表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の影放浪記「海と炎のアマーリロ」  作者: ウシュクベ
海と炎のアマーリロ
4/66

霧が出た日②

 港に戻ってきた下半身のない遺体は、厚い麻布に覆われていた。


 息子の前で、顔だけは見えるように、布がめくられた。勇者の死に顔は、とても穏やかなものだった。

 マーの男は泣かない。イェハチは、拳を握って押し黙り、ただ強い目で物言わぬ父を見つめ続けていた。


「おお、すまねえ、許してくれ……」

 その横で、壮年の漁師がひざまずき、泣きに泣いていた。自分を助けるためにイェハチの父は死んだのだと、彼は繰り返していた。


 イェハチの父は勇敢に戦った。舳先に立って火を噴く槍を振るい、ついに乗っていた船に大穴を開けられても、その船の仲間のため、最後尾で動けなくなった漁船を守るため、戦い続けた。

あと少しで増援が到着するところで、海に投げ出された漁師を助けるため、自ら海に飛び込み……。


 イェハチはその全てを、マー族の鷹のごとき目で、岸から見届けていた。



 日が中天に登りきる前に、イェハチの家族親族たちが集まり、町の人々もやってきた。


 やがて日が傾き水平線目指して落ち行くころ、葬列は町を出た。

 アマーリロの門を出て、農道の緩い坂を上り、道の終わり。東の荒野の入り口にたどり着く。

 石積の上に、布をかけた遺体が置かれた。そして人々は最後の別れをする。


 父とともに同行したカミロが驚いたことに、町の長たる総督と、その息子たちまで姿を見せていた。

「お悔やみを」

 総督は、イェハチの母をはじめとする故人の三人の妻をなぐさめ、イェハチの叔父らとも言葉を交わし、最後にイェハチの肩に手を置いた。



その時、町の人々にとって驚くべき来訪者が現れた。

「フ・クェーン!」

 マー族の一人が叫び、皆が一斉に東の荒野を見た。


 闇が深まる東。まばらな木々の間に、火の玉のようなものが浮かんでいるのが見えた。

 近づいてきてはっきり見えたのは、全身をゆったり覆う衣をまとう、ツァン諸族の老人だった。火の玉のように見えたのは、彼が持つ杖にぶら下がる黒曜石が発する、火と光の魔法だ。

 そして彼を守るように、大きな二匹のハイエナが、その左右に従っていた。


「あれが、フ・クェーン」

 カミロの後ろから感嘆の声が出た。先々月くらいからツァン諸族の調査に来ている、学者先生だった。


 その来訪者は傷と汚れを積み重ねた、暗い赤の衣を身につけている。それはまるで、はるか古代の苦行者を思わせるものだった。

 頭髪も髭も短く白い。細身の老人であり、一見するとみすぼらしく、荒野の風に吹かれれば彼方まで飛んでいきそうにも見える。

 しかしその歩みは力強く、半眼は鋭く、その瞳の奥に強い光がある。黒い肌に深く刻まれた皺も、古き英雄の厳格さを表すかのようだった。


 火を噴くモンゴ山の大祭司にして、ツァン諸族をまとめた大首長。三百年を超えて生きる、この地の守護者にして調停者。


「本物か? 俺も見たことがないぞ」

「いや間違いない。俺はガキの頃に見たことがあるが、不思議と覚えている。なんというか、あの威圧感というか風格って言うのか……」

「しかしフ・クェーンが戻ってくるとは、一体何が起きてるってんだ? ここ三十年くらい、モンゴ山にこもっていたんだろう?」

 カミロの周囲で、町の人々はささやきを交わした。その一方、総督たちやイェハチの集落の長老たちが、慌てたようにその来訪者を迎えに出ていた。

 そこで交わされる会話は、カミロの耳には届かない。ややあって、その老人は、総督たちにうなずき、イェハチの前に出ると、その肩に手を置き、言葉をかけた。


 そして老人は、集まった人々に体を向けた。

「私が送ろう」

 そう言って、老人は遺体袋に置かれた黒曜石を手に取り、夕闇に溶けたモンゴ山に向けてかかげ、遺体のかたわらに置いた。


 老人が遺体から離れると、黒曜石は突然炎を噴き上げた。それは遺体を焼くわけではなく、赤い火柱とともに煙を立ち上らせ、煙は黒に染まりかけた空に溶けてゆく。

 マー族は無言でそれを見守り、町の人々は、それぞれの神と、慈悲深き冥府の神カーツの名を唱え、故人の安息を願った。



「先生、これが彼らの葬儀ですか?」

 カミロの後ろで祈りを終えた学者先生に、その弟子が小声で尋ねた。

「うむ……」


 葬祭のあり方は千差万別だ。マー族は、勇者の遺骸を荒野で葬る。

 炎は荒野に生きる獣たちに勇者の死を伝える。残された体は獣たちの血肉となり、この大地に還る。明日にもこの遺骸は、跡形もなく消え失せるだろう。


 一方で、戦士が武器にはめる黒曜石の魔力は、主の魂を煙に乗せ、逝くべき所に導く。炎の産みの親、横たわる「山脈の王」、モンゴ山へ。

 人々は煙をなぞるように夜空を見上げた。海から風が吹く。

 夕闇の中でも分かる。立ち上る煙はモンゴ山に向かって流れてゆくだろう。イェハチの父の魂を導きながら。




 東から姿を現す星々を見上げ、カミロはふと、自分たち「十神教」に伝わる神話のことを思った。

(『名も忘れられた時の神』の娘にして『運命の女神』タラは、自らの髪で織物を作り、夜空とした。織物には髪飾りもそのまま織り込み、それは夜空を彩る星となった)



 すべてはタラの織物のままに。王の悲劇も、羽虫のはばたきも。



 運命の女神に織られた夜空はこの世のすべての定めを写す。あらゆることは織物の糸のように、他のあらゆる物事に繋がっていき、川が流れる如く、留まることなく次へ次へと続いていく。


 それなら今日の悲しい出来事も、すべて定められたことなのだろうか。何か意味のあることなのだろうか。

 そんなことを考えた、その時だった。

(霧……?)

 海から吹く風と共に、霧が出た。それは夕闇の中でもはっきりわかるほど濃く、ゆっくりと、しかし止まることなく流れ、そして、人々のざわめきが大きくなり始めるころ、すっと消えた。


 ほどなく、町の方が騒がしくなった。何事かと思っていると、町から馬蹄の音が響いた。

「そ、総督閣下!」

 衛兵がひとり、駆けつけてきた。

「う、海に城が……!」

 総督の前で下馬するなり、そんなことをわめいた。

「おい、落ち着け。意味が分からん。海に城がなんだって?」

「で、ですから、突然海に城が……」


 その横を、フ・クェーンは二匹のハイエナを従えて悠然と歩き、総督も衛士も、町の人たちも、自然とその姿を目で追った。


 フ・クェーンは、すぐ近くにある物見の丘を登り始めた。人々も、まるで糸で引かれるかのように、その後についていった。

 そして丘の上で彼らは見た。


「海に、城……?」

 海の残照を背景に、霧を衣のように纏って海に浮かぶ、大きな城のシルエット。断崖に囲まれている様は、島ともいうべきか。


「島船……」

 誰かがつぶやいた。

 それが、アマーリロ湾の沖合に、ぽこりと現れていた。

「なあ、あんなもの、あったか?」

「いや……、あるわけねえだろ、あるわけ……」


 皆、唖然としている中、フ・クェーンがつぶやいた。

「星の影」

 それは不思議と、その場にいる全員の耳に届いた。



 翌朝、陽の光の下、町の人々は島船の姿を見る。

 絶壁の断崖の上に、無骨な城壁と無骨な城。華美な尖塔や飾った柱のようなものはなく、石を積み上げただけのような、倉庫か工場のように角ばった建物が二、三あるばかり。


 総督による調査の手が伸びたが、霧を纏う不思議な島に、それが届くことはなかった。

 島船に船で近づいた者の話では、突然霧に巻かれ、一寸先も見えなくなり、気づけば反対側に出てしまったとのことだった。


 多少魔法に自信がある者もだめだった。道しるべや位置把握などの魔法や道具の類はすべて、霧の中で無効化されてしまったそうだ。

 アマーリロで唯一の飛行魔法の機具も用いられた。が、何もないように見えた空の上で、突然発生した霧に飲み込まれ、人々の目の前で消えた……、かと思いきや、島船をはさんだ反対側に、これも突然、霧とともに現れた。


 結局アマーリロの人々は調査をあきらめた。

 島船は、特に何をするわけでもなく、湾の真ん中で、静かに佇み続けた。



 まるで、何かを待っているかのように。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] リムスキーコルサコフの「シャハラザード」あたりを聴きながら読みたい作品ですね。こういう正統派冒険譚をかける方が羨ましいです。自分は冒険譚を書きたくて駄作を書いたのにいつのまにか陰謀小説になっ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ