薄幸王子ジルフォード
軍の訓練所を離れ、アイルが次に向かったのは以前仕事をしたことがある場所だった。
そこは王族の住まう城にある、王族のみが知るとされる隠し通路、そのさらに先を通っていくと辿り着くことのできる隠し部屋。石造りの壁と壁の隙間に設けられた、大人三人が並んで寝られる程度の空間。しかし、幼い少女には十分な広さだった。
そしてそこは以前仕事をした際に自分たちで設えた部屋だった。正に勝手知ったる他人の家であり、アイルはこの隠し部屋にたどり着くなり悠々と寛いだ。
隠し通路を伝って厨房へ行き、そっと食事をもらう。気が向いたら城の天辺へ行き城下町や星空を眺める。そしてあちこちに張り巡らされた各部屋からクッションや布団やおもちゃ、小物をもらい、快適な部屋を作っていった。ここは長く住めそう。アイルはそう思った。
アイルの部屋は子供部屋の隣だった。
「ジルフォード様。本日はこちらのお召し物になります。王弟殿下との会食後……」
そこでは子供が多数の大人に世話をされながら過ごしていた。ジルフォードと呼ばれた子供は、侍女らしき年嵩の女性にあれやこれやと説明をされている。その侍女よりいくらか若い女性たちが子供の服を次々と着せていく。子供は侍女の説明を聞いているのかいないのか、何も話さずされるがままになっていた。
この子供は恐らく王族かそれに準ずる身分の子供なのだろうが、仕事中ではないアイルにとってはどうでもいいことだった。
それよりもアイルが興味を持った物。それはその子供に用意されたクッキーだった。窓際に置かれた丸テーブルの上に鍵付きのガラスの箱が置かれていた。クッキーはその中に沢山入っている。アイルは隙を見ては鍵を開けてクッキーをもらっていった。
(ここはとてもいい場所だ)
アイルはそう思った。
一方、子供部屋の主ジルフォードはいつの頃かクッキーが減り始めていることに気が付き始めていた。減ったクッキーは専属の給仕により足されており、一見しては気が付かない。
しかし、クッキーには様々な模様が描かれていた。そして、ジルフォードは実はお気に入りの絵柄は食べずに取っておくようにしていたのだ。そして、たまたまそのお気に入りの絵柄をアイルも好んで食べていた。
「妖精さん、妖精さん。僕の話を聞いてください」
ある時からジルフォードはクッキーの箱に向かって小声で話しかけるようになった。鍵付きの箱からクッキーがなくなっているのだ。なにか不思議な現象が起きているのに違いない。クッキー好きな強盗が王宮にそう頻繁に出入りするのも考えにくい。
(と言うことは、妖精さんの仕業に違いない)
ジルフォードはそう思ったのだ。
アイルもクッキーを貰っている身。話を聞くくらい吝かではない。
「僕はお外に出られません。誰かに狙われているそうなのです」
ジルフォードは滔々と話す。
「きっと叔父上です。犯人は叔父上なのだと思うのです。でも、誰も話を聞いてくれません。僕のことを愚かだと思っているのです」
ジルフォードは毎晩クッキーに向かって話しかける。
「妖精さんは外に出られますか? 楽しいですか? 妖精さんは困っていることはありませんか?」
まれに妖精のことも気にかける優しい子であった。
しかし、アイルが子供の様子を見ている限りでは、あまり大切に扱われているようには見えない。本人の言うように、少し賢くない子供だとしてあしらわれている様であった。
その賢くない子供が何を言っても信じてもらえないのだろう。ジルフォードは日に日に迫りくる暗殺の恐怖に怯えながら窮屈な生活を送っていた。その中でクッキーの妖精は唯一の気晴らしだったのだろう。
あるとき子供が部屋を留守にしている間に、その部屋に複数の人間が忍びこもうとしていることに気がついたアイル。暗器を持っているのでこれが暗殺者だろう。クッキーのお礼にアイルはその怪しげな人間たちを殺しておいた。
ジルフォードはいよいよ自分の身に危険が迫っていると感じていた。王弟である叔父から決定的な言葉を聞いてしまったのだ。これからは王宮どころか部屋からも出ることはできないかもしれない。逆にどこか遠くへ追いやられ、幽閉されてしまうかもしれない。
(部屋から出られれないより、遠くに幽閉される方が嫌だな。そっちだとクッキーの妖精さんともうお話できないかもしれないから……)
そう落ち込みながら自ら部屋の扉を開く。扉を開ける者すらいない状況が、彼の待遇を物語っていた。
すると、扉の隙間から鉄のような匂いがした。本能的に感じる死の匂い。
自分はここで終わってしまうのだ。何となくそう思いながら、しかし現実感を持たないまま扉をおし開ける。
すると、部屋には血まみれの人間たちと、そこに佇む妖精のように美しい少女がひとり、いた。少女は真っ白なワンピースを着て、手には小刀を持っていた。状況から少女が地に伏す者たちを切ったのかもしれない。しかし、少女のあどけなさと、一滴のシミすらない白いワンピース。ジルフォードは状況を全く理解できなかった。
しかし、不思議とその少女の正体はわかった。
「……妖精さん?」
ジルフォードのその問いに、アイルは首を横に傾けた。アイルは妖精ではない。しかし、ジルフォードの言うところの妖精ではある。
「クッキーありがとう」
とりあえずお礼を伝えた。そして、ジルフォードの護衛が駆けつける前にアイルは姿を消すことにした。窓から出ていこうとするアイルに、ジルフォードは名前を問う。
「君の! 君の名前は、なんていうの?」
「アイル」
「僕はジル。ジルフォード。君が困ってるとき、今度は僕が助けてあげるから!」
そう言った次の瞬間にはアイルはもうそこにいない。ジルフォードの護衛が部屋に来るまで、血まみれの部屋に独りジルフォードは佇んでいた。
『同業者がいるところに長居してはいけないよ』という、すでに滅びた里の掟に従って、アイルは引っ越した。