酒場夜話② ペリューン神話
そして先生は、ふたたび独り言のように口を開く。
「彼の持つ魔法の道具も、あるいは彼の心身に取り憑き、同化したものかもしれん」
「道具と同化する……。そんなことがあるのですか?」
ボレア家の侍女クラウディアが半信半疑といった風に聞いた。先生はうなずく。
「魔法の道具と、存在というか、魂というか、そういうレベルで一体化してしまう例は、古くから存在する。近年でも、不用意に古く強力な魔道具……、いわゆる神器、聖遺物、アーティファクトといったものを支配しようとし、逆に取り込まれてしまった事件がある」
「あの人の鏡もそういうものか?」
イェハチが投げた質問に、先生はまた思案に入り、そしてつぶやく。
「ペリューンの神器かもな」
「ペリューン?」
「少し話を変えよう。フ・クェーン卿がクラン氏の『もうひとつの名』を呼んだ時の話を聞いたが、おそらくその時発せられたのは『真実の言葉』だ」
「『真実の言葉』ですって?」
ボレア家のもうひとりの侍女が食いついた。いつも冷淡にしている、アルマという名の方だ。
「そう。知恵と風の神アバロが人の言葉を定める前に存在したという、神や聖霊、偉大なるものたちの言葉だ。存在の本質に触れ……、例えばその言葉で名前を呼べば、はるか彼方にいる者でも、たとえ死者であろうとも呼ばれたことに気づくと言われておる」
「火や水の言葉を得れば、人知を超えた魔法を得られるとも……」
「その考えは真理から遠ざかる道だと賢者たちは警告しとるがね。まあそれはともかく、深い洞察や精神の修練を重ね、ものの本質に触れることに成功した魔法使いは、その言葉を得ることができるという」
カミロは思い出す。初めてショールに会った時の、フ・クェーンが呼んだ彼の「名」。
「今日わしは、フ・クェーン卿から、クラン氏のもうひとつの名について聞いた。それは、ある偉大なるものの影という意味だそうだが、おそらく『真実の言葉』によって発せられたその名……、そして、それを聞いた時に、わしの頭にも浮かんだその姿は、ペリューンに思えた」
「ペリューンって、なんだ?」
イェハチが再び聞く。
「魔法の神オハリアの、乗騎にして玉座、と言われる神獣じゃよ。白い炎の体と、三つの星雲の目を持つと言われる。炎の体ゆえに自由に姿かたちを変えたともいうな」
「僕もフ・クェーンの言葉を聞いて思い浮かんだものがある。フムンガンかもしれない」
イェハチが不意に言った。
「呪術師に、呪術のやり方を教えた、煙の獣の話があるんだ」
「ほう」
先生が食いついた。
「イァン族の村に火の川が流れて、ため込んだ薬草が燃えた。その煙が三つ目のハイエナになって、薬草でまじないをする方法を教えたって。まじないの神の遣いだって言われてる」
「やはり神話には、各地で似通ったものがあるのだな! いや、神々はひとところに留まらず、世界にあまねく神威を示し、ただ人々の解釈によって形を変えて語り継がれるのか」
「それより先生、そっちのペリューンっていうのの話を知りたい」
脱線しかけたところを、イェハチにあっさりと引き戻され、先生は空咳をひとつした。
「ペリューンじゃが、断片的にいくつかの物語に絡むだけで、その実態ははっきりしていない神獣じゃ。その主人たる魔法神オハリアのこともよく分かっていないんじゃがな」
この世の始めに「時」と「距離」を創った、名も忘れられた古い神々。それに続いて現れた創造の神々に名を連ねたオハリアは、この世における魔法の真理と、それがいかにあるべきかという定めを組み上げた。それを他の神々に託すと、夜空である運命神の織物の、さらにその彼方へと旅立っていったという。
オハリアを含め、創造に関わり、そして去っていった神は、西方世界における「十大神」には含まれず、加護の薄い「旅立った神」として扱われる。
「とはいえ、偉大なる十大神のうち、最も魔法に長ける月の女神ルーンも、オハリアの残した真理を用いている。オハリアの名は神々や英雄の助言者として後の物語に散見されるが、男神なのか女神なのかすら分かっておらぬ」
ペリューンも同様で、オハリアの命により英雄たちに手を貸す物語がいくつかあるが、その由来など、詳しい話は伝わらない。
「どんな話があるんだ?」
それでもイェハチは興味を持ったようだ。
夢の中で父に言われた言葉が蘇る。自分たちを護る白い炎の祝福が、アマーリロに潜む悪意を祓うだろうと。
酒場の控えめな灯りの中、先生は語る。
「何と言っても、マガファとの戦いじゃな。マガファとは、天地の創造とともに湧いて出た悪神でな、生き物に呪いをかけて、闘争と欲望をもたらした神と言われる」
この神はまず、生き物に「飢え」という呪いをかけ、食べるということを教えた。そのために生き物は互いを食らいあう。これが最初の「罪」になり、同時に「死」が生じた。
神々は救済として、冥府の神による死後の安息や、出産による繁殖、草木の豊穣などをもたらしたが、マガファはそれらにも横槍を入れた。自身の領域に悪しき死者を誘い、色欲の罪をもたらし、土地と実りをめぐって争わせ、生きるための闘争の中に次々と罪を作ったという。
「その後もマガファは、あらゆる神に逆らい、聖霊や英雄をも惑わせたんじゃ。そして、神々に対抗する、独自の『暗き魔術』を編み出した」
そして、この悪神の魔の手を焼き祓い、その暗き魔術を食らい清める、天敵のような存在が、白き炎のペリューンだったという。
「悪神やそれに従う魔王たちは、この世の理を歪めた醜い魔法を使い、英雄たちを苦しめた。歪めた魔術ゆえに抵抗の仕様も分からず、人々が抗いがたい危地に陥ると、神々の要請を受けたオハリアは、星空の彼方からペリューンの炎を地上に下ろし、暗き魔術を焼き尽くした。そして炎を、英雄たちの武器や猟犬、兵車を引く馬に変えたという」
「『星の影』……」
カミロはつぶやく。カミロもイェハチも、フ・クェーンから聞いた単語を思い出していた。星が地上に下ろす存在。
先生はカミロのつぶやきに気づくことなく続ける。
「悪神マガファは、事あるごとに闇に隠れて神々や英雄たちを脅かしていた。そして王や聖霊を堕落させて九柱の魔王とし、自身のしもべとした」
そして配下の魔王がそろったことで、悪神は満を持して自らの欲望を満たそうとした。彼は地の下、冥府と地上の間にある自身の領域に集めた悪しき死者と、眷属であるマギフスという悪魔たちを率いて地上に侵攻した。
「大地は火にまかれたが、それに怒った神々は、遂にマガファの制裁に動いた。冥府の神カーツも加勢し、その許しによって、悪神を恨んで死んだ英雄たちも武器を取った。冥府の神と英雄たちは、翼のある空飛ぶ船に乗って地上に向かい、その途中にある悪神の領域に火と氷を放って地獄に変え、現世に帰還したという」
やがてかなわぬと見た悪神は地上をあきらめ、空と海と大地に毒をまいてあざ笑った。
だが、その時は魔法神オハリアもペリューンに乗って星の彼方から帰還していた。ペリューンは悪神の毒を焼き、それによって油に火をつけたかのごとく、白い炎が世界に広がった。
そして白い炎は、ペリューンの主人たるオハリアの力と、鉄と鍛冶の神クラムの技によって英雄たちの武器になり、悪神を捕らえる鎖になり、あるいは魔法の杭になった。
魔法の杭は、冥神の操る空飛ぶ船の舳先に取り付けられ、悪神の心臓を貫いた。最後は雷神ヤルハの加護を受けた稲妻の鎖を英雄たちから投げつけられ、悪神と魔王たちは捕らえられたという。
そして捕らえられた悪神たちは、地獄と化した自身の領域に放り込まれ、世界の終わりまで、悪しき死者たちとともに責め続けられるという。
「なんか、手助けばかりしてるって感じだな」
なんとなく、「東から来た人」の感じがする。そんなことをイェハチは言った。カミロもなぜかそう思う。
「このペリューンには、『存在を許さぬ者』という異名がある。オハリアが創始した魔法を自身の力とする権限もあるが、それ以上に、定められた世界の理を神々の許可なく歪めたもの、あるいは理を穢したもの、そしてそれによって生み出された存在に絶対的な力を持ち、許すことなく焼き滅ぼし、歪みを正すという」
この世の理を捻じ曲げることで、英雄たちでも手に負えなくさせた悪神のからめ手を、ことごとく焼き清める。
先生は視線を天井に向け、思索にふける。
「あの鏡はやはり、ペリューンに関わる神器かもなあ。神話に謳われる神々の力が顕現することは、近い歴史でもあった。そしてそこには、常に神々の意志を感じさせる何かがあった。だが『神々の意図を妨げてはならぬ』という。彼について学者としていろいろ気になるけど、そこに神意を感じてしまうと、十大神の信徒としては触れづらいんだよね」
その夜、カミロは自室に戻り、机にノートを置いた。今日、先生から教わったことを書き留めたものだ。
そして、先生から譲ってもらった、白紙のノートも別に取り出す。工場で大量生産される時代とは言え、紙はまだ少々貴重だ。
物語を書きたい。
本を書く。以前から、少年の心に漠然とくすぶっていた気持ちだが、そこに燃料が投下された。
(なんだろう、すごく色々と思いつく)
ショールの記録から作ったノートと、白紙のノートを並べ、浮かぶ異郷の風景に、先生から聞いた神話も重ね、ショールに似た架空の人物を立たせる。
(名前、なんてしよう)
まさか、モデルであるショールの名をそのまま使えない。
(そういえば、フ・クェーンがあの日、口にした名前……)
精霊が呼ぶショールの名だと口にした、人間とは思えない『声』によるもの。確か……。
(ペル……、ニュ……)
少し、帝国風の名前にしよう。あの国の公用語のひとつであるローレア語は、神話の時代の言語に連なる。
(ペリュニリス……。ペリューンの影。よし、これにしよう)
ペリュニリス。主人公の名前が決まった。




