【黒の装殻】のクリスマス
「クリスマスだ」
アイリが街を歩いていると、相変わらず唐突に現れたジンは言った。
「そうだね、で、それがどうしたの?」
「デートしよう。さ、乗れ」
跨がったオフロードのタンデムシートをぽんぽんと叩き、ジンはマサトの頭にハーフメットを被せると、その体をひょいっと持ち上げて座らせた。
「ちょ、僕仕事中……!」
「半休申請しといたから安心しろ」
「だから何でジンは勝手に僕の休みをいじれるの!? おかしいでしょ!?」
「いーからいーから」
「よくない!」
ジンが最初に向かったのはお高そうな服飾店だった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「うん、よろしく」
「え? え?」
上品な女性従業員に有無を言わせず連れ去られたアイリは、体を採寸されてドレスを渡される。
「さ、これに着替えて下さい」
試着室に放り込まれてカーテンを閉められる。
数分後。
「着替えたかー?」
「着替えた、けど、これ……?」
女性従業員がちらりと中を覗いてからカーテンを開ける。
「いや、ちょ、ま……ッ!」
「おー、流石プロ」
「お褒めに預かり光栄です」
頬と耳を真っ赤にしたアイリは、赤のドレスに白いファーを所々にあしらった、夜会用の衣装に身を包んでいた。
「これ、恥ずかしい……ッ!」
太ももの半分くらいしか丈のない短いスカートの裾を引っ張って抑えながら、アイリはうつむいた。
肩と腕も剥き出しだ。後ろの鏡では背中にも深いスリットが入っているのが見える。
白い首もとと鎖骨のライン、細いが引き締まった足は赤のハイニーで絶対領域を作り出している。、ジンが品定めするように顎に手を当てて唸る。
「うん、良いんじゃね?」
「最後にこちらを」
従業員がドレスに合わせたケープとグローブを差し出し、ジンは言った。
「支払いは一括で」
「承りました」
「さ、次行くぞ!」
ドレスから元の味気ない司法局のジャケットとパンツ姿に戻って、どこかホッとしているアイリの手を掴み、袋を抱えたジンが次の目的地へと向かうために再びバイクで移動した。
「何? 何が目的!? あれ凄く高いんじゃないの!?」
アイリの給料では、ローン地獄になりそうなレベルの店である。
「奢りだ」
「だから目的は!?」
ジンは、ははは、と笑って誤魔化すと、次にこれまたお高そうな美容室へと向かう。
座らされ、髪を整えられている間に、ジンは店員と話をしていた。
「こんな感じで……に行くんだけど」
「なるほど、でしたら……」
イケメン従業員と額を突き合わせて、何やら熱心に相談している。
アイリは髪を整えるついでに化粧と、アシンメトリーな髪型になるよう一筋のウィッグまで付けられて、店を後にした。
「良い時間だな」
そして向かったのは、シティ一番の高級ホテル。
「ちょ……」
「良いから、ほれ」
ホテルの部屋へと通され、再びドレスに着替えさせられる頃には夕方を大きく過ぎていた。
「うー……一体何なんだよぅ……」
やっぱり恥ずかしがるアイリに、ジンは満足げな笑みを浮かべてレストランに移動すると、その前で手を振った。
「じゃ、俺はここまで。いや、楽しかったよ」
「え?」
そうして、あっさりとウェイターへアイリを引き渡すと、ジンはひらひらと手を振って中には入ってこなかった。
案内された席で待っていたのは。
「お、おやっさん?」
「おう、坊。見違えたな」
ニコニコと笑う正装のおやっさんに、アイリは戸惑う。
「どういう事?」
「いや何。お前さんの誕生日をバタバタしてプレゼントだけで祝ってやれなかったからな。花立とマサトと相談して、ちょっと驚かせてやろうと」
ジンが来たのにマサトが何も言わなかったのはそのせいだったのか、とアイリは納得し、そして頬を膨らませた。
「最初から言ってよ」
「言ったらサプライズにならんだろうが。メリークリスマス」
おやっさんがグラスを上げ、アイリは渋々としたポーズを取りながらも、内心嬉しいと思ってグラスを合わせた。
「トウガくんからプレゼントだ」
プライベートだからか、花立を名前で呼び、おやっさんが言った。
中から出て来たのは……可愛らしいデザインの香水だった。
『merryChristmas。仕事の邪魔にならん程度に、少しは女らしくしろ』
と、花立らしい直筆と内容のメッセージカードがそこに添えられていた。
「……ありがとう」
そしてアイリは、おやっさんとの晩餐を存分に楽しんだ。
※※※
『シティ第3エリアで強盗事件発生! 犯人は逃走中!』
「やれやれ……行ってくる」
「お気を付けて」
祝いの日はハメを外す奴が多い。
合間を縫ってシノへと祝いのスパークリングワインを持って行った花立は、溜息と共に立ち上がった。
軽く大人の笑みを浮かべるシノに手を挙げ、お互いに仕事に戻る。
『トウガさん』
司法局車でサイレンと共に現場へと向かう途中に、シノの双子の姉、カヤから通信が入った。
『上等な日本酒をありがとうございます』
「酒の事はよく分からんからな。人に選んで貰ったが、喜んで貰えたならよかった」
『ええ。お忙しいですか?』
「少しな」
『では、また日を改めて。メリークリスマス』
「ああ」
次に、メールが届いた。
『カーディガン、ありがとうございます。凄く気に入りました!』
ケイカのものだった。
それに返信してから、捕まっていた事件の犯人を連行した花立は、ため息を吐いた。
「時間が時間だ。お前だとは思ったが、毎度懲りずによくやる」
「あんたも毎度ご苦労さんだよね。クリスマスには取調室でアンタの顔を見ないと落ち着かなくてさ」
「良い加減、更正しろ」
「ジョーダンだろ? それでおまんま食えるなら、誰だってそうするけどさ」
悪びれた様子もなく言うのは、花立の旧知だった。
と言っても、司法局の下っ端時代に捕まえたのが縁で、それ以来ちょくちょく犯罪を犯しては花立に捕まっている不良装殻者の少女だった。
「あんたがいなきゃ、四国にでも行くんだけどねぇ」
「さっさと行け。迷惑だ」
「そんな事言って。アタシのこの恋心を知りながらつれないよねぇ」
「ガキを相手にする趣味はない。それに、多分俺は出向になる」
「え?」
「大坂区だ。しばらくしたら戻ってくるが、いつになるか分からん」
「……そっかぁ」
そしていつも通りに説教して、彼女を一晩留置所に放り込む。
彼女の犯罪はひったくりだ。
窃盗事件にすらならない。
罰則金を、花立が立て替えるのもクリスマスの常だった。
「全く……」
深夜に帰宅すると、メッセージカードがポストに投函されていた。
通信技術が完全に普及した現代では、郵便は既に宅配業者の委託業務の一環となっている。
大半はいつもの、アイリ、カヤ、シノ、ヤヨイ、ケイカ、そしてハジメのもの。
もう一つは、ある事件で知り合った少年、コウのものだった。
疲れた心が癒された気がして、少しだけ花立は微笑む。
既に日も変わりかけた時間に部屋に戻り。
酒が飲めない花立が、わざわざ買って来た小さな焼酎を写真に仕立てた死んだ恋人、スミレの画像の前にことりと置いた。
自身はオレンジジュースを手に、ネクタイを解きながら、こつん、とビン同士を触れ合わせる。
「どうにか間に合ったな。メリー・クリスマス」
※※※
「こんな時まで機械イジリかい」
「ほっといてよ」
整備室に現れたミツキに、コウは口を尖らせた。
どうしても処理できない、と泣きついて来た整備班の要請で、コウは装殻の整備をしていた。
「終わるんか?」
「もうじき」
装殻不良は、サポーターのベース領域の問題だった。
ごく一般的な整備士では確かに手が出ないだろうと思っていたが、頼んだ整備士は家族とクリスマスを祝うと言ってさっさと帰宅してしまったのが納得がいかない。
―――どうせ帰っても一人だし、いいんだけどさ。
「コウって彼女とかおらんの?」
「そういうミツキは?」
心の声を読んだような問いかけに、同じ問いを返すコウに。
「っかー! おったらわざわざこんなトコおる訳ないやろ!!」
「同感」
整備を終えて振り向くと、ミツキは二本の缶を手にしていた。
片方は既に口が開いている。
「ビールって。仕事は?」
「とっくに終わっとるわい、そんなモン。寮で呑んどったらお前がいつまでも帰ってけーへんから」
「ああ、ゴメン」
そういえば、寮で呑み会があると聞いていた。
「独り身は寂しいで、ホンマ」
タイムシフトをオフにしたコウに、ミツキがビールを放ってくる。
「……あんま、そういう風に思った事ないなぁ」
この間までは、義理の家族と食卓を囲むのが常だった。
今は、それも叶わないが。
「お前はそれでも健全な男か!」
「めんどくさそうだし」
一人で自分の世界に閉じこもる気質であるコウは、気心知れない他人と仕事以外で触れ合うのは苦手だった。
ジンやミツキのように、心の壁をものともしないような気性の人物でなければ、そもそも深く付き合う事はない。
整備士の人々と多少なりとも仲が良いのは、装殻オタクとすら言えるようなコウが、存分に機械イジリの話が出来る相手だからである。
そして良いように使われる、という訳だ。
去年の今頃から考えられないような現状。
その遠因となったのは、ここ最近で唯一自分から深く関わった人物……【黒殻】総帥、黒の一号。
彼は今頃、何をしているのだろうか。
「来年こそは彼女を作るで! 誰でもええから!」
「そういう事言ってるから相手にされないんじゃないのかな……」
コウがビールのプルトップを引きながら言うと、既に酔っているらしい、わざわざ飲み会を抜け出してくるお人好しのミツキは、ますますヒートアップした。
※※※
「大坂区、か」
『ああ。カヤさんからの情報だよ。最近キナ臭いらしくて。花立さんを招集するってさ』
ジンからの定期連絡で。
敵の動きを知ったハジメは、街角でフルカウルの漆黒のクルーザー『Breaker01』にもたれながら、ハンバーガーの残りを口の中に放り込んだ。
「一度、向かおう」
『その前に、本部に一回帰りましょう。決済溜まってますよ』
「……任せる」
『ダメです。どれもー総帥決済が必要っつーか、そもそも俺に仕事振りすぎっすよ! 俺も忙しいんだから!』
「…………書類仕事は嫌いだ。データで送ってくれ」
『通信に乗せれる訳ねーだろ! 機密情報だぞ!?』
「………………仕方ない、な」
ハジメは通信を切り、遠くに星の光る空に目を向ける。
「お前と、最後に一緒のクリスマスなんか過ごしたのは、いつだったかな」
応える相手はいない。
ハジメはフルフェイスメットを被り、エンジンに火を入れた。
「だが、もうすぐ終わる。……全部、な」
一度アクセルを吹かして走り出したハジメの目に。
前の事件の残務である、危険な薬物……Ex.gを積んだ車と、運転席に座るプッシャーである男が映る。
「祝いの日に、サタン・クローズは必要ない……」
ハジメは人気のない場所で、車の前に割り込んで急停車させた。
「っぶねぇだろが!」
怒鳴るプッシャーに、応えずにバイクを降りたハジメは。
聖なる夜に逆十字を切り。
「……纏身」
今宵も、黒い異形と化す。
己の騙る、正義を成す為に。
―――Black Christmas END.