真夏日の幻影
ホラー苦手なビビりがホラー初挑戦してみました
それは吹き抜ける風も生温く、照りつける日差しに汗が噴き出すような真夏日の事だった。
バイクの転倒で入院した友人のトモヤを見舞いに、共通の友人を複数人連れて彼が入院している病院へと見舞いに訪れた俺達は、ベッドの上で退屈そうに雑誌に目を通しているトモヤを見つけた。
「なんだ、元気そうじゃん」
「元気元気、むしろ退屈過ぎてヤベェ。あ、でもここのナース美人が多くてさぁ、そこだけは転けてラッキーだったわ!」
「お前なぁ、心配した俺らが馬鹿みたいじゃねぇか」
幸いトモヤは擦り傷や骨折はあれど命に関わるような状態ではなく、数ヶ月程度で退院出来るとの事で。
安心した俺たちは、そのまま会話を続け話題は自然と学生時代のものへと遡っていった。
今はそれぞれ仕事に就いている俺たちは、学生時代はそれなりに無茶をしていた。不良とまではいかずとも、バイクで市街地を流す走り屋の様な真似をしたり、ちょっとした火遊びをしてみたり。
悪ぶりたい年頃という時期だったと言ってしまえばそれまでだし、大人になってみれば随分と青臭いというか、黒歴史と呼んでも差し支えない時代だった。
中でもトモヤはバイクに入れ込んでいて、大人になった今では無茶な走り方こそしなくはなったが頻繁にツーリングに出かけていて。
今回はそのツーリングの帰り道に起こした事故でこうして入院するはめになったそうだ。
「あ、俺喉乾いたからちょっと出て来るわ」
会話も弾み、学生時代の好きだった女子の話で盛り上がっている男どもに一声かけ病室を出る。あの様子では聞こえていたかどうかも怪しいが、まぁいいだろう。
リノリウムの床をカツコツと革靴で踏み鳴らし、俺はフラリと自販機を探して病院内を歩き回った。
結局途中すれ違った看護師に自販機の場所を訪ね、たどり着いたのは病院の中庭で。
中庭に出る為の出入り口横にある自販機で購入したミネラルウオーターを、俺はその場で一気に煽った。
冷たい水分が体を通っていくのが分かる。それだけでス、っと体温が少し下がったような気がして俺は口元を拭いながら病院の壁に背を預けぼんやりと中庭を眺めた。
トモヤが事故ったと聞いた時は肝を冷やしたが、フタを開けてみれば骨折はしたものの元気そうな姿に気が抜けてしまった。
思えばトモヤは昔から人騒がせな奴であったし、事故を起こしたのも実はこれが初めてではない。
大人になってもやはり根っこは変わらないものなのだなと、昔を懐かしんでいる自分が妙に年寄り染みたように思えて。
思わず自嘲気味な笑いを零し、そろそろ病室に戻るかと背を壁から離した時だった。
中庭から見える木陰のベンチに座ってる一人の少女が目につき、思わず動きを止めた。
少女は困った様に足元にフラフラと手を伸ばしなにかを拾おうとしているようで、よく見れば片足にトモヤと同じギプスがはめられている。
そして少女の足元に倒れているのが松葉杖だと気付いた俺は、少女が腰掛けるベンチに小走りで近寄るとその松葉杖を拾い上げ少女に差し出してやった。
少女はこの病院の入院患者らしく、トモヤと同じ色の入院着に身を包んでいた。しかし肌は日焼けを知らぬのではないかと思うほどに白く、真っ黒な髪がそのコントラストを際立たせていた。
少女は最初、いきなり現れた俺に驚いたように瞳をまるめ、松葉杖に伸ばしていた手を引っ込めて俺を見上げていた。くるりとした大きな黒目が瞳が見開かれた事で余計大きく見える。
中学生、いや高校生だろうか。化粧っ気のない少女はしかしそれでも見目が整っていてきっと将来は目も覚めるような美人になる事だろう。しかし、初めて会う筈の少女にどこか既視感を覚えて思わず首を傾げると、そんな動作にすら少女は小さく震えた。
そんな少女に怯えられたままでは遣る瀬無いなと、安心させるように口元を緩めて。
「拾おうとしてたのはこれであってるかな」
そう訪ねると少女はハッと我に返ったように肩を揺らし、恐る恐る俺の手から松葉杖を受け取った。
「あ、ありがとうございます……」
「いいえ、でも顔が真っ青だけど大丈夫? 看護師さん呼んでこようか」
「いえ、大丈夫です」
ありがとうございました、と少女はペコリと上半身を屈めお礼を述べて、やはりまだ怯えたように俺を見上げていた。
初対面の人間にそこまで怯えられるような見た目はしていないつもりだったが、相手は年頃の女の子だ。
もしかしたら男が苦手なのかも知れないし、知らない相手、しかも異性と言うだけで警戒対象なのかも知れない。
ならばこれ以上余計な干渉はせず速やかに離れるべきかと、俺は少女に気分が悪いようならすぐ人を呼ぶように告げて病室へと戻ったのだった。
「おー、どこ言ってたんだよナオト」
「いや、自販機行くつったろ」
飲みかけのペットボトルを片手に病室へ帰ると、そこにはトモヤの姿しかなく首を傾げた。他の皆はどうしたのかと訪ねると、どうやら先に帰ったらしい。
俺も勝手に帰ったものと思われていたらしく、恐らくメールが来てるんじゃないかと言われジーンズのポケットからスマホを取り出して思い出した。
病院なのだからスマホの電源は落ちている、確認も返事も帰ってからでいいかと思い直しスマホをポケットへ入れ直した俺に、トモヤがいつもよりも低い声で声をかけた。
「なぁ、ナオトは覚えてるか? 5年前の……」
「5年前?」
「あぁ、だよなぁ。いや、なんでもねぇよ。やっぱ病院だからかなぁ、ちょっと妙な夢みちまってさぁ」
「おいおい、地元で名を馳せた走り屋がまさかそんな事でびびってんのか?」
そうからかえばトモヤはウルセェなと言いながらも小さく笑った。まぁ病院という一種の特殊空間にいるのだ。
普段とは違い気が昂ぶったり、落ち着かなかったりして変な夢を見たのかも知れない。
ベッドの横に置かれた見舞い客用の椅子を引っ張りそこに腰掛けて、因みにどんな夢だったんだよと訪ねれば彼は少し眉根を寄せて口ごもった。
「あんまいい内容じゃなかったし、思い出したいものでもねぇよ」
「なんだよ、まさか本当にびびってんじゃねぇだろうな」
「びびってねぇよ! あぁもう、お前も早く帰れよ。明日も仕事あるんだろうが」
「あぁ、それもそうだな」
時計を見ると、いつのまにか夕方になっていた。窓の外はすっかりオレンジ色に染まり、いつも見ているはずのその色が病室という空間にいるからかいつもより不気味に感じて背筋が小さく震えた。
「また来るよ」
「次は退院祝いにメロンでも持って来てくれ」
「分かった、スーパーで売ってるカットフルーツ買ってやるよ」
「ケチくせぇな」
そう軽口を交わして、その日は自宅へ戻った。
しかし、家で晩飯を食べている最中、ふとトモヤが話していた5年前という単語を思い出して首をかしげる。
5年前に何かあっただろうか、そう考えてみても5年前と言えば毎日を面白おかしく過ごしていた学生時代真っ只中だ。
思い出なんてあり過ぎてトモヤがどの事について話したかったのか目星がつかなかった。
「ま、いいか」
それが、間違いだったと知ったのは次の日友達から連絡が入った時だった。
「トモヤが死んだ」
動転しているのか、事の詳細は分からなかったがどうやら屋上から転落したという事らしい。けれど病院の屋上と言えば俺の背丈程はある金網で四方をしっかりと囲まれ、自力で登らない限り転落などあり得ない筈だ。結局警察も自殺と断定し、トモヤの死は事件化する事もなく入院患者突然の自殺と夕方のニュースを騒がせる結果となった。
俺は混乱したままトモヤの葬儀に参列し、家に帰った。葬儀に参列した他の友人達もトモヤの自殺の原因に心当たりはなく、俺もまた頭を捻るばかりだった。
しかし、家に帰りベッドに横たわった俺は、あのトモヤと最後に会話を交わした日を不意に思い出す。トモヤは妙な夢を見たと言っていた。会話の流れから言ってあれは5年前にあったなんらかの出来事を夢に見たと言う事だろう。
5年前、5年前にトモヤが青褪めるような出来事があっただろうか。そう繰り返し記憶を辿る最中、俺はふとその日の昼に遭遇した少女の事を思い出した。
5年前、そうだ何故すぐ思い出さなかったのか。あれはトモヤが事故を起こした年だ。
俺とバイクでツーリングをしていて、長距離の走行を終えて地元に帰って来た時。トモヤが信号のない横断歩道で接触事故を起こした。
学生だった俺たちはピクリとも起き上がらない制服姿の高校生に恐怖を感じて、あろう事かそのまま逃げ去ったのだ。
その高校生に、少女は面影が似ていた。事故当時は暗かったし、倒れていたし、はっきりと見たわけではないが。
「ははは、いやでもあの子どう見たって高校生くらいだったし、まさか、なぁ……」
しかし、俺は次の日どうしても気になってあの病院を訪れていた。小さな花束を持って受け付けにあの少女の特徴を伝える。
すると、何故かその受け付けの看護師はみるみるうちに顔を青く染めて口元を覆った。
「貴方も、アオイちゃんと話したんですか……?」
「アオイちゃん? あぁ、そのアオイちゃんに会いに来たんだが」
看護師は、しばらく口を閉ざしたままだった。しかしその看護師の異変に気付いたのか、後ろで仕事をしていた先輩らしい看護師がどうしたのかと声をかけて来て。
受け付けの看護師がその先輩に事情を説明すれば、その先輩もまた同様に顔を青褪めさせた。
「あの、何があったんですか?」
「すいません、結論からお伝えしますとアオイちゃんとの面会は出来ません。」
「何故?」
「アオイちゃんは三日前に息を引き取りました」
端的に告げられた内容に、思わず手にしていた花を取り落としそうになった。三日前と言えばトモヤが転落死した日付と同日だ。
看護師の話を聞くに、アオイちゃんとやらが亡くなったのが夕方ごろ。トモヤが転落死したのがそれから二時間後くらいだという事らしい。
偶然だろうか、しかしそれにしては胸の内に引っかかるものがある。
しかし、看護師が恐る恐る続けた言葉に俺は背筋が凍る思いをするはめになった。
「それに、その……言い難いのですがアオイちゃんは5年前から意識不明の状態で、会話できる筈はないんです。ましてや貴方が仰った様に中庭に出向ける筈も」
言いようのない恐怖が足のつま先から頭のてっぺんまで駆け抜けて、俺は数秒言葉に詰まってしまった。
5年前、間違いない。あの少女はあの時の女の子だ。ならばトモヤはあの少女に殺されたのか?
そんなオカルト地味た話を誰が信じる。現にアオイちゃんとやらと話したという証拠すらないのに。
けれど、俺の脳裏にははっきりと恐怖に駆られ、逃げ惑い、折れた足を引きづりながらもフェンスを越えようともがくトモヤの姿が浮かび上がっていた。
あるいは、落とされたのだろうか。ここまで来るともう何があってもおかしくない気さえする。
「俺、帰ります」
足元が異常に寒く、先程から震えが止まらない。
思い出したのは横断歩道に横たわる少女を見捨てて走り去ったあの日の光景で。
早足で病院の出口に向かい、その出入り口を潜った瞬間。
「やっと思い出したんだ?」
耳元で、あの少女の声がした。