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草の護り、蜂の護り、精神の洞察③

 どこかで誰かが言った。

「いやあ、今日も何事もなくてよかったよ」


 その声に応じて、大きな声が港に響いた。

「そりゃそうだ、『海の悪魔』はツァン族のやつらが操っているんだからな!」


 皆が振り向くと、鳥の巣のような黒ひげの男が薄ら笑みを浮かべ、港の中央で腕を広げた。

「ツァン族が乗っている船を襲わねえのは、そりゃ当然だよなあ!」

 やや大げさな声と手ぶりのその男、身なりは卑しくない。つばの広い帽子や、袖なしの黒い上着に目立った汚れや痛みはなかった。船乗りには見えないが、商人とも違う。


「なんだあてめえ!」

 漁師の一人が声を張り上げた。

「なんだはこっちのセリフだよ。なんでお前たちは薄汚い原住民どもを雇ってんだ? ここはチエロニアの港だぞ。ただでさえくせえ魚が、余計臭っちまうよ」


 たちまち港が殺気立った。男は、そんな空気を楽しむように、突っかかってきた漁師相手に言葉を続けた。

「それともお前らもツァン族の連中とグルか? あり得る話だぜ、新市街の人間に嫉妬してるだろうからな、お前ら貧乏人は」



 宿屋の子であるカミロは、普通の子よりはこうした不穏な場面に慣れている。それでも冷や汗をかくのは、こんなところでこんなことを声高に言うこの男は、このままだと港の人間に殺されかねないからだ。

 男はそんなことお構いなしに、港の人々を煽り立て、挑発している。それに対し、ツァン諸族の人々でなく、港の漁師たちが声を上げ、男はそれにあざけりで返す。


 カミロはショールに目をやった。我関せず、といった様子で、置いてある魚や、遅れて戻ってきた帆引きの漁船を見ている。


 その様子に半ば呆れたカミロの鼻先に、一匹の蜂が飛んだ。


 一方で、足の悪い魚屋の親爺が、我慢できずに飛び出した。

「おうおうさっきから聞いてりゃ好き勝手でたらめ並べ立てやがって! 俺らにいわせりゃ、南の商人どもの方がよっぽど怪しいんだからな」

 そうだそうだという声が港のあちこちで出た。男はわざとらしく首を横に振り、あざけった。

「おいおい、お前らは自分の出自を忘れたのか? 同胞よりも、肌の違う野蛮人を信用するのかね」

「おう、はっきり言ってツァンの人らの方が信用できるな。お高く留まった新参者よりはよ」


 そこで別の漁師が声を張り上げた。

「マーの戦士は、命と引き換えに俺を助けてくれたんだぞ」

 イェハチの父が助けた漁師だった。それまで黙って男を睨み据えていたイェハチの顔から怒りが消えた。


 しかし男は、

「はっ、野蛮人が無様に死んだだけじゃ……」

 その言葉を言い終わる前に、男の鼻先を一匹の蜂が音もなくかすめた。


 男に飛びかかりそうになった親爺と漁師の鼻先にも、また、同じく飛び出そうとして叔父に肩を掴まれたイェハチの鼻先にも、それぞれ別の蜂が羽音もなく飛んで行った。


「……」

 男の言葉が止まり、代わりに鼻をひくつかせた。

 やがて男は我慢できずに背をそらし、そして、

「ハックション!」

 思わず親爺たちが身を反らすような、大きなくしゃみをかました。


「ハックシ……! ハックシ……!」

 そのまま男はくしゃみが止まらなくなった。やがて前かがみに体を折り、それでもくしゃみをし続けた。


「お、おい、大丈夫か」

「魂抜けちまうぞおい」

 さっきまで殺気立っていた親爺たちが、心配げに男に寄り添った。その近くにも蜂が飛んでいる。

 蜂が飛んだ後に、ほんの一瞬だが、何か粉のようなものが舞っているのが、カミロの目に見えた。

「蜂……?」

 カミロははっとした。そしてショールを見た。


 彼は人ごみの端から男に目をやっていた。そしてその腰帯にぶら下げている琥珀飾りから蜂が一匹飛び出るのを、カミロは確かに見た。


 さらにカミロは、ショールが外套の中で肩からかけている花咲く衣に、その蜂が止まるのを見た。その衣、外套で隠れているその陰で、色が変化している。きっと花を咲かせているのだ。


(これは、ひょっとして……)

 男のくしゃみは止まらない。それ以外にも気になることがある。港の男たちは一度火が付くとなかなか止まらない。それが、さっきまでの怒りを忘れ、男を口々に心配している。


「ねえ、クランさん」

「何だ?」

「クランさんの花が咲く布って、たとえばその、毒のある花とか咲いたりします?」

「そんな恐ろしいもの、咲かせたりしないよ」


 咲かない、とは言ってない。そんな風にカミロには聞こえた。

「その花の蜜と言うか花粉と言うか……そういうのを、琥珀から出した蜂で、運んだりとか……」

「ああ、それならできるかな」

 そこはあっさり認めた。そしてカミロは確信した。蜂の出る琥珀と、花の咲く衣で、この客人は何かやったのだと。


 男のくしゃみは落ち着いた。そして、

「いやあ、すまねえ……」

 その顔から、人を挑発する気配は消えた。さらに、

「あれ、俺、なんでここに来たんだっけ……?」

 その様子を見て、カミロは思わずショールの顔を見上げた。彼は呆れるくらい無表情だった。


「おいあんた、ほんと大丈夫かよ」

「あ、ああ……。どうもな」

 男は港から去っていった。

「神のご加護を」

 そして親爺は、くしゃみをした人間への決まり文句を唱えた。


 その後、港はいつもの光景に戻った。カミロは魚を買ってショールとともに帰宅し、ショールは一度自室に戻ってから、朝食をとるために酒場に出た。


 その時にはボレア一家や学者先生たちも卓につき、漁師たちも、一仕事終えた後だからと何人かが酒場に出て、それに交じって足の悪い親爺もいた。


 ショールはカウンターの席に座った。カミロの母がスープとパンを出す。

「今はパンが手に入りづらくてね、保存用の固い黒パンしかないんだけど……」

「いや、十分です」


 そこにイェハチとその叔父らも入ってきた。

「あんた、港で何かやったろ」

 イェハチはショールの横に立つなり、言った。ショールは顔だけ向けた。

「何かとは?」

「あんたの飾り物から蜂が出て、みんなの周りを飛んだ。そしたらあいつがくしゃみをはじめて、僕たちは、妙に気分がすっきりした」

「ありゃあんたの仕業か」

 イェハチの話が耳に入った親爺が声を投げてきた。ショールは相変わらず顔色を変えない。

「偶然だろう。そんなこともある」

「……」

「それより、気を付けた方がいいぞ」

 ショールはパンを置き、イェハチに体を向けた。


「あの黒ひげの男、殴られるのを待っていた。いくらか金も持たされていたと思う」

「え……?」

「港の衛兵も、何人かは奴の仲間だったはずだ。誰かがあの男に手を出したら、即座にその場にいる人間すべてを罪の有る無しに関わらず拘束する。そんな気配があった」


 それを聞いて、酒場の漁師たちが息を吞んだように沈黙した。それから、

「言われてみりゃあ、今日の衛兵、見慣れないやつが多かったような……」

「今日はいつもの隊長さんもいなかったよな……?」

 口々に漁師たちがささやきを交わす中、親爺は唸りながら、

「なんでそんなことを……」

「さあな。ここの事情までは分からない」

「総督はそのようなことをする男ではない」

 イェハチの叔父が言った。ショールと言うより、その場にいた全員に向けたように聞こえた。


 ショールは淡々と答えた。

「総督じゃないだろう。その衛兵たちの頭にあったのは、とても直接的な欲求……。おそらく金銭だ。総督なら、金をちらつかせる必要はない。命令だけすればいい」

「おいちょっと待てあんた、なんでそんなことまで分かるんだ」

 親爺が声を上げたが、カミロには覚えがあった。ショールがエドゥに見せた、魔法に関わる証明書。「精神に関わる洞察」とか書いてあったような。


 カミロより先に、それまで黙って聞いていた、マウロ・ボレアがつぶやいた。

「読心術……、心を読んだ?」

 酒場の漁師たちやカミロの一家が、ギョッとしたように身を引いた。

「そんなことはしない。人の心は複雑すぎる。まともに読んだら気が狂いかねない」

 ショールは即座に否定したが、読めないとは言っていないように、カミロには聞こえた。


 マウロは、酒場の人々にも説明するかのように言う。

「別に否定しなくてもいいぞ。読心術は珍しい物じゃないし、程度も種類も様々だ。まあ、ここの皆さんのような反応になるのもやむを得ないがね」

「私のは勘だよ。人を見て『なんとなく分かるもの』があるだろう? 怒っているのか、悲しんでいるのか。それをもっと正確に、詳しく分かるようにしているだけだ」

「つまるところやっぱりあんた、心を読むんじゃないか!」

 親爺は声を荒げた。マウロも呆れたように言った。

「勘も研ぎ澄ませば魔法の領域になる」

「私は魔法使いじゃない」

 そう言ってショールは朝食に戻った。


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