安心してよ。わたしが奢ったげるから」
むふーっと自慢げに胸を張る彼女、そんな姿を何人かの男子が少し色めきたってチラリと見た。俺は彼女自身には悟られないようにその視線の先を軽く睨んだ。
柳城は背はまるで中学生のように低い、だが出るところは出て締まるところは締まっているのが人の目を集める原因だ。
顔立ちは幼く、その大きな目は俺を見て輝きを増して、薄らとピンク色の唇は柔らかくよく動く。ふわふわとした長い髪と相まって、アニメのフィギュアが喋ってるかのような容姿をしている。
いかにも無愛想でとっつきづらい俺とは対照的。もう少しだけ積極的に人と会話できていれば、クラスの中心人物になっていただろうにと少し勿体無く思う。
「いや……別に奢らなくてもいいけどさ」
「そうなの? 遠慮しなくてもいいのに〜」
俺の分まで遊ぶ金を払ってでも、一緒に遊びたいのかと思うと、そこまで慕われていることに及び腰になる。
じゃあ早く行こうよ!と手を掴まれてぐいぐいと引っ張られる。その様子は実年齢以上に幼く見え、外から見れば子供が父親に駄々をこねてるようだ。
(しかし、なんでこいつこんなに俺に懐いてるんだろうな……?)
周囲からの生暖かいような、どこか嫉妬の混じった視線を感じる。
なのでさっさと荷物をしまって鞄を担ぐ。
クラスでも評判の美少女である柳城。彼女が俺みたいなクラス内で孤立している冴えない男に懐いているのが面白くないやつは多いのだろう。
けれど当の本人である俺にしても、彼女にここまで好かれる理由が皆目見当がつかない。正直困惑しているのだ。
「柳城さん! プリント忘れてない? 大丈夫?」
「え?! あ、あの……だ、大丈夫……です。
声をかけていただいて……ありがとう、ございます……」
「あはは……その、ごめんね話してるところ」
「いえ……その……」
突然、クラス委員長に話しかけられて柳城が吃る。俺と話をする時は気安く饒舌。けれど転校してきて1ヶ月ほどで慣れてきたはずなのに、未だに俺以外のクラスメイトにはこの調子だ。
きっと委員長は柳城と友達になりたいんだろうな、と普段の彼女の態度から察した。しかし当の柳城はずっとこの調子なので、一向に距離が縮まることがないのが可哀想に思える。
「あ……その、浅海くんはどうかな? プリントもらった?」
「ああ、ありがとう……ほら柳城、帰ろうぜ」
「あ、うん……じゃあ……」
委員長からの別れの挨拶が返ってくる前に、二人で逃げるように教室を後にする。散々、柳城の交友関係を気にかけておきながら、俺自身には友達を作る気なんてさらさら無いのが困りものだ。
柳城のように追いかけるような積極的な誘いでなければ基本的には断っている。自分からクラスメイトに話しかけた記憶がないので、きっと俺はクラスではよほどの変人だと思われているのだろう。
けれど、基本的に一人でいることを好む俺にとって、多少冷たい態度を取ってでも一人の時間を確保したいからしょうがない対応だった。
「ふいー…びっくりしたぁ……全く心臓に悪いよ」
「お前はもう少し俺以外とも仲良くしたほうがいいぞ」
「えー? いいじゃんそんなの。さあ気を取り直してゲームセンターだよゲームセンター!」
彼女のことを考えた俺の忠告はにべもなく無視された。さっきまでの慌てようが嘘のように溌剌とした笑顔をこちらに向ける。意気揚々と俺の隣を大股で歩いていく彼女を見て、俺は苦笑しながらも少し歩みを早めた。
学校からバスに乗って駅前のゲーセンへと足を運んでいく。俺と柳城は基本的には気の利いた雑談ができるほどコミュ力は無いので少し居心地が悪い。
どうするかなと一人思考を巡らし、思い切ってどうして俺に話しかけてくるのか聞いてみる。そういえばこうして面と向かって彼女に質問するのは出会ってから初めてかもしれない。
「なあ、柳城。お前なんで俺とつるんでるんだ?」
「んー? 変なこと聞くねー」
すると柳城は窓から目を離して振り返り俺のことをじっと見つめてくる。
俺に話しかけられたのがよほど嬉しいのかその口元は僅かに緩んでいた。
そのダークブラウンの大きな瞳に、俺の仏頂面が写っているのがわかって少し気まずくなった。
ドールのように整った顔。とても俺と同じようにクラスでは浮いた存在であるとは思えなくて──俺ではなくもっと相応しい人と親交を深めたほうが妥当なように感じる。
「んふふ〜どうしよっかなぁ? 教えてほしかったらゲームでわたしに参ったって言わせてみてよ」
「なんだか面倒臭そうだな」
「そこはノってよ〜ノリ悪いなぁ浅海ー」
ニマニマと悪戯っぽく笑う彼女のペースに乗せられると、ついつい自分もあまりしないようなことをしてしまう。彼女と一緒に普段やらないことをするのは……それはまあ俺も新鮮で楽しいからいいのだが。
「二人ともはじめてのゲームで対戦して、勝ったらなんでも言うこと聞くってことで!」
「俺にはメリットは無さそうだからやめとく」
「えぇー? ケチー…もしかして負けるのが怖いのー?」
目を細めてウリウリと肘で脇腹を突いて、わかりやすく挑発してくる柳城。やっぱりどこか世間知らずだなと思った。
もし俺が日常的にゲーセンに通っていて、それを隠して自分の得意なゲームで対戦して柳城が負けたらとか考えないのだろうか?
彼女のことをどうにかしようなどとは全く思っていないけれど、ここまで無防備に信頼を寄せられると男としては少し困ってしまう。
「俺は煩いのは嫌いだからな……適当にクレーンゲームとかメダルゲームとかやってるよ」
「なにそれなにそれ? あっでもクレーンゲームは知ってるよ! ぬいぐるみとか取るやつ」
俺の話に興味を持った柳城が目を輝かせてはしゃぎだす。結局その後も肝心な俺の質問は有耶無耶になってしまって答えは聞けずじまいだった。
この時俺は……心の中で無意識に想ってしまったのかもしれない。
柳城愛美──人見知りで俺以外にはコミュ症の彼女が俺に懐いているのは、もしかすると特別な理由があるのではないかと。
ただの一介の男子高校生である俺にも、彼女のようなキラキラした人との共通点があるんじゃないかと。
それならば……俺が彼女の隣に胸を張って堂々と立てるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのだ。
ゲーセンで散々遊んで散財した後、最後に思い出として撮ったプリクラ。そこには満面の笑みを浮かべる柳城とぎこちなく笑う俺が写っていた。
きっと今日の日は彼女にとっては楽しい思い出になったのだ。こんな面白味のない俺でも少しは役立てたかなと、寝る前にその写真を見て感慨に耽った。
これは俺が柳城愛美という人と出会ってからの日々を記した物語。
気分屋でおっちょこちょい、箱入り娘で世間知らずで……感受性豊かで片時も目が離せない。
そんな困ったやつに、俺が絆されていくお話だ。