12 お宅訪問
玄関扉は大きな引き戸だった。全開にしてしまえばかなり解放感があって良さそうだ。
それから小さな覗き窓は硝子。こっちの世界にも硝子はあるけど日本よりずっと高いし水泡が入っていたりする。一年中暑いから窓は開けっぱなし。なので硝子は必要なくて、明かりとりや飾りとしての位置づけみたいだ。だけど日本ではあるのが当たり前だったから、小さくても硝子窓があるのはほっとする。
玄関から入ってすぐが土間だった。カフェスペースは外の庭部分を考えているからこの土間を使うつもりはないんだけど、カフェで使う道具類を置いておくのにも良さそうな広さだ。
「中も全然傷んでいないみたいだな」
「シビラさんが室内も手入れしてくれてたのかな」
湿度が低いから元々痛みにくいんだとは思うけど、埃っぽさやカビ臭さは微塵もない。他人の家に上がった時特有のちょっと懐かしい渇いた木の匂いがしていた。
「あの、おじゃまします!」
私は大きな声で宣言してから玄関を上がる。室内は基本的に土足だ。南向きでも室内は結構涼しい。
「い、いきなり何かと思った」
「ああ、ごめん。まだ私の家じゃないしさ、前に住んでた人が大事に使ってた家なんだろうなーと思ったらつい」
「そうか……お、おじゃまします」
私に倣ってリベリオまで小声でそう言ったのがちょっと可笑しくて、そしてすごく嬉しかった。
間取りは土間付き2LDKといった感じだった。
土間とカウンターキッチン。すぐ横にパントリーがあって食材も置いておけそう。上がってすぐが居間。奥まった場所にお風呂とトイレ。部屋は寝室と、物置にもできそうな小部屋が一つずつ。置く物がなければ客間にしてもいいかもしれない。誰かが泊まる予定も特にないんだけど。
玄関扉を全開にしておけば昼間はランプも必要なさそうだ。よくよく見るとはめ殺しの小さな窓硝子が居間の壁の上の方にもあるから余計に明るいのだ。南向きなのも相まってかなり明るく解放的な気分になる家だ。
反面、家具はほとんど残されていなかった。土間の隅に寄せられた4人がけのテーブルとベンチ、2人でも座れそうなほど大きいロッキングチェア、パントリーの棚、寝室にちょっと錆の浮いた大きいベッドフレームがあるくらいだ。布類は埃やカビを避けるためか一つも残されていない。
「小物も全然残ってないんだね」
「ああ、この物件は相続放棄で、近くに息子が住んでいる。小物類は引き取るかなんかして片付けてくれたんだろう」
「そうなんだ。お隣のシビラさんもいい人だったし、この家の前の持ち主の人は孤独じゃなかったんだね。それならよかったな」
1人で孤独に過ごすのって寂しいから。こんな素敵な家で老後を楽しく過ごせたのならいいなって。あと、その方が幽霊にならなそうだし。
「ねえ、リベリオ。やっぱり私、この家がいい」
「そう言うと思ったよ」
改めてそう言った私に、リベリオは薄く微笑んだ。
そんな顔をすると元々の顔の造形がいいのも相まって破壊力がすごい。
「食い入るみたいに見てたから。よっぽど気に入ったんだな」
「う、うん。すごく素敵な家だから。こんな家に住めるの嬉しいな。見た目は似てないけど、なんだかおばあちゃんの家を思い出すんだ」
「……そうか」
「あ、気にしないで。もうおばあちゃん家はないんだ。おばあちゃんも何年も前に亡くなっちゃってるし。私、元の世界にもう帰れないけど、でも帰ってもおばあちゃんにはもう会えないし。だから、いいんだ」
「……この家が、サナの新しい居場所になりそうか?」
「うん!」
リベリオは珍しいことに、終始穏やかに微笑んで私のことを見ていた。
リベリオがふと顔を上げる。狼耳がピクピクッと動いた。
「3の鐘だ。もうそんな時間か」
私も耳を澄ませば鐘の音が聞こえた。
物件を2軒見ただけでもう2時間だ。
「時間が経つの早いね。あのさ、私市場の方も見たいんだけど」
「別に連れて行くのは構わないが、今からだと昼になっちまうかもしれない」
「あ、お昼には閉まっちゃうんだっけ」
市場も昼から4時間ほどは休憩してしまうみたいだ。
「ああ。夕方にはまた開くけど、遅い時間に連れ回すよりは明日の朝の方がいいかもしれないな。どうせこれからしばらく毎日お前に付き合うつもりだからな」
「じゃあ一度教会に戻ってこの物件の手続きしちゃった方がいいのかな」
「それでもいいけど、向こうの通りの店とか見なくて大丈夫か」
「あっ、見たいです!」
実は、私はまだ物の名前を正確に覚えていないのだ。
コーヒーや紅茶はこの世界にもある。どうも勝手に言語が翻訳されているみたいなんだけど、どっちの世界にもある物は基本的に同じ名称らしいと分かった。小麦もあるし、パンもある。
でも、果物や野菜は似たような味でも見た目からして全然別物になってしまうらしく、レモンとか生姜って言っても通じないのだ。
だから早く名称を覚えるのにもお店は色々見て回りたい。カフェで使いたい物と似たような物があるといいんだけど。
「ん、あれ、なんかパントリーの方から音しなかった?」
私はパントリーからカタンと物音がした気がしてそっちを向いた。リベリオは首を傾げた。
「俺は気がつかなかったが」
「風が強いから、木の枝とかが飛んできたのかな」
私はパントリーを覗き込む。
「あれ……。ねえ、あんなのあったっけ」
パントリーの棚の一番下に鮮やかなブルーの鍋と蓋つきのピッチャーが置いてあった。さっき小物は何もないと確認したはずだけど、見逃したのだろうか。
「……俺には覚えがないんだが」
「わ、私も……。いや、きっとさ、さっきは丁度死角になってて見逃したってだけじゃないかな!?」
なんだか少し怖くなって、オカルトじゃない理由を捻り出した。
「まあ、そうだろうな。一番下の段だし、棚の枠で見えてなかっただけだろう」
「そ、そうだよね!ねえ、これは使っていいのかな」
「勿論だ。サナがこの家を借りるなら、家具は好きに使っていいし、要らないなら処分してもいい」
「これは使いたい気がする。なんとなく……」
ブルーのピッチャーを手に取ってみる。見た目の割にずっしりとかなり重い。
多分琺瑯というやつなのだろう。鍋も同様だった。鮮やかなブルーで内側が真っ白い。見た目も綺麗だし、汚れもない。
「これ、かなりいい品だな。よく手入れもされてるし」
「リベリオ、分かるの?」
「ああ、刻印もあるし偽物じゃない。別に売ればいい値段が付くような品じゃないぞ。この鍋でスープ作ると美味いんだ。余熱でも火が通るし、具材が柔らかくなる。旨味もよく出るんだ。あと蓋がしっかり閉まるから、井戸の炭酸水を入れておくと気が抜けにくいからいいかもしれないな」
「そっか!そういえばリベリオが前に作ったスープすごく美味しかったもんね。もしかして結構料理とかするんだ」
あの時のスープはただ飢えていたからというだけでなく、本当にいい味だった。
「ま、まあな。……ああいう仕事で野営もするから必然的にだ」
最初から興味などないみたいに顔を背けてしまっていた。
でも私の目には鍋について語るリベリオはとても生き生きして、楽しそうに見えたのだ。




