オウマガドケイ・その1(挿絵)
最初は、出所の分からない、小さな噂話が始まりだった。
『夕暮れ六時、時計の針が直立し、異界の門は開かれる』
これが、その噂の一文。
生徒達が最近、この伊勢海小学校でヒソヒソと口伝いに広めているものだ。
ところが、実際に『門が開く』とどうなるのか、それは誰も知らないのである。
そもそも、『門』が何なのかすら曖昧で、誰もはっきりと明言せずにボカしている。
おまけに、噂する度に何が出て来るかが毎回変わり、尾ひれはひれが膨れ上がって、収拾の付かない状態になっていた。
噂が噂を呼び、また更なる噂を呼ぶ連鎖。
そんな話題の渦をみすみすと見逃すはずも無く、部室棟の一室、『新聞部』と看板に掲げられた部屋でもまさにその話題が語られている。
「ほー、んで? クラヤミはその噂の真相を探りたいっちゅうわけやな?」
「はい、その通りですガオルさん。 結局、どの噂が本当なのか分からず、皆さんがすごくモヤモヤしていると思うんです」
夕陽の射し込む薄暗い部室の中央、パイプ椅子を向かい合わせに座る男女が、なんとも難しそうな顔を浮かべていた。
虎柄のジャケットを羽織った、目付きも歯も尖った少年の方が志賀薫、通称ガオル。
また、大人と同じくらい背が高く、長い髪を下ろして左目が隠れている少女が蔵屋御影、通称クラヤミだ。
共にこの新聞部に所属する部員であり、黒板に色付きチョークで書かれた『伊勢海通信の締め切りまであと1日!!』の記事を任されているチームでもある。
ガオルの方は既に原稿が仕上がっているらしく、束ねた用紙を団扇のように煽って顔を涼ませ、クラヤミへと見せつけている。
同じチームとして、相方の落ち度は絶対許さないと言いたげな態度であった。
そして、彼はただでさえガラの悪い目つきを吊り上げ、クラヤミを睨みながら口を開く。
「まぁ、目の付け所は悪くないんちゃうか。 こういうゴシップは注目されてる鮮度が命や。 せやけど、本当に明日までに見つかるんかいな、誰も知らない正体やで?」
「それについては……少し、気になる所があったので、信じていただければ」
クラヤミがゆっくりと瞼を上げて、赤い瞳を真っ直ぐガオルへと向ける。
迷いなく、揺るがなく、じっと見つめ返す視線は力強く、とても期限間近の苦し紛れには見えなかった。
「かーっ、まいった! 相変わらず肝っ玉の座った女やな。 せやけどほんま頼むで? 原稿に穴空けられんっちゅうのは、クラヤミも分かっとるやろ」
「ええ、身に染みています。 昨日までは闇雲に探して、途方に暮れていましたから。 ですが、その日の帰り、私はついに手掛かりを見つけたんです」
「でかした! さっすが、目はええやんけ、まぁワイの鼻ほどや無いけどな」
クラヤミを褒めながらも、ガオルはさらっと自分のダシにして自慢げに鼻を擦る。
鼻っ面にはピンク色の絆創膏が貼られており、薬効があるのかピクピクと鼻腔を広げていた。
「んで、どないすんねん。 もう下校時間やし、これ以上は学校おられんで」
「それについては心配ありません。 用事があるのは学校の外、道理で校舎の中をどれほど探しても見つからないわけでした」
「さよか、なら後は任せたで。 ここの戸締りはワイがやっとくわ、クラヤミはそのスクープ逃さんようにな、期待しとるで!」
「ありがとうございます。 では、これで……」
締め切り前の進捗確認で呼び出されていたクラヤミが部室を出ると、目星を付けていた場所へと早足で向かう。
本当は全力で駆けて行きたかったが、恵まれた体格のわりに運動音痴な彼女にとって、それはあまりにも無謀といえた。
実際、昇降口の下駄箱に着いた頃には少し息も上がって、長い髪が汗で肌に貼りついている。
体育もダメ、勉強もそこそこ、唯一の取り柄が目利きの良さで、記事になりそうな物事を目聡く見逃さない子であった。
そして、その特技を活かせるのが、この新聞部なのである。
クラヤミにとって、この噂の真相を突き止めることは、自分を証明するための大事な正念場。
感情の起伏が薄い子だと取られがちだが、今まさに熱く全力をぶつけている真剣そのもの。
深呼吸するように息を整え、自分の靴が入った下駄箱を開いて真っ赤な靴へと履き替える。
5年生へと上がった記念に買い替えたばかりで、まだツヤツヤの新品同然、まるで彼女の曇りない意思を現しているようだ。
足元の光沢が夕陽を反射し眩しいくらいで、それがなんとも誇らしくて自信が湧き、頬が自然と緩む。
それほど夕陽の強い日だったせいか、はたまた下校時間の間際ともあり人気が無いせいだろか。
ガランとした昇降口に射し込む影が、不自然なくらいグワンと揺れた気がした。
目の端で捉えたそれを追って視線を上げると、正門と校舎の間の地面に不思議な光景が現れている。
広場の丁度中間あたりに、まるでミステリーサークルのようなものが描かれていたのだ。
「やっぱり、今日も現れていますね」
クラヤミは確信していたように頷き、慎重にその魔法陣のようなものに近付く。
すると、それが夕陽の作り出した光の幻影であることが判明した。
なぜなら、円形の影の外側に沿って数字がぼんやりと浮かんでおり、それが時計の反射光だと誰でも気が付くからだ。
登校する生徒からも見えるようにやや下向きで据えられた『時計のガラス』が、この光を送っている正体なのである。
「これが昨日見つけた手掛かり。 そして例の噂の出だしは、どれも必ず『夕暮れ六時』。 だとすれば、これから何か起きるはずですが……?」
ふと、後ろを振り返って校舎を見上げる。
頭上の遥か上には丸い大時計が掛かっており、長い針が真上に登って『六時』丁度をカチリと指すところ。
続きます