海の悪魔①
「何やら港が騒がしくなったと思ったら、そんなことになっとったんだね」
学者先生、姿が見えないと思っていたら港にいた。港にいるリク族や、警備についているマー族に取材をしていたそうだ。
本国から王の使者が来る。早くも話を聞きつけた人々が、軍艦や王の使いを一目見ようと港に集まり、衛兵たちは船着き場に近づきすぎないよう、人々を取りまとめていた。
「先生は、カンタルイ伯という人物をご存じで?」
マウロ・ボレアが先生に尋ねた。ボレア一家もそろって港に出て、岸壁から湾を望んでいる。
「そりゃもう。チエロニアでは有名人じゃぞ。とにかく剛毅、厳格で知られるお方でね。若いころから国の中央で税務や法務に関わっておられたのだが、貴族や王族の不正脱税その他もろもろを怯むことなく弾劾しておった」
「ああ、そういう人物ですか……」
「そのおかげで、先王陛下の御代には不遇をかこって、遠い戦地や辺境などにも送られたそうじゃが……、何事にも公平なお方で、赴任地の経営でも高い手腕を発揮しての。庶民からは恐れられつつも、慕われおる」
貴族院議員のひとりであり、王の相談役としても国政に関わっているそうだ。
「第二艦隊のレイダ提督については?」
「たたき上げの老将じゃな。地方の男爵の五男だか六男だかの出だが、十二国戦争の時代から、ほぼ武功一つでのし上がった古強者じゃ」
「それだけでも頑固者って感じですね」
ホーレスが言うと、先生は呵々と笑った。
「実際その通りじゃ。無骨すぎて社交界での受けは悪い。海軍内でも恐れられ、陸軍からは『我らの宿敵』なんぞと呼ばれているそうじゃ」
ショールはその会話の横で、黙って海を眺めていた。外套に身を包み、フードもかぶり、右腕に杖を抱えている。
その横には女将さんを除くカミロの一家もいた。カミロの父と姉は軍船を見たいから。カミロはなんとなくショールの言葉が気になったからだ。
さらにイェハチの一家もいる。息子を心配する母も、港の反対側で警備に加わるイェハチの姿を海越しに見て、幾分ほっとしたようだ。イェハチも気づいて手を振った。
本国から来る三隻の軍船は、南の新町の港でなく、この古い港の方に入るという。
「しかしなぜ、こっちの港なんじゃろうなあ」
学者先生がつぶやいた。受け入れ可能とはいえ、ここに軍艦が入るなど、それこそ南に新港ができて以後初めてのことになるという。
王の使者をお迎えせねばと、総督館の者、衛兵、港の関係者、さらに漁師や周辺住民に至るまで、動ける人間全てを動員して、雑多な有様だった港と、総督府に至るまでの道とを片付け、大急ぎで迎え入れの準備を整えた。
マウロは旧港を見渡してから、ビジャール提督の軍船が停泊している新港を見る。
「あちらに停泊している軍艦、横腹にずらりと並ぶ砲門は、こちらには向いていない。逆にこっちの港からなら……」
「おいボレア氏、怖いことを言わんでくれ」
「それより父上、我らがエドゥ氏のご登場ですよ」
海に大きく突き出た船着き場に、モーニングを羽織るエドゥの姿が見えた。
彼が付き従っている男が総督だろう。体格よく眼光の鋭い男で、金の紐やボタンをあしらった赤い軍服に、袈裟懸けで青い飾り帯をかけていた。
エドゥの反対側にいる金髪の男が彼の兄か。弟と同じく礼服姿で、何やら深刻そうな顔で父や弟と話している。
「そういえば先生、ビジャール提督とやらは来てますかね」
ホーレスが尋ねると、先生は総督のいるあたりを見回したが、
「わしも顔は見たことないがね……。赤ひげの偉丈夫って噂なんだよね。それらしい人間はいないね」
「そう言えば、海軍の軍服も見かけませんな」
先生の助手も不審そうに言った。
湾には相変わらず「島船」が霧を纏ってたたずんでいた。奇怪な存在ではあるが、それもひと月が経って何も起こらないとなると、もはや人々の目にも慣れが生じていた。
「島船」は見慣れた景色の一つとして馴染んでしまい、人々はそれよりも王の使者が乗る船を待ちわびていた。
「あ、来たよ!」
イェハチの弟が声を上げた。軍艦が来たということだろう。しかし、カミロらの目には見えない。
「どこだい?」
「湾の入り口に、もうすぐ入るよ」
湾の入り口と言う時点で、カミロやボレア親子には見えない。
しかしややあって、カミロらにも、かすむ船影が見えるようになった。
イェハチの目も、その軍艦を見ていた。海に浮かぶ鉄の巨船で、レリーフや女神像などで飾り立てた第九艦隊の船と異なり、より無骨で威圧感がある。
帆もなく、代わりに砦のような艦橋がそびえる。甲板には、回頭可能な固定砲台まで備えて、まさに要塞といった感があった。
それを挟むように航行する小型の軍船二隻も、まるで鎖で繋がっているかのように、ぴたりと付き従っている。
イェハチも年頃の少年らしく、軍艦に好奇心を刺激されていた。
「すごい船だね。でも、新しい港にある船に比べると、そんな派手じゃないんだね」
横にいる壮年の衛兵に感想を述べてみると、彼は笑って言った。
「第二艦隊ってのは、外海に出る艦隊の中では最精鋭……もっとも強いんだ。見てくれ良くするくらいなら、一つでも多くの大砲を積み込めっていう艦隊なんだよ」
「2番目なのに1番強いの?」
「1番目の艦隊……。第一艦隊ってのは近衛ってやつでね。国と王様を最後に守る艦隊だ。それだってすげえ艦隊なんだが、いざ戦争って時に表に飛び出て殴り合う中では、第二艦隊が最強だ」
「へえ……」
船は「島船」の霧をかすめるようにその横を通り、港の入り口に近づくと、一番大きな船を先頭に、縦一列に並んだ。
海を行く黒鉄の山とも言うべきその威容は、大きさで言えばはるかに大きな「島船」を凌ぐ存在感を人々に与え、近づいてくるにつれ、港から感嘆のざわめきが起きた。
甲板の上に、厳つい顔をした初老の男と、これまた厳つい顔の老人がいた。
「俺にはよく見えないが、イェハチ、どうだ? 礼服に赤い袈裟懸けの飾り布をしていたら、きっとその人がカンタルイ伯だ」
「うん、いるね。すごく気難しそうだ。偉い人なんだろうけど、戦士なのかな。戦ったら手強そうな感じがする」
「軍服から金の紐が垂れてる爺さんはいるか?」
「それらしい人はいるよ。荒野の岩みたいな、ごつごつした顔……、魚屋の親爺みたいな雰囲気の人だね。この人も下手なこと言ったらゲンコツが飛んできそうだ」
「あはは、多分それがレイダ提督だ」
船は西の防波堤に差し掛かった。
そこでイェハチの目が見開かれた。
「あいつらだ……」
「何?」
その衛兵の言葉も終わらないうちに、イェハチは走り出した。
「おい、イェハチ!」
「大きな船の下だ! 違う波がある! 港の近くで待ち伏せしてたんだ!」
衛兵は目を凝らしたが、チエロニア人の目では分からない。
「おい、船の下を確認しろ!」
彼は見張り台に声を飛ばした。