掃き溜め
ショールに同行した衛兵隊は、捕らえた者たちを広場に集め、本隊からの応援を待っていた。
一方、さらわれていたツァンの人々も、広場の離れた場所に集められた。そして衛兵隊と、それを手伝うマーやバルカの戦士達から、基地の食料を配られつつ、それぞれの出自やさらわれた経緯について聴取を受けていた。
そんな中、突然ひとりの男が立ち上がり、人さらいどもを睨み、叫んだ。
「武器をくれ! そいつらに復讐させろ! 俺は弟を殺されたんだ!」
それを皮切りに、同じように怒りに燃える人々が、次々に復讐を叫び出した。
「おい、落ち着け!」
とても少人数で抑えきれずにいたところで、視界に数匹の蜂が粉を引きつつ飛ぶ。
すると、叫んでいた者たちの顔は、憑き物が落ちたように安らいで、そしてそのまま崩れるように眠りについた。
「クラン氏か。あのお人は……」
それ以後、誰も何も言わなかった。フ・クェーンの客人、東から来た魔法使い。バルカの呪術師からそれを聞いた人々は畏怖によって口を閉ざし、一方で、ここで無法を働いていた者ども、特にツァン諸族で人さらいに加担していた者は、恐怖で震えていた。
そのショールは、ここで本部となっていた建物の中にいる。
イァン族の火打石は、この建物の屋根に置かれた草だけを派手に燃やし、中にあるものは焦げひとつつけていなかった。
何本かの蠟燭が照らす最も大きな部屋で、王の密偵を名乗った剣士は椅子に座らされ、目の前のテーブルには通信機と、複数の録音機が置かれていた。
衛兵隊の隊長がその男の前に座り、男の横に海兵の長が立つ。少し離れた場所に、ショール、イェハチの叔父、ボレア親子が、壁に背を預けていた。
そして、捕らえた人さらいの中で主だった者……、仕切り役の老人や現場を取り仕切った班長格の男数名、死霊術士などが縛り上げられ、ふたりの海兵に睨まれながら、暗い部屋の隅にまとめ置かれていた。
バトルメイジの男らは、ほかの怪我人とともに、別室でボレア家の従者たちの監視と治療を受けている。
王の密偵を名乗った剣士は、チエロニア本国のラガズール子爵家……、アマーリロ総督の本家筋に当たる家に仕える者と自称した。
鮫を討伐した時、そして、その後総督府にショールらが招かれたとき、ビジャールの副官や商人たちに混じって、その子爵家の者がいたはずだ。
「妙に飄々とした男だったな」
港でその姿を見ていたマウロも覚えていた。
「確か、ビジャール艦隊がアマーリロに来たのにも、その子爵家が一枚噛んでいたとエドゥ氏が言っていたが」
マウロはもうひとつつぶやき、その尋問を見守ることにした。
『本物だな。ラガズールに仕える騎士だ』
通信機の向こうから、総督の声が聞こえた。
剣士は確かに、ラガズール子爵家の騎士だった。氏名、身分などを総督自ら照会した。
部屋の隅、捕らえた者たちの剥いた眼が、剣士を睨み、暗がりの中で不気味に光っている。
衛兵隊長がショールに尋ねる。
「クラン氏、彼が嘘を言えば、あなたには分かるか」
「ああ」
通信機の向こうには、王の遣いであるカンタルイ伯や、フ・クェーンもいるそうだ。騎士は知る限り全てを話すことを了承していた。
「こうして捕らえられたとき、全てを話すことは、あらかじめ許されている」
そう、男は言っていた。
「私は王の命により、ビジャールの監視をしていたのだ」
「つまり奴らは、ビジャール提督の手下だと?」
尋問は主に、衛兵隊長が務める。
「ビジャール提督の私兵のほか、アマーリロの商家の者、それと、商家が雇った流れ者もいる」
『ちょっといいか』
通信機から総督の声が割って入る。
『そちらの家は、昔からビジャール家に近かったはずだが……。親しくしていたのは、演技だったのか?』
「いえ、そうではありません」
騎士は、眉根を寄せつつ目に怯えを浮かべ、頭を振った。
「本国から遠く離れたあなた方には分からないだろうが、王は本当に恐ろしいお方なのです。たとえ家族や親友を裏切るとも、とても逆らえるものではない」
見ると、騎士の目は、震え始めていた。
『言っては何だが、君は陛下から見れば陪臣だ。なぜ、そんな風に言い切れる?』
騎士はテーブルの上で手を組んだ。その手も震えている。そして、同じように唇も震わせながら、ようやくといった風で、うわごとのように言葉を漏らし始めた。
「あの王が玉座を争っていたころ、私の主は別の王子についていた。私に下された命令は、わが主か、さらにその上によるものかは分からないが、私はあの王に……」
「待て」
鋭く制したのは、ショールだった。
「総督閣下、これ以上は聞かないほうがいい」
部屋にいた者たちは、そこで初めて、危険な話題に踏み込もうとしていたことに気づく。
『あ、ああ……。分かった。その話はもういい』
騎士の男は、震えながら、水か酒をと求めた。
ボレア家の従者が持ってきた水筒の水を、口の端からこぼしながらも一気に飲み干した所で、衛兵隊長が問う。
「監視と言ったが、そもそもこの地にビジャール提督の艦隊を招いたのは、あなた方だとも耳にしている」
「我々が招いた、ということにしたのだ。わが主はビジャールに近く、かつアマーリロ総督の本家筋にあたる。自然な話だろう?」
「実際は違ったと?」
「知っていると思うが、ビジャールは本国で強い圧力を受けていた。世襲で艦隊を持ち、いくつかの船を私物同然に扱うことなど、あの王が許すはずがない。そこで奴は、かねてより付き合いが深い、アマーリロの豪商の招きに応じた」
そこで総督が口をはさむ。
『かねてより付き合いが深い、か。妙にベタベタしていると思っていたが、ここに来る以前から付き合いがあったのだな』
ここまでは総督らの予想の内らしく、特に驚くことはなかったが、
「はい。一年以上前になりますか。我々がビジャールと豪商たちを仲介したのです」
『……仲介だって? 君たちが?』
「はい。王命によって」
「王命だと」
衛兵隊長の細い目が見開かれた。通信機の向こうでもざわめきが聞こえる。
衛兵隊長が言葉に迷う中、総督の声が騎士に尋ねる。
『なぜだ。なぜ王はそんなことを……』
「ちょっと待った」
マウロが口をはさむ。
「それを聞いたら、チエロニア王から刺客が送られるとかはないだろうね」
部屋の隅で縛られている者たちも、ギョッと目に恐怖を浮かべた。
騎士は憔悴した様子で言った。
「王がいかなる意図でそのような命を下したのかは、私もわが主も聞かされていない。我々はただ、言われるままに、アマーリロの豪商たちとビジャール提督とを仲介し、その後の成り行きを監視しただけだ」
騎士は首を振る。
「重ねて言うが、あの恐ろしい王に否はない。理由を聞くこともない。余計なことは知りたくもないし、逆らって恐ろしい目に合いたくもない」
不敬とも取れそうな、投げやりな言葉を言った後、騎士はふっと、鼻で笑った。
「それに、あえて逆らいたくなるような難しい仕事ではなかったしな。ビジャールは見栄っ張りで贅沢好きで隙だらけ。側近どもも似たり寄ったりだ」
部屋の隅で眼光を強める者がいたが、彼はかまわず、
「仲介は簡単だった。ビジャールはおだてに弱く、商人どもの贈り物にも何の疑いもなく気をよくした。片や商人どもにしてみても、後ろ暗いことをしている以上、武力の後ろ盾は喉から手が出るほど欲しかったようだしな」
衛兵隊長の目が鋭くなる。
「つまり、あなたの知る商人たちは、ビジャール提督と知り合うよりさらに以前から、人身売買や違法薬物の取り扱いに手を出していたのか」
「裏で細々と、目立たないように。だから我々も最初は気づかず、普通の商家だと思っていた。だが、ビジャール提督と繋がりをもってからは、大胆になり、規模も急激に大きくした。王への報告事項は、日を追うごとに増えていったものだよ」
『まさか、陛下の意図は……』
総督の、うめくような声が漏れてきた。
「なんとなく想像はできるが、胸に閉まっておいた方がいいでしょうな」
疲れ切ったように目を伏せ、騎士は言った。
彼は証言を続ける。
血涙草の栽培とレッド・ベラの精製も、ビジャール提督お抱えの死霊術士がいればこそで、この基地もビジャール提督の私兵が中心になり、半年以上かけてここまで造ったものだそうだ。
そしてこの森の基地は、奴隷と麻薬の管理場所と言うよりは、もしもの時のための潜伏場所として考えていたという。
「潜伏場所?」
「先ほど言ったように、ビジャール提督は、改革を進める王からは睨まれる立場にあった」
王の圧力で本国にいられなくなったら、ここを仮の隠れ家にする。あの無慈悲な王ではいずれ政変でも起きるだろう。それで王が失脚するなり情勢も変わるだろうから、それまで隠れればいい。
「甘い観測だな」
マウロがつぶやいた。
「では、あの鮫はどうだ? あれも、その商人たちとビジャール提督の仕業か」
「そうだ」
衛兵隊長だけでなく、イェハチの叔父やマウロらの目も鋭く細められる。
「つまり、全てビジャール提督と、アマーリロの一部の商人たちの仕業であると、あなたは証言するのだな」
「ああ」
「でたらめだ!」
老人が叫んだ。
「そいつは嘘つきだ! 自分だけ助かりたくて、王の密偵だなどとでたらめを並べているんだ!」
すると、横にいた者も、
「そもそもそいつだって、ここでガキの股をこじ開けて……」
「黙れ!」
騎士が激高して立ち上がろうとし、海兵の長に抑えられた。
肩を抑えられながら、それでも騎士は叫ぶ。
「俺は誇り高きマルカの騎士だった! それがこんな所で、魂が腐るのを感じながら過ごす苦しみが、下賤な貴様らに分かるか!」
「何が騎士だ、裏切り者が!」
縛られていた男たちが次々に喚きたてる。
「黙れ!」
男たちの横にいた海兵が靴を鳴らして黙らせたが、にわかの沈黙ののち、くっくと笑う声が漏れる。
第九艦隊の兵士らしき男のひとりだった。
「騎士様よ。確かにあんたは最初、いかにも騎士って感じのすまし面で、俺らを汚物みてえに見てやがった。だがなあ、それもひと月だってもったか? この掃き溜めに少しずつ染まって、最初は俺らの目を盗みながらよう……」
絵画に描かれる悪魔のような顔で、男は汚泥じみた悪意を向けていた。
「少しずつ自分の欲望に正直になって、今じゃどうだ、立派に悪党の一員よ。いやあ、あんたが堕ちていく様は、なかなか見物だったぜ」
男の漏らす笑い声が、徐々に大きくなる。そして、もはや耐えきれぬといったように、声を上げて笑った。そして、笑ったまま、剥いた眼で吠えた。
「おい騎士様よ! てめえももう俺たちと同じだ! マガファに魂を売っちまったのさ! 裁判になったら、てめえがここでやったことも洗いざらいぶちまけてやるからな!」
「貴様ぁ!」
今度こそ椅子を蹴って立ち上がる騎士を、海兵の長は止め、なおも哄笑する男を、海兵はとうとう銃で殴り飛ばした。
ショールの横で、イェハチの叔父が拳を握りしめ、苦く言葉を漏らす。
「こんな奴らに、俺の兄は……、あの子らの父は!」
怪物鮫を相手に命尽きるまで戦い、漁師たちをかばった、イェハチの父。
「蛮人がお高く止まるんじゃねえ!」
海兵に殴られてなお、その男は血まみれの口で、今度はイェハチの叔父を罵った。
「裸足で歩く連中が、何が誇り高き戦士だ。その上被害者ヅラかよ。そもそも誰が奴隷狩りを始めたか知らねえのか」
「何だと」
イェハチの叔父はすさまじい眼光で男を睨む。
それに対し男は、またも底知れぬ悪意を込めた笑みを浮かべた。
「あの商人どもが最初じゃないぞ? それに、襲撃先の情報や、この隠し場所のことも、誰が教えてくれたと思っている?」
「やめろ!」
叫んだのは、その場に縛られる者たちの中で唯一の、ツァンの男だった。
イェハチの叔父はその男に剥いた眼を向ける。男は逃げるように目をそらした。
「貴様たちは同胞を……!」
海兵に殴られた男は、血のついた唇を、さらに邪悪に歪めた。
「文明の便利さ、快適さ、富の魔力……。一度知れば、もっともっとと欲しくなるのは当然だろうさ」
ツァンの男は、震えながら床に顔を埋め、声を漏らす。
「お、俺は、俺たちは、首長に言われて仕方なく……」
「けっ、何が仕方なくだ。お前、何人の女を慰み者にしたよ」
ツァンの男は、跳ねるように顔を上げた。
「お前らがやらせたんだろうが!」
すると笑い声が起きた。海兵に殴られた男ではない。別の男だ。
「最初はな! 後はてめえが進んでやったことだろうが!」
罵り合いが始まった。縄で縛られたままでも殺し合いになるかと思うほど、互いに憎悪をむき出しにしていた。
ショールは衛兵隊長に目を向ける。彼はそれに気づき、うなずいた。
ショールのベストの色が変わり、蜂が飛んだ。