9 初めての外出
私は、そもそもこの教会の敷地からまだ外に出たこともなかった。
孤児院を併設していることもあって敷地面積も広い。それに正直右も左もわからないため、朝から晩までフォクシーにくっ付いて何から何まで教わっていたのだ。さすがに外に行く時間も余裕もない。
だから初めての外出になる。しかも初対面のジーノさんの弟と2人で。
「うわーちょっと緊張するかも」
「まあ、あまり硬くならないで。物件も一度目で気にいるものが見つかるとも限りません。とりあえず今日は少し街を歩いて外を見てみる、というくらいでいいんですよ」
「うん……でも、ジーノさんの弟だから、王子様なわけでしょ?そんな人を何度も引っ張り回して大丈夫かな」
「え?あら……サナってば……」
フォクシーは可笑そうに口元に手を当てて笑う。
「勿論大丈夫ですよ。それがお仕事なんですから。あちらも想定しているはずです。それから物件だけでなく市場の方も見てみるといいですよ」
「はぁい。市場は楽しみ!あと、こっちにあるカフェにも入ってみたいけど、大丈夫かな」
「そうですね、まだ早いからどうかしら……。アニムニアではお酒も提供する店が多いのです。私はこういう生業をしていますから、お酒を提供する店にはあまり行かないの。力になれなくてごめんなさい」
「いえ、そんな。フォクシーにはお世話になりっぱなしで!私がカフェをやるにしてもお酒は出さないと思うから、そしたらフォクシーにも来て欲しいな」
まだ全部構想しかないけど。
それにしてもカフェで通じるけど、実際はイタリアのバルみたいな感じだろうか。
「2の鐘の音が鳴った頃に来ると言っていましたから、そろそろでしょう。サナ、お金の数え方はもう覚えた?もう一度復習しますか?」
「あ、ええと覚えた……と思うので大丈夫です!」
アニムニアでは朝日が登りきったら1の鐘、それから約2時間おきに鐘を鳴らす。1の鐘を鳴らしたら朝6時という目安みたいだ。
約束は2の鐘なので8時頃ということになる。
みんなこの2の鐘くらいから働き出し、4の鐘──つまり正午くらいから4時間ほどの長い休憩に入る。シエスタみたいに一番暑い時間帯は働かないのだそうだ。現代日本みたいにエアコンがあるわけではないし、暑い時間帯に働くと倒れてしまいそうな気候だから理に適ってるんだろう。
フォクシーがやたらとソワソワして、私のワンピースのリボンを結び直したり、お金の入ったポシェットの位置を直したりしている。やっぱり王子様相手だから気にしているのだろうか。
「あっ、ほら来ましたよ!いってらっしゃい!」
「えっ、うん、いってきます」
フォクシーはぐいぐいと激しく押し出しながら送り出してくれた。
私はじりじり照りつける太陽を闇魔法で少しだけ遮って外に出た。まだ朝なのに暑い。
それでも午前中だからか、広場にちょびちょび生えた草もどことなく生き生きして見える。
「悪い。待たせたか」
私は聞き覚えのある声に勢いよく振り返った。
「え、リベリオ?なんで!?」
そこには街に行けばいつか会えるかな、と思っていたリベリオが立っていた。思いがけないリベリオに、口をぽかんと開けてしまう。
「なんだその顔は。相談役が来るって聞いてただろ。……兄貴じゃなくて俺で悪かったな」
「ち、違くて……!え、じゃ、ジーノさんの弟ってリベリオってこと!?つまりリベリオって王子様……」
思わずひゃあっと驚いてしまう。
リベリオは嫌そうに眉を寄せた。
「国王の息子だから一応そうだけど……別に王子って柄じゃねえのは知ってるし、そもそも王位を継ぐのはジーノだ。どうせ俺は……」
「いやーもう、びっくり!ジーノさんも何も言わないしさあ。どおりでフォクシーが笑ってるはずだよ。もう、知ってて黙ってるんだから!」
さっき笑っていたのは、私が気が付いてないって知ってのことだったのだ。すっかり騙された自分に笑うしかない。
「あ、でもリベリオでよかったよ」
「……いいのか?」
リベリオは目を丸くする。アイスブルーの瞳がハッカ飴みたいで美味しそうだった。
「うん、私、この世界に知ってる人なんてほとんどいないし、特に教会から出るのも初めてだから。物件探しだけじゃなくいろいろ見て回りたかったし、金額の相場もリベリオになら聞きやすいから助かる」
「……それならいいけど」
リベリオはぶっきらぼうで物言いはきついけど、結構優しいのをもう知っている。
「それに、言われてみたらジーノさんとリベリオって似てるね。色合いは違うけど、耳の形とかそっくり」
狼の耳ってちょっと大きくて、真っ直ぐに立っててふかふかしてそうなんだよね。
私の言葉に再度目をぱちくりさせるリベリオ。
「そんなこと初めて言われたな。サナは目が悪いんじゃないのか」
プイっと顔を背けてしまったけど、耳を横に倒して、どことなく嬉しそうだった。案外兄弟仲は悪くなさそうだ。私は兄弟がいなかったから、ちょっと羨ましい。
「外は暑いねー。リベリオの頭の上にも闇魔法かけていいかな?」
「なんだそれは」
「ええと、光をちょこっとだけ吸収して木陰みたいに涼しくさせるの。少し試してみるね」
私は自分だけじゃなく、リベリオの頭の上にも闇魔法を展開した。レク達に何度かかけていく内に範囲を広げたり、複数にもかけられるようになっていた。
全方向でなく頭の真上だけなら見た目の変化もあまりないし、他の人からもおかしく見えないはずだ。
「こんなだけど、どう?暑い中歩き回ると思って……」
「これが、闇魔法……?すごいな……」
「すごいでしょ!ってリベリオの転移はもっとすごいけどね。でも暑いアニムニアでは使い道がかなり広いよ。本当にここに連れてきてもらえて良かったよ。リベリオ、ありがとう」
「礼は前にも言っただろう」
「何度だって言いたいけどな。あ、それとも転移するなら闇魔法も要らない?」
「いや、転移は魔力をかなり使う。一日に一度か二度だ。ロザーンからアニムニアほど離れてると一度で限界になる。近距離でもいざということを考えて、今日はずっと歩くつもりだったが」
「そうなんだ。それならよかった。じゃあ行こう!」
私はリベリオと一緒に、アニムニアでの本当の最初の一歩を踏み出したのだった。