走ること
どんよりとした体でお助け部の部室に戻る。
暗いプレハブに私の足音だけが、こだまする。
「あれ、点いてる。」
暗闇の中、明るい光が廊下に差しているのが見えた。
ドアに走り寄って、思いっきり開ける。
「巧さん、こんなところに、、、」
しかし、そこには誰もいない。
あるのはちょこんと置かれた私のバッグだけ。
寂しくて、心がきゅっと痛んだ。
衝動的に、追いかけようと思った。そうしなかったら、もう元には戻れないと思った。何か大切なものまで、自分の手から滑り落ちていくような気がした。
「待ってよ」
届くわけがないのに、呟いた。
階段を激しく、駆け下りる。ガタガタとなる薄い材質を上履きで蹴りつける。
私なら助けられると思ってた。
『猫実さんがいる』
そう言ってくれたのに、何も、出来なかった。
「行かないで」
また、涙が出た。泣いてばっかりだ。汗もかいたし、喉が乾く。それでも走る。
走ること以外に何ができるのだろう。
この、自分に何ができたのだろう。
最後まで麻生先生はわかってくれなかった。
わかろうとすらしてくれなかった。
私は、あなたが耳が悪いのを知っている。
それに向き合って苦しんでるのも私は知ってるのに。
助けてなんて言えるのが私ぐらいしかいないことも知ってるのに。
助けられなかった。
暗い外に出る。いつものように星は見えない。月もない。
「はあっ、はあっ」
思いっきり息を吸って走る。コンクリートの硬さが直接上履きを通して伝わってくる。
揺れるポニーテールがじれったくてゴムを解いた。ふわりと付け根の圧力が緩む。
見た目を気にしている暇なんてない。
文章が下手だってわかってから色々と頑張ったんだよ。
巧さんに語りかけるように、私は思う。
勉強も、学校で一番になった。
夜桜先輩にせめて、他のところだけでも近付こうとして、頑張ったんだよ。
スポーツだって頑張った。
辛かったし、苦しかった。それで、小説が書けるようになったわけでもない。
でもきっとそれは、今日あなたを追いかけるためだったのかもしれない。
あなたが、走るのが苦手だってことも知ってる。あなたの書いた小説の中であなたが言ってた。
耳の悪いことだって書いてあった。
「そうだ、しょう、せつ、だ」
天啓のように降りてきたアイデアが道をわずかに照らす。
それで、全部巧さんのことを知ったんだ。
小説を麻生先生に見せれば、いい。主人公も、自分をモデルとした難聴だって言えばいい。
だって、そうじゃなかったらあんなに大量に書けるのおかしいもの。
200枚ぐらいの原稿用紙だった。
見せてもらった時、一晩かけて読んだ。
納得いかないところとか、読みにくいところとかあったけど、全く書けない自分とは何が違うのかと必死に探した。
でも、よくわからなかった。
今思えば、本当は同じなのだと思う。
こうやって私が走っているのと同じように、巧さんも書いている。
『小説を書くことぐらいしかできないんです』
走ることしかできなくても、私は巧さんのように、夜桜先輩のように小説も書けるようになりたい。
私の大切な人に言葉で、感謝の気持ちを伝えたい。夜桜先輩が大好きな小説で、ありがとうっていうのだ。
私には勇気が足りない。それでもいつか、あなたと共に書いてみせる。
だから、それまで少し待っててほしい。
あなたの所に行くから。
きっと、あなたの書いてきたものが、あなたを証明してくれる。