3 闇魔法は突然に
私は慌てて目を開けてキョロキョロと辺りを見回す。しかし檻の中は何も変わっていない。
「え……今の、なに……?」
目を閉じていても眩しく感じた光はなんだったのだろうか、そう考えて私はハッと両手を見下ろした。
突如、不意に理解をしたのだ。そうとしか言いようがなかった。
闇属性魔法がどういうもので、その使い方まで手に取るように分かる。
とうとう頭がおかしくなったのかと思った。だがこの感覚は言葉が急に分かるようになった時と同じだった。ゲームでレベルが上がって魔法を思い付いたりするじゃない。
頭に情報が一気に流れてきた感じ。他に喩えようもない。元の世界で18年間生きてきて、同じ経験をしたことはなかったからだ。
けれどもそれはここが異世界だからだとしか思えない。
私の体が少しずつこちらの世界に馴染んでいる証拠のように思えた。それが恐ろしい。
私はあまり深く考えないように強く首を振った。
「で、でもそれならレクが少しでも楽になるかもしれない」
私はおそるおそるレクの額に触れる。そのままごく弱い闇魔法を展開した。
闇属性の魔法にもいくつか種類があるようだが、概ね共通しているのは『奪う力』であることだった。
それを使って私はレクの熱を奪おうとしていた。レクがどんな病気かは分からないけど、熱いと呻いて苦しんでいる。だから熱を奪えば楽になるはずだ。
あくまでほんの少しだけ。解熱剤を飲んだ時のように、ほんの1、2度下げるだけ。
「……手、きもちいい……つめたいね……」
肩で息をしていたようなレクが意識をはっきりとさせてこちらに視線をよこした。まだ目はとろんとしているけど、さっきより顔色もいい。効果はあったようだ。
思わず涙がにじむ。
「よ、よかった。スープだけでいいから少し飲もう。水分取らなきゃ」
「サナお姉ちゃん……ないてるの?」
「ううん、レクがちょっと元気になってよかったって」
レクはニコッと可愛らしい笑顔を見せてくれる。
「サナお姉ちゃん……ありがとう」
私はぷるぷると首を横に振った。訳もわからず異世界に連れて来られて帰れず、しかも騙ってもいないのに偽物呼ばわりで追放されたけど、そんな私にも救える存在もある。それが嬉しい。
「頑張って、ここから出よう」
私はなんとかそう言った。出られる保証もないし、ここから出るということは買い手に引き渡される時だとしても。
レクは小さな手で私の手をきゅっと握った。
「サナお姉ちゃん、だいじょうぶ。お母さんがくれたお守りあるから。ほら、これ」
そう言って手首を見せてくれた。折れそうなほど細い手首にはトルコ石の緑を強くしたような石が革紐で巻かれている。
「だからね、きっと王子様がたすけにきてくれるよ!」
「う、うん」
子供らしい発想に私も笑顔で返したけど、王子様と言われて思い浮かぶのは私を糾弾して追放したあのアンドレアだった。どう考えても心を入れ替えて助けになんてあり得ない。
レクの熱は下がりつつあったけど、問題は食料だった。
与えられる食事は量も少なければ栄養もあまりないようで、ちゃんと食べていてもこの数日はずっと飢餓感に耐えていた。
それがレクが熱を出したことで更に私一人の分に減らされてしまっている。2人でこの量では全く足りない。遠からぬ内に餓死かもしれない。
それでもレクに優先的に食べさせて、食べきれずに残した分だけを食べていた。全然足りていないけど、レクは体が弱っているから少しでも食べられる内に食べさせておきたい。
次の食事も一人分だった。持ってきてくれた男にレクが良くなったことを伝えたが、増やしてはもらえなかった。
きゅうきゅう鳴るお腹を抱えて、レクにご飯を食べさせる。
空きっ腹とレクを抱えて私は眠った。
ドン、ガン、みたいな激しい音がして私は飛び起きた。部屋の外で激しく争っているかのような音がする。
「サナお姉ちゃん……なぁに……」
「しっ……静かに。声を出しちゃダメだよ。隠れてようね」
私はレクを抱きしめて息を殺した。争うような物音が怖くて心臓がバクバクと激しい音を立てている。
「でも、お姉ちゃん……きっと王子様だよ。たすけにきてくれたの」
「う、うん……」
レクはよく分かっていないようで、きょとんとした声を出す。
仲間割れでもしたのだろうか。混乱に乗じてレクを逃してあげられたらいいのに、と私は外の様子を伺う。音しか聞こえないからどんな状況なのかもわからない。
バン、ととびきり激しい音がして、部屋の扉が吹っ飛んだようだった。
私は息を呑んでレクを抱きしめた。
カツカツと足音を立てて誰かが入ってくる。ランプか何か持っているようで、入り口側は明るい。
私は恐怖に震える体を止められなかった。
「ここにいたのか。……無事か?」
男の声だった。檻にランプの光が向けられる。私は急な明かりが眩しくて顔を背けた。光に目が慣れていないせいで助けに来た人の姿はよく見えない。
知らない声だ。ぶっきらぼうで、けれどちょっと優しい声。思わずドキドキとしてしまう。まるでレクが言っていた通り、本当に王子様が助けに来てくれたみたい。
「ちょっと待ってろ」
男はランプを足元に置いて檻の格子を両手で掴み、左右に開いた。
ぐぐっと、金属の格子が飴細工みたいにひん曲がって人が出入りできそうなほどに開いた。
私は口をあんぐりと開けた。だって何度も触った感じからして、そんな柔らかい素材でないことは知っていたからだ。
「わあ……お姉ちゃん、王子様!」
「え、あ、うん……」
「2人だけか。立てるか?」
「は、はい……」
私はレクと共に立ち上がった。レクはまだ熱もあるしフラフラしているから私が支えるしかない。
「よし、じゃあ飛ぶ。手を」
「え、えっと……」
躊躇っていたら、その男の人に手首を掴まれた。大きな手のひらにドキッとした。
「ひゃっ?」
「その子もしっかり抱えていてくれ」
「は、はい」
私がレクを強く抱きしめたのとほぼ同時に風景が溶けた。訳もわからず目を閉じた。
一瞬、体が浮いたような浮遊感がしたけどすぐに足元に硬い地面の感触が戻ってくる。
「あ……」
空気が、違う。
緑の匂いがした。ざあっと風が吹き抜ける。
檻の中も暗かったし、今も暗いから見える範囲にそれほど差はない。でも、紛れもなく外だった。
「レク、外だよ!」
私は助けてくれた男の人にお礼を言おうと向き直った。
「あ、あの──」
「チッ、お前、人間か!」
私の腕の中から不意にレクの体が消える。男に奪い取られたのだと気が付いた時には、鼻先に剣が突きつけられていた。
「ひっ!」
「くそっ、暗いから余計なモノまで連れて来ちまった!チビ、こいつから離れろ」
「お、お姉ちゃん!」
暗くても分かるほどに研ぎ澄まされた刃物に私は腰を抜かしてへたり込んだ。
「王子様、やめて!サナお姉ちゃんはレクを助けてくれたの!」
「なんだと……?人間が?」
レクの取りなしに男は剣を下ろした。
男は置いていたランプを取り上げて私を照らす。
「変な服だな。もしかしてロザーンの民じゃないのか?山岳地帯の少数民族かなんかか、おまえ」
ランプが照らし出した彼は、月の光のように冴え冴えとした銀の髪をしていた。そしてその頭には、レクと同じように獣人の証である、獣のような耳が生えていた。




