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最後の難関、麻生先生。

 面談室である。

 こちらの方は思ってたより狭い。

 もうこれ以上人が増えると会話に集中できなくなるだろう。

 巧の他に部屋にいるのは、金子先生と、猫実ねこざねさん、そして、目の前に座っている、麻生先生だ。

 無造作な髪に、曇ったメガネをかけた男性教師である。

 メガネで表情が読めない。年齢すら推測し辛い。

 ラグビー部の顧問をやっていると聞いたが、見かけは体育会系とはほど遠く、理知的な圧力を感じる。

 これはこれで怖い先生だなと、巧は思った。

 さっきまで収まっていた心臓の鼓動がまたバクバクと激しくなる。

 ぼそり、と麻生先生が何か言った。

 直感的に苦手な人だとわかる。声が小さいのだ。

 巧が最も苦手なのは、声が小さい人である。

 猫実さんとか、夜桜先輩とか、周りにハキハキ話す人ばかりいたせいで、すっかり考えが抜け落ちていた。

 麻生先生は物理的に苦手な先生だという可能性を、考えていなかった。

 猫実さんのほうを見る。

「ああ、訪ねてきた理由を説明してほしい、とおっしゃいました。」

 さっきの麻生先生の言葉を聞き取れなかったのを察してくれたみたいだ。

「は、はい」

 急いで麻生先生のほうを見る。

 ぎこちないやりとりが不快そうな様子だ。

 こっちもすまない気分になる。

 こうなったら言うしかないだろう。

 むしろ、本題だ。巧は深呼吸して覚悟を決めた。

「僕は、生まれつき耳が悪くてですね、

 、、」

 さきほど、校長先生に説明したのと同じ内容を話す。2回目だから前よりも整理して話せた気がする。

「だから、部費で映画の原作の本を買いたいと言うわけです」

 言い終わった途端、麻生先生が何かまた聞こえない声で呟く。

「はい?」

 聞き返した途端、

「不思議だ」

 面倒くさそうな顔をして麻生先生が大きな声で言った。

「不思議、ですか」

「ああ、校長先生がなぜ、そのような判断をしたのかが、不思議だ。」

 しーん、と狭い面談室が静かになる。

 立場が明確になった。麻生先生は部費を増やす気がないみたいだ。

 今までのことを否定されたように感じて、腹が立った。

 必死で、自分を抑え込む。

「君は本当に小説を書く気か?」

 乱暴に、さっきとは打って変わって高圧的な声だ。

 むしろ聞き取りやすくて上等、である。

「はい」

 強く頷く。

 間が空く。この間に、麻生先生はいかに自分たちを引き下がらせるかを、考えているんだろう。

「客観的に見てそれが、お助け部の活動として認められると思うか?」

 ぐっと言葉に詰まる。

 文藝部や文学部がすることだ、と言いたいのであろう。

 でも、俺は

「人を楽しませるために書くんです。」

 強く、麻生先生を見つめ直す。

 ここまできて、引き下がってたまるか。

「お助け部は、誰かのためになることなら、なんでもします。

 だから、認められると、思います。」

 大人に反論するのは、初めてだなと思う。

 勝とうと思っているわけじゃない。ただ、黙って従うのをやめただけだ。

 自分が本当に思ったことを言っただけだ。

「僕は、難聴があって人とコミュニケーションをとることが苦手です。

 小説を書くということは、そんな自分でも誰かのためにできることなんです。」

 何回も言っている内容だ。いうたびに自分がいるはっきりとしてくる感覚がある。

「だからどうか、理解していただけないでしょうか」

「、、、。」

 麻生先生は黙っている。

 金子先生や猫実さんも、彼の答えを待っていた。

 言葉はないが、圧縮されたような重い時間が流れる。

 麻生先生が口を開く。

 そして、最後の難関とも言える壁が目の前に立ちはだかる。

「ひとつ聞きたい事がある。」

 そして麻生先生がこちらをチラと見た。

「君が難聴だということを今、証明できるか?」

 ずん、と心に強大な刃が刺さった気がした。

 巧に、猫実さんと金子先生の視線が浴びせられる。

 難聴であることは確かに、外から判別できない。

 じゃあ麻生先生は俺が部費のために一芝居打っているとでも言いたいのであろうか。

 耳が悪いふりをしているとでも言いたいのだろうか。

 何故だ。

 怒りを通り越して疑問が湧いてくる。

 どうしてわかってくれないんだろう。

 猫実さんと、金子先生の眼差しに一瞬でも疑いの気持ちが入ったのが、巧の心を深く傷つけた。

 呆然としている巧に

「あの、巧さん。障がい者手帳とか持ってませんか。」

 と猫実さんがおずおずと尋ねてくる。

「幸運というかなんというか、手帳がいるほど耳が悪いわけじゃないんだ。」

「じゃあ、どうやって、、、」

 また、猫実さんが悲しそうな顔をするのを見て巧も泣きたいぐらいだった。

「本当に難聴があるんです。」

 これ以外に言う言葉も見つからないまま、麻生先生に懇願こんがんする。

「なるべく無駄な金を使いたくない。」

 しかし、理解してくれそうにない。

「巧さんは嘘なんかついてません」

 猫実さんの声がどこか遠くで聞こえた。

 悔しさでどうにかなりそうだった。

「すいませんトイレ行ってきます」

 この場から一刻も早く、逃げ出したい。

 入ってきたドアに向き直るとすかさず開けて飛び出した。

 呼び止める、金子先生や猫実さんの声だけが聞こえた。なんで言ったのかはわからない。

 自分の足音が聞こえる。

 なぜか走っている。

 廊下の冷たい空気が不思議と心地よかった。

「くそっ」

 熱い涙がこぼれた。

「あああああ」

 どうして良いかわからぬまま、グラウンドの真ん中に巧は立っていた。

 誰もいない。

 もう学校に残っている生徒は自分と、猫実さんぐらいだろう。

 でも彼女から逃げたのは自分だ。

 暗い夜空を見上げる。星は見えない。

 走ってきたからか、息が上がり体から汗が出ていた。

 後悔が押し寄せてくる。なすすべもなく逃げた自分の弱さが恨めしい。

 また涙がこぼれた。

 自分の感じてきた「痛み」さえも否定された。


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