地理学研究室
さて、昨日は何となしに流してしまったが、私が生徒会に入るということは大問題である。生徒会とは、家柄のよい成績上位者の集団である。役職も人員も生徒会長に一任されるというフリーダムな組織であり、最終学年のみで構成されている。二、三人の下級生を入れておいて引き継ぎをスムーズに行うことはしない。初めてのことにどれだけの対応が出来るのかということが問われているのだと思われる。それはともかくとして、私のような男爵令嬢が生徒会に入るとなると大事である。成績は私の根性で何とかするしかないとはいえ、家柄である。許されるのはせいぜい伯爵までであろう。困ったことである。シオン様が、何とかすると言ったからには入ること自体は何とかなるのだろう。しかし恐ろしいのは周囲の反応である。既に成績の急上昇で嫌悪感を抱かれているのである。シオン様が目をかけて生徒会に入れたとなると恋する乙女たちの攻撃が恐ろしい。その程度で折れる心ではないが、厄介なことは覚悟しておいた方がいい。
ちなみに、定期試験の不正疑惑については否決の知らせが今朝、掲示板に貼り出されていた。仕事の早い生徒会長である。今日の放課後、ソフィア様が私の教室に迎えに来てくださるらしい。その行為を以てしてユリア様、そしてリリーの会が私の味方であると示すそうである。「そうすれば、周囲の目線も変わるし、最低限物理的な攻撃はされないはずだよ」とはユリア様のお言葉である。あの悪魔にはない心遣いである。
「そうじゃのう、シオン様は他人の心に疎いからのう」
ここは地理学研究室。昼休みが始まると同時に教室から一直線にやってきた。愚痴くらい吐かせてくれやーいとばかりに一方的に話し続ける私を制することなくトキナイ先生は聞いてくれた。
「悪魔はむしろ他人の心操ってなんぼですよね!?」
「悪魔って…まあ、悪魔か。むしろそれじゃよ」
「と、言いますと?」
「他人が全て自分のために動いてきた環境じゃったからのう…」
はて。シオン様は確かに優秀である。しかし、側室であった母君の身分は低く、しかも早くに亡くなっている。わりと辛酸をなめてきたのではないだろうか。
「確かに、後ろ楯は弱いんじゃが。それを補うだけの当人の優秀さと父である王がとりわけ甘いんじゃよ、シオン様に」
「だから王位継承問題でもサキヤ様と一騎討ちとまで言われているのですね」
そうか。サキヤ様の母君は側室であるが実家は侯爵家である。王様というカードでもなければ、シオン様には戦いづらいはずである。
「まあ、シオン様が身分の高いご令嬢と婚約してその実家の後ろ楯を得るという手段もあるがのう」
「それが順当でしょう」
トキナイ先生はチラチラとこちらを見る。何なのだろうか。
「ところで、トキナイ先生は理事だそうですが、理事は王様の勅命で選任されるのですよね。どのようなご関係で?」
「おぬしに期待したわしが馬鹿じゃった…」
「は?」
「いや、こちらの話じゃよ」
ため息を吐くとトキナイ先生は言った。
「わしは元々シオン様の家庭教師じゃよ。そのご縁でこちらにも出向くことになったんじゃ」
「え?じゃあ、シオン様の子どもの頃も知ってるんですか?」
「昔から冷めてて異常に優秀な子じゃったのう。母君の亡くなられた時も涙ひとつこぼさなんだ。ただ、」
とトキナイ先生は言い淀む。そして、コーヒーを一口飲むと言った。
「泣かなかったんじゃない。泣けなかったんじゃないかのう」
それは、そうなのかもしれない。王族に生まれ、側室である母を失うとはそういうことだ。実家の後ろ楯は弱い上に、関係として稀薄になる。味方のいない環境で優秀な幼子は何を考えたのか。そして、何を感じたのか。
「それに守るもののある戦いというのも彼にとっては初めてのことじゃしの」
ふおっふおっとトキナイ先生は笑う。
守るもの?そんなものがあるのか?彼に。
「まあ、王はできた人じゃからのう。一度会えるといいのう」
「ところで、兄弟仲はどうなんですか?」
とりあえず、そこは聞いておきたい。
「ほとんど接触のない独立独歩の関係じゃしのう。ただ、ハルタ様とシオン様は仲があまりよくないのう」
同族嫌悪じゃろうて、あれは…とトキナイ先生の言った重要な言葉を私は随分あとになって思い出すこととなる。なぜあのとき聞き流していたのかという後悔と一緒に。




