テケテケ・その8
もう二度と耳にしたくは無かったあの音から連想される、瞼の裏に浮かんだバケモノの姿。
上半身と上半身を無理やり継ぎ接ぎにした、トランプの絵札みたいな二つ頭のことだ。
今も獣のように四つ腕だけで駆け、怖ろしい爪がター坊の下半身を切り裂こうとしているはず。
あの血走った四つの眼玉の強烈な印象が、ずっと脳裏に張り付いて剥がれない。
この伊勢海小学校で随一の脚自慢でさえ、あのバケモノに追い付かれないか不安だったのだ、目の前にいる大きいだけの運動音痴が無事にやり過ごせるわけも無いだろう。
彼女は呑気に新聞のタネのことを考えて浮ついているようだが、事態はそんな甘くは無いとター坊だけが身をもって知っていた。
「馬っ鹿……お前、何喜んでるんだよ! アイツはマジでヤバいんだって!!」
「そんなこと言われましても……せめて、せめて一枚だけでも写真を……!!」
「だはぁ~!! このオカルト馬鹿には何を言っても通じねぇ~!!」
頑としてその場を動こうとしない強情なクラヤミに呆れかえり、ター坊は苛立たし気に頭をガシャガシャと乱暴に掻き乱す。
グイと手を引いたところで、自身の二倍はあるだろう背丈の人間を動かせるわけも無く、成す術無しで途方に暮れてしまう。
友達を見捨てて一人逃げるなんて選択肢は、始めからター坊の頭には無かった。
だからこそ、どうにか助ける術はないかと、一生懸命に足りない頭を捻って考える。
もっとも、いくら足りないからといって、あのバケモノに文字通り足してもらうつもりも無いのだが。
自分まであんな二つ頭にされるなんて、真っ平御免といもの。
だが、そうこうしてる内も、刻一刻と着実にアイツは近付いているのだ、こんなことをしている時間は無い。
「マズイ、マズイ、どうするよマジでよ~……」
せめてまた別の結界に放り込めれば、そう思った矢先、手にしていたダイコンランが指差すので目をやると、教室の戸が半開きになっていた。
そして、あのマヨガッコウの中には『扉』が無かったことを思い出す。
「そっか、でかした大根! クラヤミ、そんなに撮りたきゃ特等席をくれてやるぜ! そこに入ってろ!」
「はぁ、教室ですか?」
「お前の背丈なら窓からでも撮れるだろ!」
「まぁ、そういうことでしたら……」
「いいから早くしろって!!」
空き教室の戸を勢いよく開け放つと、まだ未練のありそうなクラヤミの大きな尻を押して、教室へと放り込む。
一か八かだが、あのマヨイガッコウのように廊下しか動けない怪異かもしれない。
予想通りならば、これで脚の遅いクラヤミもバケモノの魔の手からやり過ごせるだろう。
問題は残されたコチラの方だ。
本当に行動範囲が廊下だけとは限らないため、少しでも注意を惹くためにター坊は一人廊下に残ったのである。
「ちくしょぉ……めっっっちゃ怖いけど、来るなら来やがれバケモノ!!」
恐怖で引きつり笑い出す膝を誤魔化すように、手にぶら下げたダイコンランの葉をさらに力強く握りしめる。
この太い髭根を生やした大根は、身なりこそ小さいくせに、やたらと堂に入った態度で腕を組んでいた。
こんなに小さい奴でも堂々としているならば、自分だってとター坊も奮起し、勇気をもらって待ち構えるのであった。
すると遂に、廊下の向こうから待ちに待ったとばかりに狂気の笑みを浮かべる二つ頭の怪異の姿がぬっと現れる。
その四つの目は、舐め回すようにター坊の下半身を睨み付けており、すぐにでも引き裂いてやりたいと血走った目が語っていた。
「こ、こっちに来やがれウスノロ! お前なんかに一生捕まえられるもんかよ! やべっ、本当に来やがった!」
「悪い子だわ、きっと頭が悪いのね」
「悪い子だわ、きっと頭を変えてあげれば治るわね」
「だから、いらねぇって言ってんだろぉぉ!!」
腹の辺りに感じていた視線がゆらりと首元に移る。
もしや、ター坊の頭までもぎ取ろうというのか。
考えたくもない想像にゾっとしたター坊は、一目散にその場を離れ、身体の限界まで使って走り出す。
だが向こうも、今度こそ獲物を逃したくはないのだろう。
今までよりも数段素早く機敏に動き、さっきまでの足音が嘘みたいにデケデケと激しく床を叩く音が廊下中に響いていた。
もはやあのバケモノの眼中にはター坊一人、それ以外は何も映っていないようであり、わき目も振らず猛進する。
廊下を覗くクラヤミの姿にも気付かずに。
遠のいていく足音が耳の中に残響しながらも、空き教室の中で、恐怖とは別の感情で身体を震わせる少女がカッと眼を開く。
「……と、撮れた、撮れてしまいました!! 素晴らしい!! 観て、聴いて、感じて、それでも常識では測れない怪異、まさに異界の者で間違いないでしょう!!」
彼女はルンルンと小躍りしながら、機嫌良く手の中のカメラを撫でていた。
すると、オバケカメラがニュっと脚を生やしてカメのような見た目に変わり、お尻の方からジジジと白い紙を排泄する。
「あぁ絵が、文字が、浮き上がって来ましたね……あの怪異の名前は……『テケテケ』……?」
即席写真に印字された名前は、どこか可愛らしい響きがあった。
しかし、実際はとても名前からは想像できない程、あまりにもおぞましい見た目なので、なんともギャップが激しい。
見た目だけではなく名前までチグハグなのかと、写真を片手に小首を傾げていると、クラヤミはあることに気が付いた。
「あら、そういえばター坊さんはどちらに……? 興奮してつい視野が狭くなってしまいました、悪い癖ですね……」
続きます。




