◇五年前の話②
よろしくお願いします
アイルの父親が生きていればまた里の未来も違っていただろう。しかし、残念ながら数年前に死亡している。
アイルの父ライはややふざけた性格であり里の者には珍しく感情豊かな人間だった。アイルの母親を笑わせたことのある唯一の人間でもある。戦闘技術も里随一で、戦闘以外にも潜入から若手指導、小物作りから古文書解析まで幅広く器用にこなした。
ライもアイルの母親も美しい人間だった。なぜなら貴族専門の潜入捜査をするため、里がそう造ったのだ。貴族、さらには王族をもをだましてその血を取り入れ、社交界に紛れてもおかしくない容貌の人間を作ることが古くからこの里では行われてきていた。
あまりに近い貴族で思わぬ関係性を疑われてしまう。そのため適当に遠い土地で血を取り込んでいた。適当な血として選ばれた国の中にアラトニアやジルコニアが入っていた。つまりアイルとジルフォードは正真正銘、血筋の上では親戚関係にあった。
アイルと共に逃げているシュウは、生まれる前からアイルとペアを組むように指定されていた。つまり許婚である。
「フィー。とりあえずどこでもいい。家ん中飛び込め」
シュウとフィー(アイル)はこの時8歳。まだ恋人のような仲ではなかった。しかし良きライバルであり、里の中ではよく話す方だ。
実際里に住む民の関係性は微妙だ。里長を絶対君主とし、指揮系統が強固に作り上げられ、厳しい上下関係があった。しかも生まれながらに役割を割り振られ、逆らうことは許されない。そして役割ごとに待遇も異なるため、横の関係は歪。
次期族長候補でしかも暗殺部隊であるアイルは腫れ物に触るかのように扱われるため問題はなかったが、工作部隊上がりのシュウは露骨に疎まれることも多かった。
「何をしに来た」
たまたまシュウとフィー(アイル)が逃げ込んだ先の家も、そんな夫婦の住む家だった。ここは影の里。突然の不法侵入者に対して夫婦は慌てることなくその者の首に刃物を突刺そうとしたが、シュウとフィーも慌てることなくも小刀で防ぎ何食わぬ顔で部屋に押し入った。
「里はもう閉じるんだとよ」
不貞腐れた顔でシュウがそう言う。里の者も、主国延珠が崩壊したことは知っていた。その後の身の振り方の会議が開かれていることも知っていたが、夫婦は今ここで初めてその結論をきいた。『里を閉じる』、その言葉の意味も里の者ならすぐに分かった。
「逃がしてやる」
おもむろに、シュウを嫌っている夫がそう言い、棚の後ろにある隠し通路の扉を開く。そして、妻が手に抱いていた赤子を抱き寄せ、シュウに説明する。この夫婦は賢く、話が早かった。
「この隠し通路はこの子がもう少し大きくなったときに、一人で抜け出せるように作ったものだ。だが見ての通りまだ這うことも出来ない。延珠崩壊までまだ時があると思ったんだが……」
夫婦はシュウとアイルを見逃す代わりに赤子を逃がしてやって欲しいと頼んだ。
一瞬足手まといが増えることに迷ったが、迫りくる鬼を交わしながらこの夫婦と戦いが始まるよりかはましかと思い、赤子を受け取り隠し通路から抜け出すこととなった。
実力者でありながら生まれた一族が分析部門だったがために、暗殺の一族よりも格下に扱われていたこの夫婦。この二人は実力を初めて余すことなく発揮し、見事シュウとアイルが逃げ出す時間を稼いでみせた。その後がどうなったか見ることはなかったが、アイルの母親が無傷で追いかけてきたことから察せられた。
アイルの母親は里の理想を体現したような存在だった。命じられた任務を何の疑問も抱かずに受け入れ寸分の疑いもなく正確に遂行する。
暗殺部隊の中でも社交界への潜入を目的として貴族の血を取り入れた家系だったので、容貌は当然のように美しい。そして一族の優秀なものと掛け合わせた一族の末裔なので身体能力も随一。そのすらりとした体躯から繰り出される暗器は里の者でも視認する前に息絶えているほどの速度で繰り出される。
その相手が実の娘でも。
家から出てきたアイルの母親がシュウたちを目でとらえる直前、扉に火炎が立ち上った。砲撃を受けたのだ。
容赦ない攻撃が始まるかと思った瞬間に繰り出された砲撃はアイルとシュウをすんでのところで生き延びさせた。
ただ、これはシュウたちへの救いの手ではない。もう一人の里の戦闘狂によるものだった。
砲撃王。彼は母親ほど里の思想には染まってはいなかった。ただよくある話のように純粋に殺人に興奮する性質だっただけだ。
最強のライバル相手に最高の環境で戦えることにテンション爆上げで砲撃をする。
そんな彼に対し面倒くさそうに対応をする母親。
二人はそれを尻目に逃げ出した。
読んでくださりありがとうございます。
※ゲノムの里……アイルの故郷。
※母なる国、延珠……ゲノムの郷に住む影の一族に指令を出している国。
※アラトニア……ジルコニアを興した初代国王の祖国
※ジルコニア……ジルフォード達の住む国。




