星の護り② 存在を許さぬ者
白い炎が巨大な渦を作る。
輝くような白さではなく、光に照らされるクラゲのようなそれは、火花のような、花びらのような欠片を渦巻かせる。
ショールの手にある黒曜石は、その白い光に包まれ、溶けるように宙に散り、それに合わせて白い炎は膨れ上がっていった。
そして黒曜石が完全に消え去った時、白い炎は、巨大な花のように、軍艦を完全に覆い尽くし、怪物をも超えて、港に届きそうなほどに広がっていた。
カミロもイェハチも言葉が出ず、音もなく渦巻く力の流れに包まれていた。
恐怖はない。そこからは確かにショールの意思と、そして彼を思わせる力を感じる。自分たちを守ろうとする、静かで穏やかで、海のように深く大きな力を。
「p……r……」
ショールの口から、人ならざる言葉が轟く。
その言葉とともに、カミロとイェハチ、そして、遠くアマーリロの人々の脳裏に浮かんだイメージは、
(星空……?)
いや、この夜空を高く飛んで、神々の加護のない、空気すら失せた彼方へ向かった先で見える、星の海。
その彼方で白い炎のようなものが、雲のように左右に広がる。その中心が暗黒の穴を開けたかと思うと、穴の中で、粒子となってきらめく星々の光が煙り、円環を作り、渦巻いて、人間の瞳のような形を作る。
そのイメージは一瞬で通り過ぎた。そしてイェハチとカミロが現実に引き戻されると、彼らを包む白い炎は、ショールの左手に下がる鏡を中心に、渦巻きながら収束を始めた。
渦の中心たる鏡の周囲が、鏡を飲み込み黒い穴となる。それはショールの手を離れ、広がりながら宙に浮いた。
浮きながら、その暗黒の穴に、星のような青い粒子と赤い粒子が煙る円環を作って波打ち、深い黒の瞳孔を中心に青い虹彩と赤い縁を持つ、人間の瞳の形を作っていく。
その大きな瞳が、見上げるほどの高さに達した時、それに続き、その下、白い炎の中に、一対の目が開かれた。その瞳もまた、赤と青の、煙る星雲の目だった。
半透明だった白い炎は収束とともにより実態的で鮮明な白となる。そして、形を成し始めた。
頭が作られていく。鏡を中心とした最初の目は、その額にあり、その下で見開かれた一対の目は、狼に似た輪郭にはめ込まれる。
そして集う白炎はその臨界を超えたのか、幾条ものたゆたう光の衣を放つ。それはまるで、炎でできた長い体毛のようだった。
白い炎の頂に、頭が形作られた。それは、三つの星雲の目を持つ、長毛の狼のごときものだった。
その頭は、収束して山のように盛り上がる、手足のない白い炎の体とともに、ゆっくりとせり上がっていった。そして船の帆柱よりもはるかに高い位置に達し、キメラを淡々と見下ろす。
「ペリューン……」
アマーリロの全ての人間と同じように、港から唖然とそれを眺め、マウロはつぶやいた。
魔法神オハリアの乗騎にして玉座。遠い夜空の彼方へと、主を乗せて旅立った、白い炎の神獣。
「おいおいセニョール……」
町はずれの高台で、住民たちとともにそれを見ていたエドゥも、乾いた笑いとともに言葉を漏らす。
「ペリューンの炎どころか、ペリューンそのものじゃねえか……!」
体毛のごとき光の筋をくゆらす、ぼんやりと光る巨大な炎の頂に、狼の頭があり、白一色の中、その三つの目だけが、星空のその奥に繋がっているかのような異彩を見せていた。
港に至るまで、全ての者が息をのむ中、何よりも早く動いたのは、キメラだった。ガラスに爪を立てるような声とともに、眼前の海を盛り上げる。神獣の喚び主たるショールを、船ごとひっくり返す気か。
それを見て、白い炎の獣の、その山のごとき体が動いた。人間と同じ形をした右腕が形作られ、伸びる。
手の形まで人間と同じ五本指。その人差し指が、何気ない動作でキメラの眼前に盛り上がる海に刺し入れられると、途端に稲妻のような輝きが走る。そして怪物が起こしかけた波と、その中に潜んでいた肉塊の化け物たちが、光に弾かれ飛んだ。
キメラは閃光にのけぞり、波に隠れていた肉塊たちは光の中で四散する。
包み込むように黒曜石を溶かした時とは違う、攻撃的で、打ち払うかのような炎の起き方だった。
そして神獣の白い炎は、さらに膨れ上がって体毛を揺らす。
「『存在を許さぬ者』……」
「それは、ペリューンの異名だな」
カミロのつぶやきに、ショールが応えた。彼は、いつもと変わらぬ風で傍に立っている。
だが、カミロにも分かる。この白い炎の神獣は、何か、存在の深いところでショールと繋がっていることを。見れば、彼の体からも白い半透明の炎は沸き上がっているようだった。
「違うんですか? これは、ペリューンじゃ……」
「分からない。『彼』がいかなるものなのか。恐らく、私の……、いや、人間の頭では理解することはできないだろう」
だが、と、彼は続け、
「それでも、言葉で理解できる範疇を超えても、精神で理解できることもある。彼は私とともにあり、その力……、いや、恐らく、その権限とでも言うべきものを行使することを、私は許されている」
そしてショールは、こちらに大あごを開け威嚇する、海の怪物に目を戻す。
「終わらせよう。フ・クェーンも待っている」
白い炎が動いた。右腕に続き、左腕も形成され、ゆっくりと持ち上げられる。
そしてその体から、花びらのような欠片が放たれ、吹雪のように舞い、周囲をめぐる。
「あれはあってはならないものだ。海神デイニスにとっても、山と炎の精霊にとっても」
ショールの口が小さく開かれる。
「q……l……」
その言葉の意味を、放たれる強大な力の波動とともに、カミロとイェハチははっきり認識した。
《海を楯とする者をどうするか》
神獣の口も開いた。その三つの目が輝きを増し、たゆたう炎の体は激しく燃え上がるような動きを見せ、周囲に渦巻く白い欠片も勢いを増す。
危険を感じたのか、キメラは身を翻して海中に逃れようとしたが、
『o……d……』
神獣の口から、雷鳴のごとく轟く声が放たれた。
《しかし海は、その者を嫌っている》
その体から突風に吹かれたように飛び散る白い炎の欠片とともに、大きな力が放たれた。
そして、キメラの周囲の海が、穴を開けた。
船の眼前で、怪物を忌諱するように海が左右に逃れ、巨大な穴ができた。その穴の底、海底だった岩の上に、戸惑う怪物の姿がさらされる。
さらに海が轟音とともに動く。その穴からアマーリロに向かって、海が割れた。
「海が……!」
「我々は、神話を見ているのか……!?」
老提督も、総督も、誰もがただただ見ていることしかできない中、フ・クェーンが杖を掲げた。
「w……f……!」
その口から燃え上がる炎のような声が轟く。
そして杖を足元で鳴らした時、溜められた魔力が放たれ、杖を鳴らした見張り台から海に開かれた道へと赤い輝きが走る。
それが這って逃げようともがくキメラに達すると、その足下から、爆発する火山のように、炎と溶岩が吹き上がった。
怪物は吹き上がる溶岩の中に飲まれて中天に舞い上がった。長い尾が焼かれ、崩れ、灰となって消え失せていく。
そして炎が再び大地に吸い込まれて失せると、ショールらの頭上まで舞い上がったその焦げた身は、再び海の失せた海底へと落ちて、轟音とともに叩きつけられた。