解決編
日が暮れた頃、浅倉と姫子の計らいにより、事件の関係者達がアキの控え室に集合した。テーブルの周りに羽田、草部、アキ、ダリア、気絶中の変質者が座り、浅倉と姫子は壁際に立っている。
一同の姿を確認し終えると、姫子は慎重に切り出した。
「お忙しい中、お集まり頂いて恐れ入ります。既に皆様もご存知の通り、このライブハウスにおいて連続トイレ破壊事件が起こりました。そのことに関してお耳に入れたい話があり、こうして皆様をお呼びした次第です」
そこまで言うと、さっそく不満の声があがった。
「勿体ぶった言い方はやめてくれないかしら。こんな探偵ゴッコみたいな茶番を催すってことは、犯人がこの中にいるって言いたいのでしょ?」
嫌味な言い回し、それは羽田のものであった。
姫子は場を和ませるように微笑み、穏やかに問いに答えた。
「はい、それは否定しません。ただ犯人も含め皆様に納得して頂くために、順を追って説明させて頂きたいと考えています」
遠回しではあるが、反論はさせないという宣言である。案の定、その言葉を聞いた者達は口をつぐんだ。
静かになったところで姫子は推理を披露することにした。
「事件について最初から幾つか気になることがあったんです。まず、どうやってトイレを破壊したのかってことです。トイレは陶器で出来ているのですが、とても丈夫なんですよ。それを一瞬で粉々にする手段が分かりませんでした」
一同が頷くのを認め、更に話を続ける。
「次に、疑わしい人物が限られるってことです。トイレ破壊事件は二カ月前から至る所で発生していますので、普通に考えれば、アキさんのファンか知り合いが怪しいですよね? ところが楽屋裏には一部の人しか入れません。もちろんその中には音響さんや照明さんなどのスタッフも含まれますが、あいにくですね、ほとんどの方がアキさんと接点がないのですよ。つまり……」
そこで草部が発言した。
「ちょっと待ってくれ。僕達が怪しいってことだろ? 言っとくけどね、僕と羽田ちゃんはトイレが次々と破壊されている時、浅倉さんと一緒にいたんだよ? この中に容疑者がいると言うなら答えは一択、ダリアちゃんだ」
すぐさまダリアが反論する。
「はい? 私じゃないですよ。ライブ中止が決定するまでトイレが壊されたことさえ知りませんでしたし」
「あんな大きな銃声が響いていたのに気付かないなんておかしいだろ」
「ステージで練習をしていたんです。防音性が高いので聞こえませんでした」
「それを証明できる人はいるのかい?」
「い、いませんけど……」
らちが明かないと思い、姫子は口論する二人を止めた。
「草部さんの言いたいことは分かります。確かにダリアさんは怪しいです。しかしですね、アリバイだけで犯人を決め付けてはトイレの破壊方法が謎のままです」
言い終えると、羽田が落ち着いた口調で訴えた。
「誰が犯人だったとしてもトイレの破壊方法は説明つかないでしょ? だったら疑わしい人を捕まえて、自白させたほうが早いんじゃないかしら」
姫子は、口角を引き上げた。
「それがですね、説明がつくのですよ。一瞬でトイレを破壊できないのだったら、時間を掛けて破壊すれば良いだけです」
「言っている意味が分からないわ」
「私達は大切なことを見落としていたのですよ。銃声らしき音が鳴って誰もがその瞬間にトイレが壊されたと思い込んだ。でも、よくよく考えてみると、一人も破壊される前のトイレを見ていないんです」
「何が言いたいのかしら?」
「このライブハウス、ここの部屋にもありますが、天井にスピーカーがついているんです。音響担当の方に話を伺ったところ、楽屋裏のスピーカーは主にステージの進行状況を出演者に知らせるのに利用されるそうです。その為スピーカーは至る所に設置されています。しかも、さすがは音楽を扱う施設です、どのスピーカーから音を鳴らすか細かく設定できるのですよね」
誰も何も言わない。姫子は畳みかけるように話し続けた。
「もう私が言いたいことは分かったと思うのですが、犯人はあらかじめバールか何かで便器を破壊し、その後、トイレのスピーカーから銃声の効果音を鳴らしたのです。音声データに効果音だけではなく空白の時間も設けておけば、どのタイミングで音を鳴らすか調整も出来ます。この方法ならば、誰でも犯行は可能です」
挑むような目付きで羽田が言う。
「要するに、全員が容疑者ってことね」
「そうですか? 私は違うと思います。犯行時間の偽装を行なうってことは、その目的はアリバイ工作です。つまり、アリバイを主張した人が犯人ですよ」
草部が慌てて否定の言葉を口にした。
「ぼ、僕はやっていないよ」
対して、羽田は余裕そうに鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
姫子はそんな二人を見据えながら説明を再開した。
「アリバイを主張したのは二人なので、まだ個人の特定には至りません。ただですね、犯人は最後に大きなミスをしたのです。トイレを覗いていた変質者の口を封じる際、桃色のハンカチを落としたのですよ」
ゆっくり息を吸い、それから推理の結論を告げる。
「桃色のハンカチを使っていた人物、それはあなたです。羽田恭子さん、あなたがトイレを壊したのですね」
その場にいる全員が羽田のことを見つめた。
しかし羽田は冷静な面持ちで呟いた。
「そんな訳ないでしょ」
姫子は捲し立てるように言った。
「この期に及んでまだ言い逃れをしますか? 私は最初から羽田さんが怪しいと思っていました。何故なら、あなたには動機があるからです。あなたは仕事に没頭するあまり、『アキはウンチをしません!』というキャッチコピーを盲信してしまった。そしてその考えをより強固なものにしようと、アキさんの周りにあるトイレを次々と破壊したのです。違いますか?」
羽田が即答する。
「ええ、違うわ。宮下さん、あなた馬鹿じゃないの? 人はウンチをするに決まっているでしょ。それともあなたはしないのかしら?」
「し、しますよ……」
「今日もしたの?」
「それ、聞く必要あります?」
「宮下さん、私はアキを立派なアイドルにするため、人前ではウンチをしないキャラを維持するよう教育していただけです。『ウンチしないの?』と聞かれて、すぐに『します』と答えてしまうあなたには理解できない世界でしょうけどね」
「い、いずれにしても状況証拠がありますし、あなたが犯人に違いありません!」
「しつこいわね、違うわよ。通報した時に伝えてあるはずよ。窓の外からトランプによる予告状を投げ入れられたって。ねえ、草部さん?」
「うん。確かに外からカードが飛んできたよ」
姫子は二人の顔を交互に見てから、たどたどしく言った。
「じゃ、じゃあ、それは虚言で、二人は共犯です……」
「おいおいおい、僕を巻き込まないでくれよ」
手を振る草部の言葉に被せるように羽田が追い打ちを掛ける。
「それとね宮下さん、あなたは私がハンカチを落としたかのように言うけど、これを見ても同じことが言えるかしら」
羽田が懐から何かを取り出す。それは、桃色のハンカチであった。
「あ、あれ?」
姫子は声を裏返らせた。他の者達は疲れたような顔をして肩をすくませた。
「そ、そんなはずは……確かに桃色のハンカチは落ちていたのに……」
もう泣きそうだ。救いを求めるように浅倉の顔を見る。
すると、彼は鼻から息を吐き出し、呆れたようにこう述べた。
「桃色のハンカチっていうのは、これのことか?」
浅倉の手には桃色の布切れがぶら下がっていた。
「そうです! それです!」
「もう一度、良く見てみろ。これはハンカチか?」
そう言って浅倉が布切れを広げる。
広がったその形状を見て、姫子は愕然としながら声を漏らした。
「そ、それは…………パンツ」
「その通り! これは変わった形のハンカチじゃねえ。紛れもなく女性物下着、その名もパンツだ!」
浅倉は一息でそう言い、それから呼吸を整えて続く言葉を述べた。
「……そして、このパンツの持ち主こそが犯人」
彼の視線が動く。それは容疑者一人ひとりの顔を通り過ぎ、最後に、ある女性の前で止まった。
「あなたは今、パンツを履いていませんね? 三嶋アキさん」
皆の視線がアキに集中する。アキは何も言わない。
その静寂の中、姫子は浅倉に尋ねた。
「な、何を根拠にそう思ったんですか?」
浅倉は面倒臭そうに答えた。
「姫子、お前は馬鹿か? いや、お前は馬鹿だ。面白いから黙って推理を聞いていたが、それは全て間違いだ! 難しく考え過ぎなんだよ。いいか? トイレが破壊された時、ほとんどの窓には鍵が掛かっていた。そして入口にはお前がいた。つまり現場は密室だったんだ。そこに一人しか人物がいなかったら、そいつが犯人に決まってるだろ!」
即座に姫子は反論を示した。
「しかし、アキさんがトイレを一瞬で破壊するなんて無理です。トイレが次々と破壊されている時、私はほぼアキさんと一緒にいました。でも、彼女は銃火器どころかバールの類さえ持っていませんでした」
浅倉が不敵な笑みを浮かべる。
「いいや、彼女は常に武器を持っていた。いや、持っている。そしてそれは、今も眠り続けている蝶の仮面の男、通称変質者を狙撃した道具でもある!」
「いったい、それは……」
「それは、『閃光の大便』だ」
一同、声を揃える。
「閃光の大便!?」
ただし姫子だけは冷静に突っ込みを入れた。
「大人達が真顔で何を言ってるんですか」
しかしその発言を無視して浅倉は話し続けた。
「狙撃された変質者の額には粘土状のものが付着していた。そして現場にはパンツが落ちていた。それが何を意味するのか、考えればすぐに分かるだろ。犯人は尻を出して勢い良く弾丸を射出したんだ!」
「そんな訳ないじゃないですか!」
「姫子! そう思うんだったら、今すぐ変質者の額の臭いを嗅いでみろ!」
「え、いや、それは嫌ですけど、そんな非現実的なことがある訳ないです!」
「お前にとっての現実は小せえなあ!」
「どう言われようと、そんな真相、誰も納得しません!」
浅倉と姫子が口論をしていると、突然、か細い、それでいて良く通る声が室内を蹂躙した。
「真相は、その通りです」
瞬時にして耳が痛くなるほどの静けさが辺りを包む。
「私がトイレを壊したんですよ」
その声は、三嶋アキのものであった。
ワンテンポ遅れて室内がざわめく。羽田も草部もダリアも言葉にならない声を発している。その様な状況を気にも留めず、アキは続けて発言した。
「浅倉さん、お見事です。いつ気付かれたのですか?」
その問いに浅倉は余裕の態度で応じた。
「最初のトイレが壊された時ですよ。あの時、個室には異臭が立ち込めていた。つまりトイレは使用された直後ということだ。しかしトイレは粉々。だったら使用と同時に壊されたと考えるのが常識でしょう。ちなみにその時の様子を変質者に見られた訳ですが、それは、そこのトイレの窓から隣の控え室に予告状のトランプを飛ばし、その後、締め忘れたからですよね?」
「はい。完璧な推理ですね」
必要以上にシリアスな雰囲気を醸し出す二人に対し、姫子はどうにか冷静さを保ちつつ質問を投げかけた。
「す、すみません。私の中の現実や常識を遥かに超越した事実のため、理解が追い付いていません。アキさんは、どうしてそんなことをしたんですか? と言うより、どうしてそんな特殊技能があるんですか!」
アキが一瞬だけ悲しげな顔をし、質問に答える。
「仕方がなかったんです。私がアイドルになった時、事務所の意向でウンチをしないことが決まりました。それは単なるキャッチコピーということでしたが、実際には羽田さんや熱烈なファンの監視により、自由に用を足すことが出来なくなったんです。やがて、元々便秘症だったことも災いして、私の弾丸は硬くなっていきました。とはいえ人間ですから出さなければなりません。それも大をしていると勘付かれないように可能な限り素早く。私は硬い弾丸を勢い良く射出する術を身につけました。そして、二カ月前のことです。ついに私は便器を粉砕してしまいました。わざとではなかったんです……」
そこで彼女は大きく息を吸い、冷やかな表情を浮かべた。
「便器は私の弾丸に耐えられない。自身の意図とは関係なく、用を足せば便器は壊れてしまう。そこで一つの計画を思い付きました。それは、予告状を送り、他の誰かがトイレを壊したことにするというものでした」
羽田、草部、ダリアが涙を零している。意味が分からない。
姫子は雰囲気に飲まれまいと、アキの目の前に立ち、至って事務的に告げた。
「どんな事情があっても、器物破損及び威力業務妨害、それと傷害の罪は拭えません。連行させて頂きます」
そして彼女に手を伸ばした時である。浅倉が叫んだ。
「姫子、伏せろ!」
瞬間、破裂音が立て続けに響いた。
辺りに異臭が広がり、同時に控え室の入口のドアが吹き飛ぶ。
「私は捕まる気なんてありませんよ」
アキは笑いながらそう言うと、室外に飛び出した。
「姫子、追うぞ!」
浅倉と姫子も廊下に出て、アキの後ろ姿を追った。建物の周辺には警備中の警官達がいる。そのことを考慮したのか、彼女は階段を駆け上がっていった。
二階を通り過ぎ、屋上に出る。そこでようやくアキは制止し、振り返った。
浅倉が真剣な眼差しのまま口元だけで笑う。
「もう逃げられねえぞ。観念しろ」
そうして懐から手錠を取り出す。
するとアキは、まるで踊るようにその場で回転した。フレアスカートがふわりと浮かび上がり、尻が露わになる。同時に閃光が瞬き、破裂音が響いた。
「グハッ」
「浅倉警部!」
カラカラと硬い音を鳴らして手錠がコンクリートの上を転がる。見ると、浅倉の右手に茶色い弾丸が突き刺さっていた。
「お二人とも、下手なことはしないほうが良いですよ。丸腰の状態で私を捕えることが出来るとでも思っているんですか?」
アキの言う通りであった。これほど正確無比な狙撃では、一歩動いた瞬間に肉体とプライドを撃ち抜かれてしまう。
だが、アキにしてみてもこの状況から逃げ出すのは困難であろう。
しばらく無言のまま牽制し合っていると、おもむろにアキが何かを取り出した。それは、知らぬ間に変質者から盗んだと思われる蝶の仮面であった。彼女はそれを装着すると、大人びた口調で語り出した。
「もうアイドルを続けることは無理そうね。なので、私は三嶋アキをやめるわ。これからの私の名前は、これよ」
アキが腕を振って一枚のトランプを浅倉に投げつける。そして浅倉がそのカードを受け取った時、彼女は、屋上から飛び降りた。
「アキさん!」
姫子は屋上の縁に駆け寄り、地面を見下ろした。そこには軽快に街の雑踏へと向けて走るアキの姿があった。
「そんな……十メートル以上の高さから落ちて無傷なんて……」
姫子がそう言うと、浅倉の悔しそうな声が聞こえてきた。
「良く見てみろ。この真下の地面に穴があいている。おそらく着地の瞬間に弾丸を射出することで衝撃をやわらげたんだ」
完敗であった。今さら追っても間に合わない。
姫子は溜め息をついて浅倉の表情を窺った。彼も落ち込んでいるに違いない、そう思ったのだ。しかし浅倉は、何故か嬉しそうに、アキから受け取ったカードを見つめていた。
「面白えじゃねえか。俺がお前を捕まえてやるよ……」
浅倉の手元のカードには、こう書かれていた。
『 トイレ破壊魔・便姫 』
そう、これこそ便姫の放った最初のカードである。
こうして、警部・浅倉とトイレ破壊魔・便姫の、二十年にも及ぶ戦いの物語は始まった。運命のカードは回り出したのである……
――エピソード1へつづく




