森の穢れ①
ショールらはバルカのキャンプを出発する。
先導するのはバルカの呪術師と、三名のバルカ戦士だ。弓を持ち、顔に白い塗り化粧をしている。
「もうすぐ、死体の縄張り」
草をかき分けながら、バルカの呪術師は言った。
「妙に静かだな」
衛兵のひとりがつぶやく。鳥や獣の気配がない。仄暗い森の中で、自分たちが草や灌木をかき分ける音と、足音のみが耳に入る。
「死体が本当に動くのか?」
マー族の男がマウロに尋ねた。目にいささかの怯えが見えた。
それにマウロは憮然と答える。
「死霊術とはそういうものだ」
元々は、死者との交信や、霊魂の助けを借りるための魔法で、時には迷える魂を導くものとしても扱われていた。
「だが、それは蘇生や不老不死の探求に求められるようになり、結果としてリビングデッドや吸血鬼を生み出してしまった。そしていつしか、一方的に死者や霊魂を支配し、生きた人間の魂すらも焚き木のように扱う邪術へと変わり果てた。神々の定めた理に背く、マギフスどもの……、悪魔どもの暗き魔術だよ」
その魔法は人々の嫌悪を買い、今ではほとんどの国が研究すらも禁じている。
「森にいるというリビングデッドはどんなものだ? 動きは速いか?」
ショールがバルカの呪術師に問うと、
「動きは速くない。たぶん、ばかでもある」
知能は低いということのようだ。
それを聞いて、横でマウロがつぶやく。
「直接操るというより、自立させているのか……」
「見てみないとなんとも。リビングデッドは多様だ」
ショールが言ったところで、海兵の魔術士が鋭く声を上げた。
「待て、止まれ。エーテル反応だ。生物じゃない」
「こちらも感知した」
衛兵隊の魔導士も短杖を手に声を投げた。杖の先端、銅の台座にはめられたガラス玉が薄く光っている。
みな、一斉に姿勢を低くした。ショールはバルカの者たちの前に進み出て、森の闇を眺め、フードの下の目を細める。
「いるな。リビングデッドだ」
一行は草地や木の陰に身を隠す。そして前方を睨む。
「何だあれは……!」
マー族の者たちは、その眼で確認したらしく、そろって怖気を振るっている。
「はじめてリビングデットを見りゃあ、誰でもああなる」
ホーレスがつぶやくと、
「いや、俺も初めてなんだが」
横で、若い衛兵の顔もいささか青くなっていた。
「近づいてきます」
「五体、いや、六体」
短杖を持つ衛兵と海兵は、それぞれの杖の水晶球を覗き込みながら伝達する。
息をひそめ、森の闇を睨むと、まず、草をかき分ける音が聞こえた。
それが少しずつ近づいてくると、闇の中から溶け出すように、一体、また一体と、人の影が現れた。
それは、固くなった体を引きずるように動いている。膝の間接は動かないようで、腕もだらりと下げ、体全体を揺り動かしながら、ずるっ、ずるっと、少しずつ前に進む。
口は顎が落ちたように不気味に開かれていた。舌がおぞましく外に垂れている者もいれば、舌がなくなっている者もいる。目は見開かれ、いずれも焦点が合っていない。白目を剥いている者、そもそも眼球が無くなっている者もいる。
「何度見てもありゃあ駄目だ」
ホーレスが小声で漏らした。
死体という、それだけで根源的な恐怖を感じさせるものが、恐れる者をなぶるようにじりじりと迫ってくる。
衛兵隊、海兵らも初めてそれを見る者が多いようで、彼らの隊長を除き、嫌悪感で表情を歪めていた。
リビングデッドはいずれもツァン諸族の者らしかった。半裸の者が多いが、シャツとズボンを身に着けた者もいる。
「他との繋がりのようなものは感じない。おそらく自立している。しかし魔力は微弱だ。動くための最低限の魔力を注がれ、簡単な命令のみを与えられているようだ」
ショールは冷静に言った。
「あれは、どうやって倒せばいい」
イェハチの叔父が、緊張とともにショールに聞く。
「倒すというなら、あれは厄介だ。操り主がいるわけでもないし、新しい心臓のような、核となるものを与えられてもいない。弱く鈍い代わりに、これを壊せば動きが止まる、というものがない。首をはねても胸を刺しても止まらないだろう」
「手足を切り離せば動けなくなるだろうが、こっちの精神が参りそうだな」
マウロはため息のように言い、剣の鞘に手をかけた。
衛兵のひとりが、バルカの呪術師に聞く。
「ここから敵の村まで、どのくらいの距離だ」
できるだけ通じそうな言葉を選んだつもりが、
「距離……、近い。どのくらい、と、言えばいいか」
メートルのような、具体的な距離を表す単語がなく、困らせたようだ。そこで衛兵隊長は、
「あなたの村からここまで来たのと、同じくらいの距離があるか? その半分くらいの距離だろうか?」
「ああ……、敵まで、ここまでの半分の半分くらい」
呪術師はうなずきながら言った。
「では、遠くはないな。音や光を出す戦闘は避けたいものだが」
衛兵の隊長は顎に手を当てた。やり過ごしたいところだが、リビングデッドたちは、明らかにこちらに向かって来ている。
「生体感知のようなものが仕掛けられているのか……」
つぶやくショールの外套が毛羽立ち、長毛の毛皮のように伸びた。さらに、腰帯の琥珀から蜂が飛び出す。
外套の裾のあたりが、虹のように様々な色を出した。外套の毛に蜂たちが群がり、時に毛玉のようなものを作って飛ぶ。毛もまた、次々生え変わる。
そして蜂たちはショールたちの前方、リビングデット達の五十歩ほどの手前に群れた。
そこに蜂たちが運んだ外套の毛と繊維が乱れ飛び、織物を織るかのように、見る間に何かの形を作っていく。
「おいおい、まさか……」
そして現れたのは、外套をまとう人間の姿、ショールの後ろ姿そのものだった。
蜂たちは、ショールの外套の様々な色の毛を使い、そして多少の魔法の作用もあったのだろう。ショールの分身と言うべきものを作り出したのだ。
マウロは感心して言った。
「なんとまあ……。あれなら幻と違って実体もあるし、諸々の探知を惑わせるんじゃないのか?」
「だが、投影の魔法がなければ肌などの再現は難しい。顔が見せられない欠点もある」
ここからだと後ろ姿で顔は見えないが、のっぺらぼうのぬいぐるみのようになっているそうだ。
「ひょっとして君が、いつもフードをかぶっているのは……」
「頭を守るためというのが主な理由だが、あれのためというのもある」
普段からフードをかぶっていれば、分身が同じ格好で顔を隠しても不自然はない。
よくよく見ると、蜂たちが内側からその形を維持しているのか、陽炎のように揺らいで見えたり、輪郭がぶれていたりするが、森の薄暗さに遠目では分からないだろう。
それでもリビングデットの動きに変化はない。ショールの分身に気づいていないかのように、軌道を変えることなく、こちらにじわじわと向かってくる。
「臭いを足してみるか」
ショールの肩から一匹の蜂が飛び立ち、前方の分身に入り込む。
するとどうだろう。リビングデッド達が、一斉にショールの分身に向かっていった。
そして分身にのしかかって押し倒そうとした。が、蜂と繊維が四散して分身が消えた。すかされた死体たちは、地面に倒れこみ、唸り声をあげながら手足をばたつかせる。
「臭いだな」
嗅覚を頼りにしているようだ。
「やり過ごせそうか?」
海兵の長がショールの横に進み出た。
「できなくはないが、臭いを辿られ、どこまでも追ってこられても困る。あるべき所に送ろう。かけられた魔法を断てばいい」
ショールは杖を肩に置き、腰の短剣に手をかけた。
「排除したことで、死霊術師に気づかれる可能性は?」
マウロが問うが、
「今、私の分身に襲い掛かっても、何らかの情報が飛んだ気配はなかった。あれはただ放置されている」
ショールは短剣を抜いた。抱える杖が、その柄にツルのように絡みつく。
「それ、カシマの剣だよな」
後ろからそれを見た衛兵のひとりが声をかけてきた。
「和国で作られたものに違いはないが、鹿島かどうかは知らない」
「うん? 和国の剣って、カシマって呼ばないか?」
するとホーレスが、
「いやいや、カシマっていうのは有名な刀工の名前で、今じゃカタナって呼び方のほうが通ってるぞ」
その会話をよそに、あがきながら立ち上がるリビングデッド目掛け、ショールは短刀を投げた。
短刀に巻き付いていた杖は、右端のリビングデッド目掛けて伸びて、刀の切っ先を首に突き立てた。かと見るや、次には鞭となって横なぎに赤い刃の閃光を三度走らせて、リビングデッドたちの頭や銅、腕などをかすめた。
ショールの手元に杖は縮み、蛇のようにくねって腰の鞘に短刀を戻すと、元の杖に戻った。
リビングデット達は崩れ落ちるように倒れた。
「見えぬものを断つ魔よけ刀か」
衛兵隊長が嘆息とともにつぶやいた。
「やはり、使い捨てだ」
ショールは結論付けた。
「現地民や獣が近寄らないように森をうろつかせていたんだろう。粗雑な魔術で必要最低限の命令を残し、与えた魔力もごく微量。これでは三日ともたないはずだ」
ショールは動かなくなったリビングデッドの前に座り、検分した。
「全身に痣がある。血の跡も。死んでからはこんなふうにならない。生前につけられたものだろう。虐待され、殺されたのか……」
「三日で使い捨てても、なお次々に補充できるほど、人が死んでいるということか」
衛兵隊長が厳しい顔で言う。
ショールが立ち上がる。
「急ごう」
皆、無言で先に進む。遺体は、森の生き物たちによって、故郷の土に還っていくはずだ。