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フ・クェーンの依頼①

 その日、カミロの宿はかつてない賑わいを見せた。

 集まった漁師たちが勝ちどきとともに祝杯を掲げ、それ以外にも見たことのない人間たちがやってきた。

 彼らの目的は、怪物鮫の群れを相手に大立ち回りを演じたという、「東の荒野から来た魔法使い」だった。

 しかもその男、フ・クェーンが自ら出迎えた客人だとかで、一体何者なのかと酒場に人が詰めかけて、カミロの一家からあれこれ聞き出そうとした。


「ええいやかましい、酒場に来たからには何か頼みやがれ!」

 そして、

「今日はもう終わりだ終わり、出すもんがねえよ! 飲みたきゃ他所いけ!」

 父が千鳥足の漁師たちを追い立てるように帰らせた後、一家は盛大にため息をついた。


「お疲れさん」

 したたかに飲んで顔を赤くしたホーレス・ボレアが声をかけた。

 ボレア一行も、それまで漁師らの卓に混じって飲んでいた。


「ああ、さすがに疲れたわあ」

 カミロの姉も息を吐きながら、自分の肩をもんだ。

「それでママ、食べ物の在庫はほんと空なの?」

 姉の言葉にカミロはギョッとした。自分たちが食べる分は大丈夫なのか。


 さすがに一家が明日一日食べる程度のものは確保しておいたそうだが、それ以外はほとんど空になってしまっていた。

「こりゃまずいね。せめて野菜だけでも今から仕入れてこなきゃ」

 そこでカミロの両親が酒場を出ようとしたところで、ショールと学者先生らが帰ってきた。

「ありゃ、クランさん」

「ようやく帰ってきやがったな」

 カミロの父の言葉には、若干の恨みがこもっていた。


「面倒をかけたようだ、ご主人」

「おう、滅茶苦茶だったぜ」

「それで申し訳ないが、明日から少し留守にする。私からお代を払うから、部屋だけはとっておいてくれないか」

「うん? どこに行くんだい?」

 カミロにボレア親子一行も、そのやり取りに目をやった。

「フ・クェーンの所だ。先生たちも一緒に行く」


 

 翌朝、カミロがいつものように日の出前に起きて牛を引くと、すでにショールと先生一行、そしてなぜかボレア家も一緒に、宿の前にいた。

「ボレアさんも行くんですか?」

「マーの村に入るだけでも、またとない機会だからね。ああもちろん、クラン氏と先生の許可はもらってるよ」

 肝心の、アマーリロの許可はもらっているのだろうか。カミロはあえて聞かないことにした。


 ショールはこの町に来た時に着ていた、カミロの叔父のお下がりでなく、総督府でもらったという、新しいシャツとズボンを身に着け、どこかで見たことのある、麻布のような生地のベストを着ていた。

「あれ、このベスト……」

「ああ、ボタンをもらって、つけてみた」

 そのベストの色が変わった。よく見ると小さな花が咲いている。そういえばこの男の花咲く衣と色の変わる外套、どちらも大きさが変わるとか言っていたような。

「一部分の大きさを変えれば、形も変わる」

 外套にも金具がつけられ、丈が短くなっていた。フードが頭を覆うのは変わらない。


 ボレア家は、薄いが丈夫そうな革製の上着と厚手の手甲、足甲などを身に着けている。3人の従者も同様で、三人のうち若い二人は、大げさなほど大量の荷物を背負っているが、その中に、布でくるんだ剣らしきものもある。侍女ふたりもその場にいたが、彼女たちはここに残るそうだ。


 先生たちは、探検家がよく着るカーキ色のジャケットと帽子だった。助手たちの腰には短銃があり、先生も、水晶のついた短い杖を、腰のベルトにくくりつけていた。


 カミロはショールに尋ねた。

「もう行くんですか?」

「ああ。昨日は少し目立ちすぎた。人に見られる前に出る」

 足音が近づいてきた。見れば、イェハチとその叔父だった。

「イェハチ!」

「おはよう、カミロ」

 ショールらの迎えだった。


 手を振るカミロと、一礼するボレア家の侍女たちに見送られ、彼らは出立した。


「……」

 大通りに出たところで、ショールは歩きながら宿屋の方角を振り向いた。

「どうした?」

 マウロ・ボレアが声をかけてきた。

「あの宿に見張りが付くかと思っていたんだが……」

「ああ……、昨日宿に押しかけてきた連中に、妙なのが混じってはいたな」

 イェハチとその叔父の表情が動いた。

「だが、このあたりはよそ者が目立つ。四六時中の監視は厳しいだろう。それに、昨日は君の帰りも遅かったから、総督府に滞在すると判断したかもしれんな」

 父に続き、ホーレスが言う。

「あの宿屋にはアルマとクラウディア……うちの侍女二人を置いてきた。心配はいらない」

 イェハチは横で聞いて首をかしげたが、

「ああ、彼女たちがいれば大丈夫か」

 そう言って前に向き直ったショールに、ホーレスは口の端を釣り上げた。

「さすがだな。分かるか、あんた」

「それなりに多くの人間を見てきた。分かる」



 一行は東の門をくぐり、農地を抜け、荒野に出る。

 フ・クェーンがいるのは、イェハチの集落だった。

 日の輝きがモンゴ山の頭上に達し、空が透けるような蒼に染まるころ、彼らは集落に到着した。

 坂道を降りて窪地に入ると、牛の世話をしていたイェハチの母が気づいて飛んできた。ショールの手を取り、繰り返し礼を述べた。興奮しているせいかマー族の言葉でまくし立てている。

「母さま、僕らの言葉じゃ分からないと思うよ」

「ああ、ごめんなさいね、つい」

 声が聞こえたのか、集落の人々も出てきた。その中には、長老に付き添われたフ・クェーンの姿もある。

「待っていた」

  

 そこは、同じ血族による、およそ六、七十名程度からなる集落だった。

 三つの丘と背の高い木々に囲まれた窪地は細長く、それなりの広さがあり、人の数よりはるかに多い牛たちを集めてなお余裕があった。

 これらの牛たちは、夜の間は窪地に集められ、日中は戦士たちの監視のもと、荒野に放されるそうだ。


「子供が多いなあ」

 ホーレスがつぶやいた。半裸と言っていい姿の子が多い。好奇心よりは警戒心が強く表れた大きなまなこが、客人たちを見つめていた。中には母親の衣を掴みながら睨んでくる子もいる。


 イェハチの叔父はホーレスのつぶやきに答えた。

「成人した者は、多くが親元を離れる。女はよそに嫁ぎ、男も旅立つ。男たちの中には、町に出て新たな生活を求める者もいるが、ほとんどは荒野に出てマー本来の生き方を始める」

 ホーレスはそれでも疑問が残るようだ。

「ここで牛にやってる牧草や穀物の餌、町場のものだろ?」

 チエロニア語が書き込まれた麻袋が、牛やヤギを囲う柵の周囲に積まれていた。

「マー本来の生き方って言うと、遊牧だろう? 町から安定して牛の餌が手に入るなら、わざわざ荒野で草を求めなくてもいいんじゃないか?」


 イェハチの叔父は、苦笑して白い歯を見せた。

「それでも男は荒野の生活にあこがれるものなのだ。祖先が危険な旅を乗り越えてきたことを誇りとし、同じ道を辿りたがる。そして猛獣と戦って己の力と勇気を試す」

「ふむ、俺たちが中世代の騎士にあこがれるようなものか」

「俺と兄弟たちも、若いころに荒野を旅した。モンゴの裾野まで行ったこともある。深入りしすぎて牛をなくし、命からがらこの村に帰った」

 彼は懐かしそうに目を細めた。

「我々のように生まれ育った村に戻る者もいれば、そのまま荒野を旅し、マー本来の生き方をする者もいる。そこに掟はない。選ぶのは自由だ。ただし、昔は行われても、今は許されないこともある」


 イェハチの叔父が言うには、かつてはそうして旅立った若者は、他の集落を襲って牛を奪ったりしたそうだ。

 横で聞いていた先生はうなずく。

「部族を離れ独立した若者が、他族の牛を略奪し新たに遊牧をはじめる。大陸東のマシカ族でもそうした習慣があるね」

「我々の価値観で言えば、戦いに勝って奪うことは悪ではなかった。だが、マー以外にとってはそうではない。そのため、かつてのマーは荒野の鼻つまみ者だったそうだ。フ・クェーンがこの地の部族を取りまとめてからは、そうしたことは(はばか)られるようになっている。今の我々は槍の技を売り、報酬を得る。どうしても牛が必要な時は、マーのみを相手に闘いを挑むが、それも……、お前たちの言うスポーツに近い」


 マーの男は全て戦士になる。彼らは独自の槍の技のほかに、格闘術のようなものも伝えているそうだが、驚くべきことに、それは猛獣との戦いを想定したものだという。彼らは獅子や豹を相手に素手で戦うこともできるのだとか。

「いや、さすがに素手で獅子は倒せない。素手の技は、切り抜けるためのものだ」

 イェハチの叔父は笑って言った。

「我々にとっても獅子は恐るべき相手だが、奴らを倒すことは、荒野で生きる者の安全のためにも必要だ。獅子狩りにより、奴らも他の猛獣も、人間を危険な存在であると知る。人間や、家畜を襲おうと思わなくなるのだ」


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