東から来た人②
カミロの伯父が古着をあさっている間、ショールは井戸で水を浴び、自身が身につけていた服の最後の役目と、それをタオル代わりにして体をこすっていた。
筋肉質で引き締まった体つきだが、エドゥに言わせれば、戦士の体ではないという。カミロから見ても、漁師の屈強な体躯とも異なる。
「野山を絶え間なく駆けずり回る者の体だな」
マウロ・ボレアはそう評した。
体に刻まれた傷はいくつかあるが、刀創や矢創のようなものより、何かに引っかかれたようなものや、火傷の後のようなものが目立つ。
気になるものと言えば、足首にある入れ墨だろうか。赤と青の三角が、牙をかみ合わせたように上下交互に刻まれ、それが輪となって足首をめぐっている。
「これで髪をふけって」
「ありがとう」
カミロは、伯父から預かった布切れをショールに渡しながら、彼の荷物を見た。
外套と、麻のような衣が畳んで置かれ、その上に杖が乗せられている。杖は木の枝をそのまま切り取ったようにも見えるが、節もなく真っすぐで、表面は艶があってなめらかそうだった。
杖とともに細身の短刀が置かれている。それには小さな琥珀の飾り物が吊り下げられていた。
短刀は束も鞘も白木作りだが、色つやがついているのは手垢と日焼けだろうか。琥珀のほうは円環に加工されたもので、緑に染められた紐にくくられている。
そしてもうひとつ、手のひらほどの大きさの鏡があった。装飾のない黒木の縁にはめ込まれ、鎖によって男の帯にくくられていた。その鏡面は、白く濁っている。
カミロの横でそれらを見て、エドゥは問いかけた。
「あんた、魔法が使えるか?」
「大したものではないが、一応できる」
「あんたの鏡とか、魔道具の類か?」
「そうなると思う」
「アマーリロじゃ、許可なく魔法を使用することは法で禁じられているし、魔法の道具を持ち込むだけでも申請がいる」
「分かった」
ショールは冷淡なほど素直に肯首した。
「それとあんたの指輪の印章についても、紋章官の鑑定は受けてもらうぞ」
「かまわない。それで、魔法にかかわる申請だが……」
ショールは、外套などとともに置いてあったぼろぼろのカバンから、紙入れを取りだし、一枚の書類を渡した。
「これで証明にならないか?」
エドゥは、手渡された紙を見た。チエロニア語にも使われるアルファベットの元になった、エルゲ文化の文字だが、エドゥは読めない。
「ヨレン王国だと、エルゲ語か? 読めんな……。ここに書かれているのは、あんたの名か?」
エドゥが指さしたところに、「SHORU CURAN」と、アルファベットで記載されていた。
「チエロニアじゃちょっとない発音だな……、チョル・クランとかになっちまうか」
横からホーレスが覗き込み、
「そりゃエルゲ語で書かれたこの人の名に、ローレア語で読み方を振ったもんだな」
横から覗き込んだホーレスが口を出しながら、「Σορ Κραν」と書かれた文を指さし、
「これがこの人の名だ。ソル・クランって読む気もするが……。『ショ』なんて発音自体、エルゲっぽくないからな……。一応ショール・クランと読めなくないぞ。ついでに俺が読んでやるよ」
ホーレスが紙をのぞき込み、文を指でなぞりながら読み上げた。
「ヨレン王国が発行した、ショール・クラン氏の魔法に関する証明と認可。まず本人だが……。火おこし、風おこし、各種魔道具使用のための魔力操作……。まあ、この辺は普通だが……。『精神による洞察』? なんか漠然としているような」
「ちょっと勘がいい、という程度のことだ。魔法ともいえないと、私は思ってる」
ショールは言ったが、エドゥもホーレスも、不審そうだった。
「まあいい。それで道具だが……」
1、伸び縮みする杖
2、色と大きさ、形が変わる外套
3、大きさが変わり、小さな花が咲く布
4、魔よけの小刀
5、水の上を歩けるようになる入れ墨
6、蜂が出る琥珀飾り
7、魔力を変換する鏡
「何やら手品の道具のように書いてあるみたいだが、魔法学で説明できる代物なのか? 昔だったら、魔女認定されかねないものも含まれている気がするんだが」
エドゥの顔が、さらに不審に染まった。
「あなたの言う魔法学とは、エーテル説か? たしかに私の持ち物にはその理論で説明できないものもある。だが、同じようにエーテル論から逸脱した魔術が世界中にあることは、すでに多くの学者たちが認めているはずだ」
「お、おう、まあ、そうなんだが……」
「しかし君、この最後の、『魔力を変換する鏡』とは?」
息子の後ろから覗き込んでいたマウロが興味深そうに聞いてきた。
男は少し考えこむように黙った後、
「説明が難しいが……。動力装置に使うエーテル・コンバーターのようなものだ」
「ああ……。なるほど」
特殊な石や水、あるいは油などから魔力を抽出し、動力などに変換する。そうした装置は広く普及し、使用されている。
「それで、話は変わるのだが」
ショールは、イェハチらマー族に預けてある、連れてきた牛に目をやった。
「あの牛を売れるところはないだろうか。農耕用や荷車引きとして。今まで世話になったから、食肉としては売りたくない」
「それなら私がもらおう」
そこでフ・クェーンが言い、エドゥらは身を引いた。
「これでどうだろうか」
彼が差し出したのは、中で燃えているかのように強い赤みを帯びた、黒い石だった。手のひらに収まるほどの大きさに削り取られ、加工されている。
それを見て、マー族らを含め、その場の全員が目をむいた。
ショールはその石をじっと見つめた後、
「これは受け取れない」
その言葉に、皆さらに信じられない顔をした。
ショールは言葉を続ける。
「その石からは命の価値、いや、魂の価値を感じる。私が欲しいのは路銀だ。路銀にするには重すぎる」
「そうか」
フ・クェーンは、腰の袋からいくつかの宝石の粒を出した。
「これなら路銀になるだろう」
それを受け取るショールの手に、フ・クェーンは、先ほど見せた黒曜石も握らせた。
「私が渡すと決めた以上、それは君の物だ。どのように使うのかは任せる」
そこにカミロの伯父が戻ってきた。
「おい東から来た人。俺のお古だがちょっと着てみて……。あんた、その石は……」
ショールが受け取った石を見て、カミロの伯父は、かかえた服を落としそうになった。
「少し大きいが、問題ない」
カミロの伯父は、そこそこ大きな体つきをしている。彼のシャツとズボンは、ショールには少しだぼついたものだった。サスペンダーがなければずり落ちるかもしれない。
彼は皮紐をもらい、くたびれてよれよれになっていた袖口も縛った。履物には足にくくるサンダルをもらう。
その上に、肩から麻のような布をかけ、外套を羽織った。
「とりあえずそれなら町を歩いても大丈夫だろう」
エドゥは言ったあと、腰に手を当て、肩で息を吐くように言った。
「あんた、フ・クェーンからモンゴ山の黒曜石を贈られるとか……。それだけでもアマーリロはあんたを追い返すことはできねえ」
「あの方が、フ・クェーンだったか」
フ・クェーンは、その後すぐに去っていった。
「フ・クェーンはここであんたを待っていたようだったな」
「私をか? 心当たりがないぞ」
素っ気なく、ショールは言った。
「そもそもあの方のお考えは分からん。預言者じみたところもあると言われてる」
エドゥは手をひらひらと振った。
「で、あんた、アマーリロに来るんだろ? 案内してやるよ」
「お願いする」
「イェハチ、お前もついてくるんだよな」
マー族でひとり残されたイェハチが、ショールの牛に手をかけて立っていた。
「うん」
フ・クェーンは言っていた。
「君から買ったこの牛を、カミロ少年の宿に譲ろうと思う。その代わり……、カミロ少年、このイェハチを君の宿に泊めてもらいたい。彼は港を守る役につくことを望んでいる」
しかしカミロとしては、宿の主である親の了承もなしに勝手に決められないので、一度戻らせてほしいと言った。すると手間賃として、小ぶりの黒曜石をもらった。カミロの伯父も、場所を使わせてもらったとして、同じくらいのものを贈られた。いずれも赤みを持っている。
「お前、その大きさでもひと財産だぞ」
エドゥはため息のように言った。石を持つカミロの手は震えそうになった。同じく伯父の手もだ。
「私には、この石の価値は分かるが、これがどういったものかは分からない」
ショールが言うと、エドゥは今度こそため息を吐いた。
「モンゴ山の黒曜石だ。おそらく炎の裂け目の」
厳密には黒曜石と異なるという説もあるが、似たような見た目を持つため「モンゴの黒曜石」と呼ばれる。
非常に強い火の魔力があり、資源として高い価値を持っている。
モンゴ山の炎の裂け目に近づくほどその力は強く、石は赤みを帯びる。中には小指ほどの大きさで戦艦や大工場の動力源になれるものも存在するのだとか。
「その石を寄越せと、連邦王国の艦隊が押し寄せたこともある」
今となっては、他にも様々なエネルギー資源や、効率的な抽出装置・動力機関が存在するため、昔ほどの価値はない。
「あんたの持つその石で、昔だったら王の身代金とは言わないが、わが父の身代金くらいにはなっただろうさ。いや、それよりも、その石がフ・クェーンから贈られた、というのが重要だ。あんたらよそ者にとっては知らんが、俺たちにとっては、大変な名誉だ」
「……」
それを聞いたショールは、少しの沈黙の後、フ・クェーンが去っていった方角に向かい、頭を垂れた。
フ・クェーンの姿は、もう見えない。