星の影①
目覚めはいつも物悲しい。
死んだはずの心にほのかに灯っていた哀愁は、うつつへの目覚めとともにはかなく消えた。
寝床にしていた横穴の外は薄明にぼやけ、風は遠く雄叫びを上げている。
傍らで体を丸める大牛の首に手をかけると、低い鳴き声で答えてくれた。
進まなければならない。起きて、大地を踏みしめ、一歩ずつでも。行く先は分かっている。後は進むだけだ。
※ ※ ※
その日のカミロ少年は、いつものように夜明け前に床を払い、牛を引いて大通りに出た。
すると、宿に泊まっている学者先生の助手が、挨拶してきた。
「おはよう、早いな」
「おはようございます」
いつもむっつりと口を引き結ぶ、不愛想な人だったが、挨拶くらいは交わしてくれる。早い時間に起きては、散歩と言って、町をぶらつく。体格もよく、先生の助手というより、護衛役のような印象の人だった。
大通りで彼と別れる。彼は港へ。自分は反対の方向へ。
今日の行く先は、マー族の集落だ。
マー族は元々遊牧民族だった。牛を連れて荒野をさすらい、牛とともに生き、牛を守り戦う。
アマーリロにチエロニアの民が移住し、町を作り発展させると、マー族の一部は町の近くに集落を作った。荒野の猛獣から町を守り、もしもの時には町に加勢する代わりに、安定した暮らしを得るようになった。
イェハチも、そうした集落の子だった。
今なお牛とともに暮らし、これを最も大切な財産とする彼らは、主食と言われるほど牛乳を好む。アマーリロの人々も、そんな彼らから牛乳を買い求めた。
カミロも、宿で出す牛乳やバターを買いに、マー族の集落を訪れる。イェハチのいる集落へ。
マー族に限らず、アマーリロの荒野に生きる諸族は、吹きすさぶ風から身を守るため、窪地や谷間、岩に囲まれた場所などを居住地とすることが多い。
イェハチの集落も同じだ。窪地に牛が放され、それを囲むように住居がある。
マー族は元が遊牧民なだけに、住居について、それほどこだわることはないと言われていたが、最近は少し贅沢をするようになっている。
窪地の壁に横穴を掘って住んでいるのだが、チエロニア移民たちから上等な木材や布材を仕入れたり、モルタルなどの提供を得て、横穴を快適に補強したり、その入り口に日干し煉瓦で建物を組み上げたりしている。
坂道を降りて窪地に足を踏み入れ、牛の世話をするイェハチの母に挨拶をした。
「ああ、カミロ」
チエロニア人から見れば肥満と思うほどふくよかな体も、マー族では好ましいものとされる。しかしそんな体型だった彼女も、夫を失ってからは幾分しおれてしまい、太陽のように明るかった笑顔にも深い陰りが見える。
「牛乳だね。待ってなさい。今用意するから」
「あの、イェハチは……」
イェハチの母は、窪地の横にある丘の上に顔を向けた。
その視線の先では、衣を風になびかせて、数人の男たちが荒野を睨んでいた。その中に頭一つ小さな影があり、それがイェハチだとカミロは認めたが、その友よりも目を引かれる姿があった。
(フ・クェーン)
マー族の目を持たずとも、遠目ながら不思議とそれが分かった。
二匹の大きなハイエナを付き従えた、古き大英雄。
イェハチの母や幼い兄弟たちが、カミロの荷車に牛乳の壺を積み込む間も、彼らは彫像のように荒野を見続けていた。
そして積み込みが終わり、出立しようとした時、少し目を離している間に、丘の上の人影は消えていた。
結局カミロは、イェハチについて尋ねることができなかった。集落全体が、暗く沈んだ緊張感というべきか、何かを聞き出せるような雰囲気ではなかった。
牛が引く荷車が、乾いた音を響かせている。
(ひょっとして、町の噂を気にしてるのかな)
アマーリロを悩ませる『海の悪魔』は、ツァンの仕業である、という噂。
カミロにしてみれば不愉快で下らない噂だが、それは確実に広がり、見えない刃となって、自分たちとツァン諸族との友誼を傷つけていた。
幼いころから行き来し、明るく迎えられていたこの集落から拒絶された気がして、カミロは暗澹たる思いとともに、そこを後にした。
「カミロ」
帰り道。遠く風が鳴る中、懐かしいとさえ思える声に、顔を上げた。
「イェハチ」
彼は岩陰から姿を見せた。
黒い肌と短い縮れ毛の友人は、以前とは雰囲気を変えていた。その顔は覚悟を定めた戦士のように引き締まっていた。
しかしカミロを見る彼の目は、確かに、友人に向けるものであってくれていた。
「牛乳を買ってくれたのかい?」
「うん。これから伯父さんの農場に行くつもり」
言いながら、イェハチの後ろから現れた人物に目が行ってしまった。
(フ・クェーン)
少し慌て、跪こうとした。
「そう畏まらなくていい」
威厳と同時に、深い知性と鷹揚さを感じる声だった。
顔を上げると、その厳しい顔には確かに畏怖を感じるが、震えて平伏したくなるような威圧感までは感じなかった。
斜め後ろに控えていたマーの戦士が、フ・クェーンの横に出た。イェハチの叔父だ。
「フ・クェーン。彼とは向かう道が同じだ」
フ・クェーンはうなずいた。