『無頼派は罪なりや』
『無頼派は罪なりや』
㈠
俺は、手に握った紙幣で、俺のためだけに、使用して生活を送ることはできまい。俺は、無頼派だと思うが、実体、確かに、様々に不可視の内に、人を頼っているかの知れない。。しかし、依然として動かない、それは罪だろうか。
㈡
つまり、無頼派は罪なりや、ということなのだ。頼られた方が嬉しいという人も居るだろう。そんな場面に出くわして、俺は思う、無頼派は罪なりや、と言う風に。よく言えば、無頼派は小説自体も、何にも頼らないだろう。
㈢
純文学、特に、私小説においては、その無頼派というものが、到達としての、実に神に近づく、無頼なのである。何なら、神にすら頼らないという、無神論で、しかし、周囲の我を必要とする時、思うのである、無頼派は罪なりや、と。