影の首領ハザム
お城の隠し部屋から引っ越したアイルは、その後しばらく各地を転々としていた。そしてやがて故郷の森と似た白樺の森に辿り着く。里では翼竜の世話をしていたので、馴染みのある翼竜の巣を見つけた安堵感から、巣の中で生活することにしたのだ。そうしているうちにランサムに発見されるに至ったのである。
「アイルちゃんの勉強は捗っていますか?」
定期訪問にきたオーランドがランサムに尋ねた。
「うん。大丈夫だよ。僕より優秀だ」
ランサムは変態王子との異名があるが、学習面ではとても優秀だ。その彼が優秀だと認めたことにオーランドは舌を巻く。そして実際アイルは優秀だった。
試しにやらせてみたという模試の結果をランサムがオーランドに見せた。全てにおいて非の打ち所のない回答だった。
「これなら、学園の編入試験も問題なさそうですね」
ランサムはその問いに満足げにうなずいた。
そうのんびりと話している二人の前では、アイルが子供の影と組手をしていた。学習の合間に、こうやってアイルは影と組手をすることが増えていた。ランサムとオーランドは微笑ましい気持ちで眺めていたが、組手の相手がみな一様に冷や汗をかいていることには気がついていなかった。
オーランドが家に帰り、ランサム一人でアイルの組手の様子を見ていると、ランサム専属の影が珍しく主に話しかけた。
「主。彼女はおそらく、はぐれ影です」
影は見られることを嫌がる。そのためランサムは振り返りもせずに、後ろで静かに話し始める影に答えた。
「はぐれ影?」
「ええ。影にも色々な流派があります。しかし、彼女はここらでは全く見かけない技法をいくつも使います。おそらく遥か遠くの地から流れ着いたのでしょう」
「遠くの地から……」
「組織から何らかの理由で離れてしまった者を『はぐれ』もしくは『はぐれ影』と我々は呼んでいます」
「なるほど」
そう言ったまま会話が途切れ、アイルと子供の影の静かな組手の衣擦れの音のみが森に響く。
「ちなみに、彼女をそのままハザムの部下としてしまうのはどうだろう? 別に無理に影になれとは思わないけど、元々影なら、昔と似た環境の方が彼女もやりやすいだろう」
しばらくして不意にランサムが口を開く。ハザムと言うのは先程話していた影の名、もしくは影の一族の名前だった。
「……それは難しいかと」
ハザムは正直に答える。
「やっぱりハザムのところに入るには技術が足りないかい?」
「いえ。逆です」
「逆?」
「はい。彼女は我々には扱いきれません」
「……なるほど」
ランサムはどこまで理解しているのかよくわからない顔で『ふむ』とひとりごちたあと、
「とりあえずこの話はオーリーには内緒ね。頭痛の種が増えたとかぼやかれちゃうから」
とハザムに命令した。
アイルは幼い頃からあらゆる技術を仕込まれていた。それには暗殺術だけでなく、情報収集術も含まれている。当然教養も叩き込まれた。依頼を達成するためにあらゆる状況に対応できるように作り上げられた子供だった。
どんな状況にでも対応できると言うことは、学習能力も高くなければならない。里で教え込まれた、強制的に集中する方法、思考を制御する方法、効率よく情報を把握する方法等々。それらを駆使すれば、10歳ほどの子供を対象とする試験など容易い。
また、里で引き受ける仕事は暗殺だけではなかった。諜報活動も含む。そこで一族は古くから各国の貴族の血も取り入れていた。そして一族の中で貴族の血を引く者たちは専門部隊として活動した。アイルはその貴族専門の家系だった。そのため、貴族の作法は一通りできる。そして、下手な王族よりも見目がよかった。
貴族の作法は身についているものの、森での生活ではその片鱗も見せなかったのは、今は仕事が与えられているわけではないので、やる必要を感じていないだけだ。そのため、森での生活においては貴族らしさのかけらもなかったのだ。
アイルを学園に入れようという話が出てからそう日が経っていないうちに、オーランドは学園に入る手続きを済ませてきていた。ランサムとオーランドは、もうアイルが編入試験を受けても問題ないと判断していた。その目論見通り、里で英才教育を施されていたアイルは、王弟の与える教材を簡単にこなし編入試験を満点でパスした。
世話役として優秀なオーランドが手際よく準備をしていき、アイルはすぐに学園へ入ることとなった。ランサムは翼竜が居るので森を離れることはできない。そのためアイルはオーランドの子爵邸にこれから暮らしながら学園へ通うことになっていた。つまり、ランサムとはしばしの別れとなる。
「アイル。これから君は子爵令嬢になる」
ランサムはアイルの前に跪き、優しく語る。翼竜好きのランサムと、翼竜と共に眠るアイル。変わり者同士通じるものがあったのだろうか。まるで親子のようにも見える。
「友達は……そうだな。無理に作らなくてもいいよ。アイルが自然体でいられれば、それでいい」
そう言う恩人の言葉に従ってアイルは無理をしない子爵令嬢になることにしたのだった。
 




