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星の影放浪記「海と炎のアマーリロ」  作者: ウシュクベ
序「ペリュニリスの放浪記」
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「ペリュニリスの放浪記」①

 馬車の中、膝の上で本を閉じると、それを照らす窓明かりから外を眺めた。


 港町と、黒くくすんだ海が見える。初夏の空に雲は高々とそびえ、窓に肘を立てる彼女の頬に、風は涼しかった。

 下る丘の草々は陽光に照り輝き、走る風に頭を揺らす。


 馬車は二騎の従騎を前後に港町の門をくぐり、石畳の街路に馬蹄と車輪を鳴らした。行き交う人の姿こそ多くはないが、穏やかで清潔な町だった。赤や橙の屋根をした三階建て、四階建ての家々が連なり、その多くは、木組み石組みに趣向を凝らし、窓には草花が垂れていた。


 川添いの道を進み、港前の広場に出ると、その一角にある大きな館の前で、馬車は止まった。玄関口の両脇に、青地に船と竜が描かれた幕が垂れている。

 かつてこの町を治めていた、ボレア家の紋章だった。


 馬車に従っていた従者の一人が、初老の家僕に来訪を告げた。すると、馬車から主が降りるのと同じくして、家の中から黒髪の若い男が小走りで出迎えた。


「ミレイアさん……、いやいや、カトリ先生(センセイ)。お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」

「ホーレス・ボレア君、卒業以来ですね。すっかり海の男の顔立ちになりましたこと」

 若者は、黒く焼けた顔を少しなでて笑った。


 馬車の主は、黒髪黒眼の女性だった。白と青を基調とした簡素なドレスを身にまとっている。

 年のころは三十なかばぐらいだろうか。髪を清楚に編み上げ、小さな眼鏡をかけた化粧気のない顔はいかにも温厚そうで、服飾にも立ち姿にも飾り気はなく、軽やかで涼しげな雰囲気があった。


「先生も、なにやら丸くなられましたか? まあともかく、どうぞお入りください。ちょうど父も家におりますので」


 玄関広間に入ると、当主が世界各地で買い求めた調度品の数々が、各所に飾られていた。東方アッカリアのガラス細工や絹織物のタペストリー。さらに東の彼方、黄河・黄原の国々で作られた青磁器の壺や玉製の彫り物。微かに青みがかった窓のガラスも、この国のものではないように見えた。


 そうした宝飾品のみならず、いかにも怪しげな、どこの国のものとも分からない不気味な木彫りの仮面や、黒木に人の姿を掘り込んだ置物なども飾られていた。


 彼女は若い従者一人を伴い、ホーレスの案内で二階の部屋に入った。

 ワックスのかかった深い茶色の床に、刺繍で彩られた壁布。火の入っていない暖炉に、丘陵の描かれた風景画や大きな置時計。帝国上級民の邸宅の一室として、ごく標準的な内装の部屋だった。


 彼女は、壁に飾られた大きな羊皮紙の地図に目を止めた。


 ホーレスが部屋を出て、ややあって当主のマウロ・ボレアが、歓迎の挨拶とともに入ってきた。


「ようこそいらっしゃいました、ミレイア・カトリ殿。お久しぶりです。妹君ご夫妻ともしばらくお会いしておりませんが、お変わりなく?」

 朗々とよく響く声だった。もう五十の齢になろうというのに、浅黒く引き締まった顔つきの若々しい男で、後ろに流した黒髪や、整えた口ひげに白いものはなかった。相手を真っ直ぐ見る明るく黒い瞳は、少年のような無邪気さを残していたが、同時に、積み重ねた人生の影と、それによる深さと鋭さも併せ持っていた。


「相変わらずお若いですね、マウロ卿。今でも世界中を飛び回ってらっしゃるとか」

「ははは……。卿はお止めくださいな。ボレア家はすでに貴族でも何でもないのですから。それに私も、気ままな貿易商人をしながら、趣味で冒険をするくらいが性に合っておるのです」


 そう言って、マウロは彼女に席を勧め、控えていた侍女に茶を運ばせた。

「お酒がよろしいならどうぞ遠慮なくおっしゃってください。ワインでもブランデーでも。何なら東方の穀物酒でも」

 黙っていれば典型的な南部の色男に見えるのだが、振る舞いや表情に気取りはなく、豪放ですらあり、紛れもない海の男だった。


「ありがたいですけど、お茶で結構ですわ」

 彼女は小さく笑って、テーブルに置かれた茶を一口すすると、壁の地図に顔を向けた。

「ところであれは、世界地図ですね。チエロニアの?」

「はい。先々月に、かの国が発行したものです。二十年ぶりの更新だとか」


 地図の中心に位置するのは、「ミドル・シー」と詠われる地中海「大白海」だ。

 西方世界を自称するローレアの国々を北に、暗黒大陸セムカを南にし、西は大西洋に繋がる。東は紅海に通じ、紅海は細長く南東に伸びてインダスの海へと繋がる。


 大白海北岸、ローレアから南に細長く伸びる半島と、その周辺の群島が、彼女たちの属する帝国の領土だった。


「以前は空白の目立っていた部分が、大分書き加えられているようですね」

「ここ十年ほど、世界全体で安定した情勢になりましたからね。東の国々との外交や交易も盛んになり、内陸国相手にも学者の行き来が行われているようで……。まあこの辺は、あなたもお詳しいでしょうが」

「セムカや新大陸も、随分と地理が更新されているようですね」


 大白海の南が、「暗黒大陸」と呼ばれるセムカ。北岸の古きナイリア国は別として、それより南は、帝国が今よりはるかに栄えていた時代より、大白海の国々にとって未開未踏の秘境と言われていた。


 そして地図の西に位置するのが、三百年ほど前にローレア州の国々が発見した新大陸だ。南北にふたつの大きな大陸が並んでいる。発見者の名から北アルカノ大陸、南アルカノ大陸と呼称され、ここ二百年ほどの間に、いくつかの独立国家が誕生している。


 同じように、地図の右下、南東の隅にも、アルカノ大陸と同じ時期に、西方世界の人々に発見されたアウステラ大陸がある。

 こちらも、アルカノの国々からやや遅れて共和制の独立国が生まれたが、その周辺の群島には、西方の国々による植民地が点在している。



「さて……」

 マウロは、膝の上で両手を組み、軽く身をゆすった。

「『白のミレイア』が、本日はいかなる御用でいらしたのでしょう」


 軽くうなずいたミレイアは、席の後ろで影のように控えていた従者に目配せした。彼は牛革の手提げから一冊の本を取り出し、主人に手渡した。

「ボレア様、本日お伺いしたのは、この本についてお尋ねするためなのです」


 彼女はその本を、テーブルに置いた。『ペリュニリスの放浪記』と書かれている。

 

 それを見たマウロの表情に一瞬影が走ったが、すぐに何食わぬ顔で言った。

「はて、最近私もよく名を聞く小説本ですな。それと私が、何か?」


 ミレイアは「はい」と答えると、その本を膝の上に置き、パラパラとめくりながら、話し始めた。

「最近噂になっている……あなたもご存知かと思いますが、『島船』ですね。世界各地で目撃されている、霧とともに現れ、霧とともに消え、幻のようにたどり着くことのできない不思議な島」



 それは、海とも限らず、陸にも現れるという。突然深い霧が出たと思うや、絶壁の島をそのまま城砦としたような、大きな城が人々の前に出現するのだとか。いつしかそれは、東方アッカリアの一地方にある古い伝説から、「島船」の名を付けられた。


 霧をかきわけて城にたどり着こうとしても、ただ霧の中を進むだけで、その岸壁に触れることもできず、幻のように反対側に抜き出てしまう。空を飛ぶ魔法使いですら、城の上で霧に巻かれて、たどり着けなかったという。そして、それは何をするでもなく、霧とともに消え去ると言われた。



「この本は、その島船を追って世界中を旅する魔法使いのお話です。冒険物語として、とても面白い本ですわ。私の生徒たちの中でも、この本の熱心な読者がいます」


 ミレイアは膝の上の本に目を落としたまま。マウロはソファーの背もたれに寄りかかって、顎をいじりながら、探るようなまなざしでミレイアを見ていた。


「それで、その本について、私に何を聞きたいと?」

「実はこの本、少年たちばかりでなく、帝国の一部の機関や、知識人、冒険家の間でも話題に上っていました。というのも、この主人公、世界中のいろいろな実在する国や土地を旅しているのですが、その描写が非常に正確な上、まだ一般には知られていないはずの土地のことまで、事細かに記されているのです」

「……」

「さらには、帝国ではまだ確認すらされていない土地の描写も」


 ミレイアは穏やかな表情のまま、顔を上げた。マウロは少し固く苦い笑みを浮かべながら腕を組んでいる。


「だから、彼らはこの本の著者を探しているのです。この本を書いた人物なら、帝国の未踏の地のことも知っているかもしれない。もっと踏み込んで言えば、その土地の宝物だの、資源だののことを知っているかもしれないと。作者はカミロ・バウロなる人物ですが、その名は帝国ではまったくの無名です。偽名とも考えられる」

「それなら、その本の出版元をたどればいいのでは?」

「出版元はレッドリーフ社ですが、レッドリーフ社は、ヤン・クランストン社から持ち込まれたものと言っています。ヤン・クランストンは、東洋人とオーランド人が共同で運営している海運会社です。簡単には調べられない」

「…………」

「ところであなたは、レッドリーフともヤン・クランストンとも親しいようですね」


 ミレイアはにこりと笑った。マウロ一瞬、息が詰まったような顔をしたが、軽くため息をつくと、手をひらひら振った。

「ああ、そこまでおっしゃるならすでにご存知でしょう? その本は私が彼らに出版を持ちかけた本です」


 そしてマウロは、再び腕を組むと、表情を冷たく引き締めた。

「で、何を知りたいのです?」


 部屋の空気が変わった。気の弱い者なら思わず目を逸らしてしまいそうな、鷹を思わせる視線で、彼は客人を凝視した。


 ミレイアは軽くうつむくと、膝の上で開いたままだった本を閉じた。再び顔を上げたとき、そこに温和な笑みはなく、ただ静かに、真っ直ぐにマウロを見た。


 そして言った。

「彼と、会ったのですね?」


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