プロローグ
グロ描写ありますので、苦手な方は読み飛ばして下さい
「(これでこの部屋の風景も見納めか)」
真っ白な病室の天井を見上げながら俺は視線を左右にさまよわせた。本当ならため息の一つもしたいのだが、そんな事すらできない自分の体に怒りがこみ上げてくる。
「(クソッ、どうしてこんな事になってしまったんだ)」
俺の名は有馬拓也。年齢は今年で二十歳になる。ごく普通の家庭で生まれたが、才能もあったし努力もしたこともあり、高校時代には剣道の全国大会で準優勝しT大学理科三類に入学することもできた。つまり俺の未来はバラ色なはずだった。
しかし大学一年の夏休みを終えた頃から体に不調覚え、気がついたときには筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症していた。病気の進行は早く、数か月で手足どころか口を動かすことさえできないまで症状が進行してしまった。今や動かせるのは目だけという、灰色の未来しか見えない状態であった。
- 拓也の回想 始まり -
「先生、拓也は、この子の病気は治らないのでしょうか。もう助からないのですか」
「御両親には申し訳ありませんが、現代医学では筋萎縮性側索硬化症の治療は難しいのです。しかもこの進行速度では、お子さんの命は、保って数か月…いや一月が限界でしょう」
「そんな…、拓也はこれからだと言うのに…」
両親は俺が横たわるベッドの横に座り込み泣いていた。
俺も体が動く間に調べた限りでは主治医の言うことは間違ってはいなかった。一度発症したALSは治らない。
そんな絶望にうちひしがれる俺に最後の希望…いや誘惑を持ちかけたのは、その主治医だった。
両親に絶望的な言葉を投げかけた主治医は、両親が帰った後に俺にこう語りかけた。
「拓也君、もう知っていると思いますが、ALSを発症してしまった貴方は助かりません」
「…」
「このままでは貴方は死を待つばかりです」
「…」
「ですが、もし死を回避する手段があるとしたら貴方はどうしますか?」
「(!?)」
「私は貴方を絶対的な死から逃れる方法を持っています。いまだ実験段階の方法ですが、その方法を選択しますか」
主治医は悪魔のような笑みを浮かべて俺に提案してきた。
「…Yes」
末期のALS患者が使える意思伝達手段は、視線入力式デバイスだけである。そこに表示された【Yes/No】のダイアログを前に俺はしばらく迷った後、Yesと選択したのだった。
- 拓也の回想 終わり -
ガチャと音を立てて病室の扉が開く。俺が過去を振り返っている間に時間が来てしまったようだった。
能面のように全く表情を出さない数人の看護婦を連れて主治医が入ってきた。
「さて、拓也君、そろそろ処置の時間となります、準備はよろしいですか?」
主治医はそう問いかけた。
「(いや、準備も何も俺は何もできないだろ。クソッ)Yes」
俺は視線入力式デバイスで【Yes】と入力する。
「では、準備に入るとしましょう。それでは君、本日十時三十分に拓也君は心拍停止、その後脳死となりました。では、彼の遺体は献体として提供されますので、そのための処置を始めましょう」
「「はい」」
主治医の嘘の死亡宣言に頷いた看護婦達は、俺のベッドを病室から運び出した。
ベッドは病室から運び出され、エレベータによって地下の薄暗い部屋に運び込まれた。そこは病室というよりは手術室のように俺には見えた。
「では、直ちに作業を開始する。液体窒素と棺桶の準備はできているかね」
「「はい」」
「(液体窒素は分かるが、棺桶って。おいこいつ本当は俺を殺すつもりなのか)」
看護婦達がてきぱきと作業を開始する中、俺は主治医の棺桶という言葉に動揺していた。
「拓也君、聞こえているかな。今から施術に取りかかる。まあ苦しいとは思うが耐えてくれたまえ」
「(主治医何を言っている)」
視線入力式デバイスを取り外されてしまっている俺には、自分の意思を伝える術はなく、怯えながら目を彷徨わせることしかできなかった。
「さて、始めようか」
「(あれは何だ?)」
看護婦の方に目を動かすと、巨大なプレス機の間にハンモックがつり下げられている異様な装置が見えた。
「拓也君、これから貴方はこの棺桶の中に入り冷凍されます。今まで何度か試したのですが、完璧な冷凍には失敗するうえに検体の希望者もいなくて困っていました。しかし今日貴方という最適な献体を得ることができ、改良したこの装置を試す機会を得ることができました。今までの実験結果から得られた不具合は全て解決しました。後は君が栄えある冷凍処理の成功被験者となるだけです」
装置を前に両手を振り上げて主治医は叫ぶが、
「(おい、成功していると言ってただろう。まだ成功してなかったとは約束が違うじゃないか!)」
俺はいまだ冷凍処理が成功していないという事実を聞かされてて驚くしかなかった。
SF小説を読まれる方であれば、冷凍睡眠という技術を聞いたことがあるだろう。時間のかかる恒星間航行の間、低温で体の新陳代謝を低下させて歳を取らないようにするという技術である。しかし冷凍睡眠は新陳代謝を停滞させるだけのいわば冬眠のようなものであり、俺のALSの進行を引き延ばすことはできても止めることはできない。つまり冷凍睡眠ではいつか俺は死んでしまうのだ
そこで主治医が俺に提案してきたのは、冷凍処理だった。これは体を液体窒素で完全に凍らせることで完全に肉体の活動を止めるという技術だ。この技術は実は既に存在しているが、現状では完全に死亡を確認してから体に不凍液を注入して行われるものである。脳波が停止して不凍液を注入して冷凍された体は完全に生命活動を停止しており、体を解凍して再び生命活動を取り戻すことは現状の医療技術では不可能である。それこそ未来の超技術にでも頼るしかない。
俺もさすがに死んでから生き返ることは不可能と思ったのだが、主治医が言うには、彼の研究している新技術は不凍液も使わない生きたまま冷凍が可能であり、解凍処理も含めて技術は確立している。動物実験や米国での死刑囚を使った実験も成功していると聞かされたのだ。
いつ死ぬか分からない俺にとって、藁にもすがる気持ちで主治医の提案に乗ってしまったのは仕方のないことだったのだ。
「「先生、実験の準備が整いました」」
「では、施術を開始しよう」
準備が整ったという看護婦の呼びかけに、主治医は俺に背を向けて冷凍処理開始を宣言した。
「(止めろ。止めてくれ)あーうー」
俺は必死に拒絶を叫ぶが、口にすることもできない。看護婦はそんな俺の体を抱えると、棺桶の中にある網で作られたハンモックに乗せた。ハンモックは人の形をしており、俺の体はハンモック内で大の字に拘束されてしまった。
「準備は良いな。では装置を起動する」
「はい」
「液体窒素温度-百九十六度で安定しています」
「うむ。ではまず針を撃ち込むことにしよう。それポチッとな」
「(えっ、麻酔とかしないのか?)」
俺の心の声が聞こえるわけもなく、主治医が装置のボタンを間の抜けた擬音付きで押すと、ハンモックの上下にあるプレス機が迫ってきた。もちろん本当のプレス機であれば俺の体はつぶれてしまうだろうが、そこには人体の体に窪みが存在し、俺が潰されるわけではない事が見て取れた。そしてその人の形の窪みには微細な針…針治療に使われる針をもっと極細にした物が多数生えていた。
「(や、止めてくれ…)」
装置はゆっくりと俺を挟み込んでいく。当然針は体に刺さっていく。当然針は体だけではなく頭にもあり、どれだけの強度を持っているのか頭蓋骨すら貫通して体に入り込んでいった。
「(ぎゃぁーー、痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!)」
痛みのあまり俺は泣き叫ぶが、出てくるのは涙だけだった。
そして完全に棺桶が閉じたのを確認すると、主治医は別なボタンを押した。
「これで脳内電位パターンを記録した後に自動冷凍開始と…。脳内電位パターンが無いと解凍しても精神は復活できないからな」
「(うがっっがあ)」
脳内の電位を取るという処理で、更に苦痛…と言う表現では生やさしい、魂が引き裂かれるような激痛が俺に襲いかかった。
棺桶の微細な針は、脳内電位を読み取り記憶するためのプローブであり、人体の奥まで瞬間的に冷凍するための仕掛けであった。装置のモニターに脳内電位パターンの記録終了の表示がされると、後は瞬間的に肉体が冷凍され始め俺の体はたちまち霜に覆われていった。
「うむ、今回はここまでは成功と。君、データはしっかり取れたかな」
「はい。今回の実験データはしっかりととれました」
「うむ。前回の失敗は麻酔をかけたのが原因だったか。麻酔無しで処理した方がより良い測定ができると分かってなによりだ。とりあえずこの献体は処分では無く保存でいこう。さてこのデータを元に装置を改良しなければな…」
「先生、その前に被験者の死亡診断書を作成しませんと」
「ああ、そうだったね。うん、直ぐに作成しよう」
主治医と看護婦がそんな会話を繰り広げていたが、棺桶の中で凍り付く俺には聞こえるはずもなく、脳が完全に凍りつくまでのあいだ俺は地獄の苦しみを味わい続け、そしてまるで電気が消えたように、俺の意識はブラックアウトしたのであった。
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